月別アーカイブ: 2022年5月

お食事・居酒屋 こっくどーる − the 4th Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了。

そしてGW 2022も後半戦へ突入し、幸いにも天気は良好続きとの予報だった。第四弾は長野県の城攻め。こちらも長年温めていた山城で、標高800mを越える葛尾山《カツラオヤマ》山頂に築かれた信濃村上氏の居城・葛尾城跡。ハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかあり[b]なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。、カメラを背負ってガレ場を登ることを予想して気合を入れて準備をしてきたのだが、ここにきて若干ではあるがGW前半の疲れが出てきた感じがしたので、山登り(葛尾城攻め)はせず、信濃村上氏の中でも、あの武田信玄を苦しめた村上義清《ムラカミ・ヨシキヨ》の居館跡や供養塔といったゆかりの場所を巡ることにした。それ以外にも北国街道坂木宿《ホッコクカイドウ・サカキジュク》という古い歴史が残るこの街には歴史館や刀剣の博物館もあるようなので、来る葛尾城攻めの下調べも兼ねると云う意味でも無理をしないことにした[c]この次の日も山登りの計画だったし 😂️。 :)

この日は、朝9時半過ぎに東京駅発の北陸新幹線・金沢行きのはくたか557号に乗って上田駅に着いたのが11時前。次にしなの鉄道・長野行に乗り換えて、今日の目的地である坂城《さかき》駅に着いたのが昼12時少し前:

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しなの鉄道・坂城駅

山登りして城攻めする予定では無かったが、お腹が空いたので駅前にある御食事処へ:

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居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる

このお店、夕方になると居酒屋になるようで昼メニューと夜メニューとに分けられていた。事前に調べてみたらおしぼりうどんなる坂城名物を出してくれるとのことで、検温+手を消毒してカウンター席につくまで、その名物を食べるつもりだったけどランチタイムだったこともあり、曜日替わりのヒレカツ定食(750円)にした:D

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ヒレカツ定食・コーヒー付き(750円)

御前の上はごくごく普通の彩りではあったが味は文句なしで美味しく頂けた。ヒレカツも柔らかかったし。食後のコーヒーには落花生が入った硬くて甘くない煎餅が添えてあった:)

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食後のコーヒーと硬くて甘くない煎餅

この時のお客は先客が一人だけで、田舎にありながら感染対策を徹底しているお店で安心した。

居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる
長野県埴科郡坂城町大字坂城立町6318−1


ここからはオマケ。

坂城駅前の通りの県道R339は旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

信濃村上氏の居城である葛尾城攻めを取り止めた代わりに、この説明図に記載された村上義清ゆかりの名所を巡ってきた:

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村上義清ゆかりの名所(拡大版)

ここ村上山・満泉寺は信濃村上氏代々の菩提寺で、戦国時代に村上義清の子・國清により村上氏の居館跡に建立された:

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山号が村上山の満泉寺は村上氏居館跡に建てられている

戦のない平時には、ここに建てられていた居館で生活し、いったん敵に攻め込まれ戦となると、背後にある葛尾城(詰めの城)に籠もったと云う:

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葛尾城跡と姫城跡(拡大版)

葛尾城は、現在の葛尾山尾根筋を利用して築かれた典型的な山城である。上の写真左端にみえる尾根が姫城跡、その次の尾根が葛尾城跡。麓の坂城神社から徒歩で約60分。東側の尾根づたいにいくつもの堀切跡が残っているのだとか。特筆は、葛尾城主郭跡から眼下に千曲川をのぞむ見晴らしである。

こちらが葛尾山の麓にある坂城神社:

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坂城神社

その坂城神社の裏手には村上國清公の供養塔があった[d]せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。

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「村上国清の供養塔」

さらに町にある歴史館で信濃村上氏や村上義清と武田信玄との戦いについて詳しい情報の他、葛尾城跡への登山ルートについて詳細を入手することができた:

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坂木宿・ふるさと歴史館

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村上氏に関する史料など

ちなみに、この歴史館には江戸時代の宿場町であった坂木宿の本陣表門が移築されている。

こちらは、駅近くにある村上義清の供養塔へ向かう途中に眺めた菅平《スガダイラ》高原方面。この日は「こどもの日」だった:

