久しぶりに天気に恵まれた先週末は令和4(2022)年の清明《セイメイ》の候、七年前に巡ってきた甲斐武田家終焉の地を再訪してきた。加えて、前回は訪問できなかった天目山・栖雲寺《テンモクザン・セイウンジ》に行って来た。この寺院は武田家先祖の終焉の地とされる。
七年前に巡った時は年の初めで極寒だったと記憶しているが、今回はまったくの逆で、まさに季節外れの暑さだった。そんなドライブ日和だったこともあり、この日午前中の中央道は案の定の大渋滞。途中、談合坂SAでトイレ休憩して、お昼に食べるものを物色して早速目についたのが峠の釜めし。てっきり群馬県周辺でしか手に入らないものと思っていたので、初めて実物を見たらついつい購入してしまった。まだ温かかったっけ
。
このあとは大月ICから国道R20へ下り、新笹子トンネルを出てすぐの道の駅甲斐大和に立ち寄ってから、甲斐大和駅北にある武田勝頼公之像へ。桜吹雪のなか七年ぶりの再会だった。
それから県道R218(大菩薩初鹿《ダイボサツハジカ》線)から天目山へ向けて峠を登った。途中、ナビのガイドが消えて少し焦ったが、天目トンネルを抜けて少し登ると栖雲寺があり、その前を少し過ぎたところの天目駐車場に車を停めた。
時間的にお昼だったので車中でお昼にしようか考えていたけど、せっかくなので天目山麓から峠の風景を眺めながら釜めしを食べることにした。と云うことで見つけたのが駐車場前のガードレール脇(日川渓谷の竜門峡歩道入口近く)で、なんと霊峰富士を眺めることができた:
ガードレール裏に腰掛けて、初めての峠の釜めしを頂くことに:
紐をほどいて掛紙をとり、「横川駅おぎのや」と彫られた蓋(陶磁器)を開ける:
蓋に刻まれた「横川駅」とは明治18(1885)年に開業した信越本線[a]現在は群馬県高崎駅から群馬県横川駅まで。横川駅のことらしい。開業時に構内でお弁当を販売していたのが「おぎのや」。
醤油系の出汁をつかった釜めしの上には、鶏肉や椎茸、ごぼう、筍などたくさんの具材が載っていた。買った時より冷めていたにも関わらず、一つ一つにしっかりと味が染み込んでとても美味しかった。おまけに付いていた香の物が一段と釜めしの旨さを引き出していた感じもする:
最近、東京の奥多摩でも釜めしを食べたけど、断然「おぎのや」の方が旨かった。歴史が違うね。でも奥多摩の方、よく見たら峠の釜めしの釜を使っていないか?
この掛紙にしてもしっかりと歴史がある上に、食べ終えてた空き釜で御飯を炊くこともできるし、市販品を入れてレンジで温めたり湯煎することもできるらしい:
美味しい釜めしを食べながらの富士山の眺めもよかった:
天目山・栖雲寺
山梨県甲州市大和町木賊122
ここからはオマケ。
4月という季節柄、とにかく桜の風景がすばらしかった。
こちらは新笹子トンネルを抜けた先にある道の駅甲斐大和:
いかにも峠って感じ:
こちらは甲州高尾山方面の眺め:
満開の桜:
JR甲斐大和駅:
駅周辺の桜もすばらしい:
駅北側にある武田勝頼公之像と満開の桜。桜が似合う若大将である:
近くにある中学校の校庭も桜が満開だった:
こちらが臨済宗建長寺派の天目山・栖雲寺:
南北朝時代[b]鎌倉時代と室町時代の間。に中国の元の国にある天目山で修行した業海本浄《ゴッカイホンジョウ》禅師が帰国し、甲斐武田家の招聘により開山した禅寺。
この寺は蕎麦切発祥の地らしい:
その由来は、江戸時代の宝永年間(1704〜1711年)に尾張藩士の天野信景が記した雑誌『塩尻』によるものとされる。そこには
”蕎麦切は甲州より始まる、初め天目山へ参詣多かりし時、庶民参詣の所人に食を売に米麦の少かりし故、蕎麦を練りて旅籠とせし、其後うどんを学びて今の蕎麦切とはなりし信濃人のかたりし”
とあり、開山した業海本浄禅師の渡海経歴が中国から麺類が伝えられた時代と重なったところが由緒となったのだとか。
また庫裏の裏山には禅僧の修行場として使われた「普通ではない」石庭があった:
大きな石がゴロゴロあってすごかった。ここ(有料)を観るには登山靴の方がよいかも。
帰りは、こちらも七年前に巡ってきた武田勝頼公らの供養塔がある景徳院にも立ち寄ってきた:
こちらの境内も桜が満開だった。県指定重要文化財の山門と桜:
静寂の色と桜の色がほんと「満開」な状態だった:
ということで、この時のフォト集はこちら:
武田勝頼公之像 / 2022年4月 (フォト集)
武田勝頼公墓所と景徳院 / 2022年4月 (フォト集)
甲斐天目山の戦い / 2022年4月 (フォト集)
天目山栖雲寺 / 2022年4月 (フォト集)