今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾と第二弾、第三弾の城攻めは無事に完了し、GW後半は長野県上田市に宿をとって、その周辺の城跡を攻めてきた。
その第四弾は長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》にあった北信(北信濃)の雄・信濃村上氏の居城・葛尾城攻めの予定を変更して、坂城町周辺をいろいろ巡ってきた。
葛尾城下にあたる坂城町は意外と歴史のある街であり、見どころが多かったこともあって半日だけでも結構な歩数[b]この日は26千歩。を稼いだ。お昼は坂城町にある御食事処で肉ものを頂いたが旧北国街道・坂木宿巡りを終えて、宿がある上田駅前に戻ってきた時にはお腹がペコペコ状態だった
。
と云うことで、あらかじめ開店時間を調べておいた宿泊場所近くの老舗うどん屋へ。時間帯的には夕食前であったがGWで混んだり並んだりするのは嫌だったので、店内が空いている時に頂くことにした:
このお店の「肉うどん」とは、いわゆる豚肉ではなく信州ならではのさくら肉(馬肉)使ったうどん。国鉄時代に信越線・上田駅ができた頃とほぼ同時期[c]明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。に創業した老舗中の老舗。信州蕎麦ではなく、信州馬肉うどん[d]創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。で勝負する店である。
この日は坂城町を歩き回りって体力的にもヘトヘトで、肉を欲しがっていた体に馬肉うどん(680円)はもちろん、こちらも馬肉を使ったさくら丼(900円)を合わせで注文した 。
厨房近くのカウンター席に座って注文して、しばし待つとまず最初に馬肉うどんが出てきた:
甘辛い醤油ベースの出汁に、ツルッとして柔らかいうどん。そして真ん中に煮込んだような馬肉がド〜ンとのっていた。薬味のネギは完全に脇に寄せられていた。主役の座を馬肉に渡してしまったうどんの方は飲み込んだら直ぐに消化されそうなくらい柔らかかった。主役の馬肉は意外と弾力があった。この肉はうどんの出汁をとるために煮込んだものらしく、出汁の方も一般的なめんつゆとは異なりに鰹節や昆布なんかは使っていないのだそうだ 。
うどんの量も結構あったような記憶があるが、まだ食べきらない間にさくら丼がでてきた:
こちらは味噌汁と香の物たつく他、丼の方も馬肉とネギを(おそらくは)うどんの出汁で煮込んだ風の具材が暖かい御飯の上に乗っかり紅生姜が添えられていた。見た目も匂いも美味そうだったので、残っていたうどんを平らげて丼を頂くことに。丼はうどんほど甘辛くなく、ときおり脂身があったりして御飯がすすんだ 。注文した時は食べきれるか多少不安であったが、この日の運動量からするにペロリとお腹に入ってしまった次第
。紅生姜がいい箸休めになった。
これで次の日の山城攻めのエネルギーを十二分に補充することができた 。が、やはりちょっとお腹が窮屈だったので宿泊先に戻る前上田城跡公園まで散歩してきた。
肉うどん・中村屋
長野県上田市天神1丁目6-6
ここからはオマケ。
この日の朝に乗ってきた北陸新幹線はくたか557号・金沢行:
上田駅構内では(相変わらず)眞田の六連銭と赤備えがお出迎え:
上田駅のお城口・ロータリー内には、こちらもお馴染みの眞田幸村騎馬像。何年経っても人気者だ:
こちらは肉うどんとさくら丼を食べた後、腹をこなすために散歩してきた上田城跡公園の風景:
かっては千曲川が流れていた尼ヶ淵跡(現在は芝生広場)から見上げた近世城郭・上田城の櫓。こちらも以前と変わりない:
そして階段を登って公園内に入ったけど、いろいろ工事中だった。ライトアップされた櫓を見たのは初めて 。但し、公園の中では逆にライトアップの強烈な光で難儀したけど
。
これは初めて見た新しい幸村像:
こちらは東虎口櫓門。向こう側から出てきたけど強烈なライトにやられた感じ:
最後は、こちらもおなじみの六連銭が描かれたマンホール:
ということで、この時のフォト集はこちら:
上田城攻め (3) (フォト集)