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坂城町から菅平方面の眺め(拡大版)

もう一枚。これは村上義清が武田晴信(信玄)を破り、重臣の板垣信方らを討ち取った上田原古戦場方面の眺め[e]と云ってもかなり遠いが😁️。

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上田原古戦場方面の眺め(拡大版)

村上義清公の供養塔は、旧北国街道沿いある田町十王堂《タマチ・ジュウオドウ》裏にある:

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田町十王堂

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村上義清公供養塔

ちなみに、この田町十王堂は閻魔堂のことで、十王とは死後に冥府で人間の生前の罪業を裁くとされる十人の王のことで、その頂点にいるのが閻魔大王らしい。

葛尾城下で葛尾城跡へ登城口やと登城ルート、そして村上義清公についていろいろ情報を得ることができたことで、一段と葛尾城攻めしたい気持ちが強くなってきた:D。そろそろ計画でもたてようか。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also村上義清公墓所とゆかりの地 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c この次の日も山登りの計画だったし 😂️。
d せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。
e と云ってもかなり遠いが😁️。

栃木県宇都宮市 − the 3rd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾の城攻めは完了。そしてGW 2022も後半戦へ。

と云うことで今年の GW 城攻め第三弾は栃木県宇都宮市にある多気城跡へ。この城跡は以前から攻めてみたいと思っていた山城の一つであったものの、その規模(城域の広さ)から日帰りでは時間的にキビシイと思い、なかなか実行に移せなかったのだが、幸運にもGWのこの時期に最寄りの町で宿が取れたので、この城一本に絞って計画を立てて実行に移したと云う次第。

結果から云うと、残念がら期待したほどの遺構は残っていない上に、せいぜい攻めれる箇所は主郭周辺くらいで、あとは藪化が激しくて立ち入れなかった :$。山登りとしては多気不動尊《タゲ・フドウソン》のあの長い階段を含めると結構なハードさはあったが、城攻めと云うよりは山登りで終わってしまったのが正直な感想で、かなり期待外れだった:|[b]勝手に期待していたのは俺なのだけれど。。おかげで帰りのバスの時間までだいぶ空いてしまったので、バス停近くにあった奇岩と大谷景観公園を観てきた:D[c]こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️

この日は朝9時前にチェックアウトして、荷物を宇都宮駅のコインロッカーに預け、キビシイ登山になるであろうと予想してカメラ機材のみの荷物を担いで現地へ向かった。朝9時過ぎに駅西口から関東自動車の立岩《タテイワ》行のバスに乗り、最寄りである「立岩入口」のバス停に着いたのが朝10時前。

これはバス停近くから眺めた多気城跡(多気山)。多気城は多気山をまるまる城砦化したものだったらしい:

多気城跡

ここから多気山の山頂までは徒歩で移動した。こちらはその途中に見た「らくだ岩」と呼ばれている奇岩。ちょっと緑が多くて分かりづらいが、岩がラクダの首と背中の形をしている[d]緑の部分を消すとイメージしやすい。

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らくだ岩

そして、なぜか旧帝国ホテル中央玄関前の壺なるオブジェ:

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旧帝国ホテル中央玄関前の壺

なぜこんなオブジェがあるかと云うと、宇都宮市の特産である大谷石《オオヤイシ》は古来から建築用材として使われた経緯があるらしく、大正12(1923)年に完成した旧帝国ホテルにもふんだんに使われていたのだとか。このオブジェは記念として実物を模したレプリカらしい。

そして国道R293に出て多気山参道の坂を上がり、市営の駐車場で一休みして一気に多気不動尊まで移動した。こちらは交通安全祈願ができる明王殿。自転車祈願も受け付けているのだとか。いかにもモダンな御不動様だ:

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明王殿

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南無大聖不動明王

明王殿の奥には水かけ不動があり、さらに立派な山門をくぐった先にある126段の石段を登って本堂へ向かう:

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水かけ不動

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126段の石段を登りきらないと本堂へ行けない

こちらが本堂、そして歳神殿。さらに奥には弘法大師堂もあった;

