昨日は令和4(2022)年の立春の候を過ぎた週末、この季節一番で極寒の予報ではあったが天気が良いようなので今年初の城攻めへ。
新しい年が明けてすぐに国内のいたるところで COVID-19::Omicron の感染が急拡大し、もしかしたら関東圏には今月にも緊急事態宣言が発令されるんじゃないかと云う不安が募ってきた中、何といってもずいぶんと山城攻めがご無沙汰だった[a]記憶では、昨年は令和3(2021)年10月末が最後だったと思う。こともあって山城を探すことに。
しかしながら遠出の準備をする暇も無く、もちろん感染拡大中での移動手段も気になったので、比較的近場である東京都町田市にあった平山城を攻めることに。一つは比高70mほど丘陵上に築かれていた小野路城跡と、その近くにあった砦規模の小野路関屋城跡へ。この周辺には多摩丘陵なんかがあるようで町田と云ってもてっきり田畑が多い田舎的なエリアと勝手に想像していた 。
で今回、小野路城跡を攻めたあと次の小野路関屋城跡へ向かう際に、町田市HPの小野路宿里山交流館・周辺散策ガイドマップで公開されていた散策路を利用した訳なのだが、この辺りはどうも江戸時代の宿場町として賑わった小野路宿《オノジジュク》って意外と歴史的に知られたエリアだったようだ。どうりで小野路宿通り[b]都道R156(町田日野線)のこと。を歩いていたら風情ある建物が目についたっけ 。
と云うことで小野路城跡からほど近い町田市立野津田公園まで車で移動して駐車場[c]土日は有料。今回利用したのは西口第1駐車場。朝9時半からお昼1時半くらいまでで料金は350円(当時)。こんなご時世からか有料だからか朝9時でもガラガラだった。から出発。
駐車場を出るといきなり「小野路の一里塚」なる史跡があった:
この塚は、徳川家康が死去した翌年の元和3(1617)年に駿河国の久能山東照宮に埋葬されていた遺骨を日光東照宮へ移すための街道整備に伴って造られたと云う。この街道は、古来は「鎌倉みち」と呼ばれ、鎌倉から武蔵国の国府があった府中を抜けて上野国方面につながっていたらしい。
こちらは小野路城跡へ向かう途中で見かけた注意板。電柱の後ろに隠れているのは、いかにも昭和生まれの悪い奴って感じ:
これは城の遺構ではないけど、なんとも特徴的な地形:
さらに城跡へ向って歩いて行くと、気になる注意版があった:
気になったのは「マムシ注意」の方ではなく「SNSに載せないで!」って云う注意書き :
保全地域内の希少生物の写真や情報を SNS に掲載することにより、土地が荒らされたり盗掘などの危険にさらされる可能性がありますので、お控えください。
〜貴重な動植物への配慮をお願いします〜(東京都多摩環境事務所)
人の良心に訴える控えめな注意書きのようだが、これを尊守する(外国人を含む)人間がどれくらい居るだろうか。今のような時代、本当にこれを実現したいのであれば完全保護区みたいにしないとダメではないだろうか 。正直 SNS が悪とするのは全く合理的な主張には聞こえないし、逆に地元の奴輩の強引で身勝手な主張と捉えられないだろうか。盗むや壊す行為自体は犯罪なので。
実は、今回攻めた小野路城跡も歴史環境保全地域である:
本丸に相当する郭1跡には八雲《ヤクモ》神社が祀られていた:
全国に多くあるスサノオを祭神とする八雲神社の分祀だろうか。詳細は不明。
そして郭1跡北側下には城内の井戸としても利用されたという(伝)小町井戸があった。今でも水が湧き出ていた;
この名の由来は、平安朝のむかし、小野小町が病にかかったおり、この山に千日籠もり、この湧き水で目を洗ったところ全快したと云う伝説から。
こちらは城内にあった送電線用の鉄塔とその注意書き。でも、なぜ鷲? 鷲だと登っちゃわない?:
城の郭跡の一つが10番ホール(?)になっていた:
小野路城を攻めたあと、ガイドマップにあった散策路を経由して次の小野路関屋城へ向かった。
こちらはコース No.6 と No.5 の標柱の間にあった田畑から眺めた風景(パノラマ):
さらに見晴らし広場なる展望エリアからの眺め。ランドマークタワーが見えるとマップに書いてあったが、まったく見えなかった :
ここからさらに東を進んでいくと、(伝)戦車塹壕なる遺構があった[d]一応、Google Map に場所を申請しておいた。:
先の大戦末期、本土決戦を想定して帝国陸軍は相模湾から上陸するであろう米軍を迎撃するために、ここ多摩丘陵周辺に最後の防衛ラインを築き、小野路をあたりには戦車壕が掘られたのだとか。かって町田市内と多摩丘陵上の尾根道は「戦車道路」とも呼ばれ、相模陸軍造兵廠《サガミ・リクグン・ゾウヘイショウ》による性能テストや訓練に使われた専用道路があったらしい。
小野路関屋城跡近くには、鎌倉みちと布田道が交差する箇所に関所が建っていて切通しになっていたらしい。現在は「関屋の切通し」と呼ばれている:
一部は崩落している箇所があるようだけど、注意板とか建てなくて大丈夫なのだろうか?
説明板によると、この布田道は、かの新撰組局長・近藤勇も通ったらしい:
小野路関屋城跡の内部は大部分が竹林だった;
ちょっと奇妙な模様を持つ木。枯れ木?:
最後は、城攻めを終えて野津田公園へ戻る際に参拝しに立ち寄った小野神社:
小野路宿の入口に建つ小野神社は小野篁《オノ・タカムラ》なる国司の御霊を祀った神社。篁は平安時代前期の人で、和漢に優れた学者で、学問の神様であり、菅原道真の先輩にあたるのだとか。
戦国時代に入ると山内上杉の兵が小野神社の宮鐘を陣鐘として持ち去ったらしく、拝殿脇にある梵鐘は昭和の時代に復元寄進されたものらしい。
ということで、この時のフォト集はこちら:
こちらが今回の散策ルート:
活動時間は 03:11、距離は 6.0km、消費カロリーは 1443Kcal。