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歳神殿

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本堂

大聖不動妙王を祀る多気山不動尊。ここで本日の城攻めの成功と家族の御加護を祈願した:

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多気山不動尊

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線香をたいて祈願する(100円)

境内で今日一日と実家の安全を祈願して、登山口から七曲りの登山道を登った。正直なところ城攻めで登っているの俺ぐらいなもので、ほとんどがハイカーの集団か家族連れだった:

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登山口

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七曲りの登山道

登山口から多気山山頂にあって御殿平《ゴテンダイラ》と呼ばれている多気城本郭跡まではおよそ20分程の山登り。直線距離にして0.6km。キツイ勾配はないので休みながら登っても30分はかからない:

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山頂の御殿平に建つ「多気城跡」の碑

昨日に続いて筑波山を拝むことができた:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

さらにパノラマで眺めた宇都宮市:

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多気山山頂からの眺め(パノラマ版)

多気城跡は山頂の主郭周辺にしか遺構が残っていなかったので、実質的にはただの山登りになってしまった:O。このあと握り飯を食べて帰りのバスに間に合うように下山した。

その途中でにわか雨に遭遇したが、この日はなんとなく天気が不安定になりそうだとふと思いついたのでアウターを持ってきたが、これが功を奏した感じ。もしかしたら多気不動尊の御加護かもしれない:)。そう云えば、途中ですれ違った普段着の家族連れを麓の駐車場で見かけたが、靴やら上着やらが泥だらけだったっけ。

下山したあとは駐車場前にあった茶屋で手作りお甘酒と団子を頂いた:

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甘酒と団子セット(200円+300円)

桃畑茶屋
栃木県宇都宮市田下町729-2

そして再び「立岩入口」のバス停まで戻ったのだけれど、次のバスまで30分ほど時間が空いてしまったので周辺にある奇岩をいろいろ眺めてきた。

まずは「弁慶の太刀割り岩」と「亀岩}。この二つの岩は同じ岩からなる(表と裏で呼び名が違うらしい):

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弁慶の太刀割り岩

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亀岩

日本全国津々浦々、巨大な岩は武蔵坊弁慶にあやかるものが多いようで:D

これは居然と呼ばれている奇岩:

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居然(東側面)

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居然(北側面)

ついでに大谷景観公園まで足を伸ばしてきた:

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大谷景観公園

大谷資料館(有料)へ行くともっといろいろ分かるようだけど、バスの時間もあったので今回は駐車場あたりでウロウロしながら奇岩を眺めてきた:

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

こんなに自然の偉大さを感じたのは、コロナ渦の生活にあって久しぶりである:

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他にもいろいろな奇岩

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他にもいろいろな奇岩

機会あれば大谷資料館にも行ってみたくなった。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also多気城攻め (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。
b 勝手に期待していたのは俺なのだけれど。
c こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️
d 緑の部分を消すとイメージしやすい。

栃木県栃木市 − the 2nd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤬️は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。しかしながら第一弾の城攻め翌日は再び雨になった上に気温も下がり、その落差に体が順応できなかったのか軽い風邪+下痢[b]ホント文字どおり「水のような下痢」だった。水分を正常に吸収できなくなっていた。になって少し焦った:O が、漢方を飲んでしっかり寝た翌日は容態が安定したので、無事に城攻め第二弾を実行に移すことができた :)

と云うことで今年の GW 城攻め第二弾は栃木県栃木市にある二條城跡へ。ここは、実は五年前に攻めてきた西方城跡のすぐ近くにあったらしいのだが、当時は全く気づかずにスルーしてしまった城跡。その後も登城口が分からなかったので放置していたが、今回は第三弾の城攻めのために栃木県宇都宮市に宿泊する機会を持てたので、なんとか調べて登城口を見つけ、ついでに攻めてきたと云う次第。それに城攻め第三弾は再び山城を予定していたので、病み明けの体のウォーミングアップも兼ねると云う意味でも ;)

無事に下痢が治まった当日は埼玉県の栗橋で東武日光線・東武日光行きに乗り換えて東武金崎駅で下車。そこからは五年前に一度歩いたルートで城跡を目指した:

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二條城跡と西方城跡の遠景

ちなみに登城口だけど、この八坂神社を起点として東北縦貫自動車道へ向かったところにある:

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八坂神社の前を真っ直ぐ進む

当時の登城口は柵が設けられていて先に進むことができない状態であったが、特に立入禁止などの警告は無かったので、柵に結ばれていたビニル紐を外して中に入り、東北道をくぐって城跡へ向かった[c]もちろん柵を締めてビニル紐を結び戻しておいた。

城跡へ向かう途中にはイノシシ捕獲用の檻が置いてあった :O

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栃木市がイノシシ捕獲用の檻を設置していた

現在、二條城跡には開山不動尊が建っていた。これは不動明王が右手に持つ剣をモチーフにした置物:

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不動明王のシンボルである倶利伽羅剣

城攻めの後は、これもついでになるが、城跡近くにある実相寺《ジッソウジ》にある藤田信吉《フジタ・ノブヨシ》公の墓所を参拝してきた。こちらは墓所がある高台から眺めた筑波山:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

今回の栃木県の城攻めでは、茨城県の筑波山を拝む機会が多かったなぁ。

この後は宿泊地の宇都宮へ向かうため、再び東武金崎駅まで戻り栃木と小山を経由して移動した[d]この時は両毛線でトラブルがあって栃木駅で30分くらい足止めを食らったけど 😕️。

宇都宮に着いた頃は、またまた天気の雲行きが悪くなったので、早々に夕食を摂ることにした。この日は宇都宮駅西口から少し歩いたところにある牛かつ屋。この日は、次の日から連休後半が始まる平日ということもあって混むんじゃないかと予想していたが、開店早々に到着した店内はガラガラだった。

カウンターに座り、赤ワイン(500円)と牛かつ御前200g(2,180円)、あと塩ダレキャベツ(280円)を注文した:

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赤ワインと牛かつの食べ方

牛かつが揚がるまで時間がかるかと思ったら速攻で出てきたのには驚いた :$。逆にキャベツの方が遅かったし :|

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メチャクチャ速攻で出てきた牛かつ御膳200g

飲みと喰いのタイミングがちぐはぐになってしまったが、まったく味のない薄いワインを飲み干して、早々に牛かつを頂くことにした。御膳に載っている溶岩プレート[e]プレートの下から燃料で熱せられていたので、燃料が無くなるまでが制限時間でもある。で焼いて、いろいろな薬味を付けて食べるスタイルらしい:

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赤身部分を溶岩プレートで焼いて食べる

薬味は「わさびを載せて醤油を付ける」、「岩塩(これを載せる皿がない)」、「だしとろろ」、「山わさびソース」、「牛かつソース(これを載せる皿がない)」そして「とろろ」の6種類。全ての薬味を試したけど、「だしとろろ」と「牛カツソース」が旨かった。御飯は麦飯で、おかわりもできるのは嬉しい。

ただメインの牛かつは、ほとんどが脂身とスジの塊で、全くジューシーさを味わえなかった ;(。小さい鉄板の上で200gの牛かつを焼いていると自然に焦げができて、だんだんと焼きづらくなるのがダメダメだった。あと鉄板を温める燃料がいつのまにか消えていたし :(。なんか、いろいろ段取りが悪い店って感じ。

ちょっと天気が気になったので長居せず、酒も御飯もおかわりすることもなく、そして酒が無い状態で塩キャベツ食べ終えた時点で店を出ることにした。残念ながら既に雨が降っていたが ;(

そして宿泊先へ戻る前に宇都宮駅構内のパセオに立ち寄って、実家に御土産を送っておいた。おそらく明日の帰りに買おうとしたら昼間の観光客でごった返してそうなので。

牛かつ・なかい
栃木県宇都宮市東宿郷4丁目6-5

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also下野二條城攻め (フォト集)
See Also藤田能登守信吉公墓所 / 那智山・実相禅寺 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤬️
b ホント文字どおり「水のような下痢」だった。水分を正常に吸収できなくなっていた。
c もちろん柵を締めてビニル紐を結び戻しておいた。
d この時は両毛線でトラブルがあって栃木駅で30分くらい足止めを食らったけど 😕️。
e プレートの下から燃料で熱せられていたので、燃料が無くなるまでが制限時間でもある。

群馬県安中市 − the 1st Attack of GW in 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤐️は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。しかしながらWeek前半は天気に悩まされた。一日前の予報も全く当てにならないって感じで :(。おかげで初日の城攻めは大雨で次の日に繰り越すことに。幸いにも翌日は晴天になってくれたが、ぬかるみとかが気になってしまった :O

と云うことで今年の GW 城攻め第一弾は群馬県安中市にある松井田城跡へ。事前に調査してみたらかなり広い城域の山城で見どころも多いようなので時間内に見て回れるか多少不安であったが。さらに小田原北條氏の重臣であり松井田城主を務めた大道寺政繁公の墓所がある補陀寺《ホダジ》にも立ち寄よる予定も追加した。この城跡には駐車場もあるようだが、車の移動時間が読めなかったので移動は公共機関と徒歩にした。

当日は東京から北陸新幹線たにがわ403号・ガーラ湯沢行で高崎まで移動した:

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JR新幹線たにがわ403号はE7系

こちらは高崎駅構内で見かけた D51 のSL時計。SL復活運転の拠点が高崎駅なのだとか:

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SL時計

そして信越本線に乗り換えて最寄り駅となる西松井田駅に到着したのが朝10時前。駅北側の高架から松井田城跡を眺めることができた。往時は全山要塞化された山城だったようだ:

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西松井田駅から眺めた松井田城跡

一方、駅の南側からは日本三大奇景の一つとされる妙義山《ミョウギサン》を見上げることができた:

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西松井田駅前から眺めた妙義山(拡大版)

今から700万年以上前に形成され、その後に風化・侵食することで険しい斜面となったらしい。ズームすると、その特異な形状がよく分かる =)

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妙義山の奇岩

こちらも同じく駅の高架から眺めることができた浅間山:

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信越本線・横川方面

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浅間山

駅北口から国道R18(松井田杯パス)へ向かう途中に大道寺家の菩提寺でもある補陀寺がある:

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曹洞宗・補陀寺

大道寺政繁公の墓所前からも妙義山をよく眺めることができた:

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補陀寺から眺めた妙義山

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裏妙義ー丁須の頭

ちなみに大道寺政繁公の供養塔は、昨年末に攻めてきた河越館跡近くの常楽寺にもある。

ここから往来が激しい国道R18沿いを歩いて、松井田城跡の登城口までぐるりと回り込むようなルートで向かった。

こちらはR18沿いを歩いていて見かけたもの。まずフジの花:

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松井田バイパス沿いで見かけたフジの花

国道R18越しに眺めた妙義山:

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松井田バイパスと妙義山(拡大版)

妙義山は白雲山(1,801m)、金洞山(1,104m)、そして金鶏山(856m)の三山からなる表妙義と、谷急山(1,162m)、烏帽子岩(1,105m)、赤岩岳、丁須の頭《チョウスノカシラ》(1,057m)、御岳からなる裏妙義を総称するものらしい:

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表妙義ー白雲山

最後は国道R18沿いに建っていた天竈朝陽《テンソウ・チョウヨウ》と古賀錦山《コガ・ギンザン》の墓碑(市指定重要文化財):

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天竈朝陽・古賀錦山の碑

二人共に江戸時代の医者であり、松井田宿で患者の診察など献身的な奉仕で多くの信頼を得たという。天竈朝陽は本名は松井安二郎と云う大坂の人で京都で医法を学んだ。天保6(1835)年に死去したあと、門人によって墓碑が建てられた。古賀錦山は九州の人で松井田宿で多くの診療に従事した。慶應2(1866)年に死去するが「天竈朝陽翁のそばに葬って欲しい」との遺言により、天竈朝陽の傍らに埋葬された。

【参考情報】

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also松井田城攻め (フォト集)
See Also大道寺駿河守政繁公墓所/大泉山・補陀寺 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤐️