日別アーカイブ: 2021年12月19日

中華料理 光屋 − Here is not a Chinese Restaurant.

先週は令和3(2021)年の大雪の候の週末に、埼玉県川越市の東武東上線沿線附近に埋もれてしまった古城跡をいくつか攻めてきた。

一つ目は柳瀬川駅から徒歩20分ほどのところにあった柏の城跡。宅地化の波に埋もれていたが、一応は説明板が建っていた。二つ目は新河岸《しんがし》駅から徒歩15分程の新河岸川沿いにあった武蔵寺尾城跡。今は日枝神社が建っている。

そして最後の城攻めへ向かう前にお昼を摂ることにした。COVID-19 がいっこうに落ち着かない、こんな時期ではあるが、久々に地元系[a]地元の人がお客の大部分を占める御食事屋。なので自分みたいなのは外国人かエイリアンと同じ扱い :-)の中華料理店をあらかじめて探しておいた:)

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中華料理・光屋《ひかりや》

外装では、間違いなく「中華料理」と云う文字が掲げられていたが、一歩中に入るとそこは昭和の香りが漂うノスタルジックな雰囲気を持つ店だった。中華料理屋と云うよりは御食事処の佇まいである。店の中央に置かれたテーブル席の他に、一人か二人ぐらいしか座れないカウンター席、そして座敷が2カ所にあったと思う。

時間的には少し早めだったようで、自分がこの日初めてのお客だった。店に入るやテレビを見ていたおばあさんと目があって「いらっしゃい」の声をかけられた時に営業中であると認識できた:D

店の選択と注文する料理を予め決めておいたので、かなりスムーズにことが進むかと思ったが、どうやらおばあさんが料理するのではなく、おじいさんと息子さんが担当らしい。残念ながら、彼等はまだ厨房には居なかった。従って正確にはまだ営業中ではなかったことになる。まぁ、これが埼玉にある地元系の特徴の一つだ。俺とは異なる時間軸が存在している、ブラックホールのような店でもあるのだ :D

店に入って30分くらい経ち、未だお天道様が高いのに飲んだくれみたいな客が入ってくる時間になっても、一向に注文した料理が出てこない。オマケに、この店には「禁煙」と云う単語が存在しておらず、飲んだくれで大声出す客が吐く危険きわまりない煙にむせそうになりながら、感染防止でマスクしていて助かったと思ったものだ :D

そろそろ煙と大声に飽き飽きしそうになってきた頃に、おばあさんが「ごめんなさいね。遅くなって。」と一言添えて出してきたのが、そう自分が35分前に注文したラーメン餃子セット(850円)だ:

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ラーメン餃子セット(850円)

この店のメニューには「当店のおすすめ特製餃子、是非一度お試しを・・・!!」って書かれていたっけ。試すにしては多少、勇気が必要だったが :D

しかし、そんな心配は無用だった。しっかりと餡が詰まっていて肉汁も申し分なく美味かった:

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特製餃子

さらに支那蕎麦のようなラーメンも美味しかった。鶏ガラのスープをしっかりと飲み干して体が温まった:

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スープを飲み干したあとの丼

注文してから出てくるまでの間、何度か注文をキャンセルして店を出ようか悩んだが待っていて良かった。そんな感想がでるラーメン餃子セットだった。しかし、後ろで煙草の煙を吐きながら大声で話している酔っぱらいは叩き出してやりたかったが :X、こちらも我慢して良かった[b]駅のホームで見たポスターの藤岡弘、に怒られそうなので。

中華料理 光屋《ひかりや》
埼玉県川越市砂977-3


ここからはオマケ。

こちらは柏の城跡西の曲輪跡で見た長勝院旗桜《ちょうしょういん・はたざくら》。県内でも有数の巨木の桜で、推定樹齢は400年以上とされ、柏の城の歴史を語る生き証人として大切に保護・保存されているとのこと:

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長勝院旗桜

そして色鮮やかな銀杏がある武蔵寺尾城跡の日枝神社境内の風景。正面のお堂は天台宗・新河岸観音堂:

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日枝神社境内(拡大版)

こちらが日枝神社と新河岸・愛宕神社、そして新河岸・厳島神社:

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新河岸・日枝神社

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新河岸・愛宕神社

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新河岸・厳島神社

新河岸駅へ向かう途中で見かけたピラカンサ[c]バラ科でトゲを持つので防犯上、玄関に植える家が多いらしい。

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ピラカンサ

光屋で昼食を摂ったあとは新河岸駅から霞ヶ関駅(埼玉県)へ向かい、国指定史跡に指定されている河越館跡(史跡公園)へ。

これは関東管領・山内上杉氏の時代に館の周囲に巡らされた土塁らしい:

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史跡公園の西側に

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残る中世時代の土塁

こちらは史跡公園近くにある常楽寺と、山門前にある六地蔵様:

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本堂

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山門前の六地蔵様

ここ常楽寺は河越館の主である河越重頼《かわごえ・しげより》の開基であり、征夷大将軍・源頼朝の命令で、彼の弟である義経に娘を嫁がせた。しかし、それにより兄弟の対立に巻き込まれ、逆に謀殺された御家人。

こちらは平成の時代に建てられた重頼公供養塔と、彼の娘で京姫こと郷御前《さとごぜん》と夫である源義経公の供養塔:

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河越重頼公・京姫・源義経公供養塔

他に、関白秀吉による小田原仕置後に戦争責任を問われ切腹となった河越城主/松井田城主・大道寺政繁公の供養塔がある[d]一説に御腹を召した所がここ河越館だったらしい。

最後は河越館跡の脇を流れる荒川水系一級河川の入間川[e]往時、入間川沿いにはたくさんの城や砦があった上に、江戸時代は重要な交通網を担った。

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入間川

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江戸時代は水上交通の要だった

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also柏の城攻め (フォト集)
See Also武蔵寺尾城攻め (フォト集)
See Also河越館攻め (フォト集)
See Also常楽寺と大道寺政繁公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 地元の人がお客の大部分を占める御食事屋。なので自分みたいなのは外国人かエイリアンと同じ扱い :-)
b 駅のホームで見たポスターの藤岡弘、に怒られそうなので。
c バラ科でトゲを持つので防犯上、玄関に植える家が多いらしい。
d 一説に御腹を召した所がここ河越館だったらしい。
e 往時、入間川沿いにはたくさんの城や砦があった上に、江戸時代は重要な交通網を担った。

小田原散策 2021 − Went for the Last Walk of This Year in ODAWARA.

今月は令和3(2021)年の大雪の候少し前の週末に、今年4回目にして最後の小田原市内の散策へ。こうも何度も小田原まで足を運んだ目的は、今から431年前の天正18(1590)年に関白秀吉が西国の大名ら率いて小田原北條氏が籠もる小田原城惣構《おだわらじょう・そうがまえ》を包囲した時の、秀吉方の諸将らの陣場跡を見て回ってくることであった。まぁ、さすがに相模湾封鎖時の諸軍勢[a]脇坂安治、九鬼嘉隆、菅達長、小浜隆景、間宮高則、長曾我部元親、そして加藤嘉明らの船団。の陣場を見てくることはできないので陸の上の軍勢だけ :)。ただし遺構なんてものは期待するほど無かったけど。

ということで2021年、小田原最後の散策は惣構の北西あたりに布陣したとされる宇喜多秀家や羽柴秀次ら[b]他には一柳直盛、山内一豊、堀尾吉晴、中村一氏、織田信包《おだ・のぶかね》、そして細川忠興。の陣場跡を見て回ってきた[c]と云っても、ほとんどが立ち入り出来ない場所だったので遠くから眺めるって感じだけど。

この日のスタートは小田原市荻窪[d]往時の小田原城惣構の荻窪口近く。にある辻村植物公園前。朝9時半くらいに小田和駅西口から伊豆箱根バス・いこいの森行きに乗って辻村植物公園前で下車すると、停留所の前が植物公園:

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辻村植物公園

さすがに早いのか誰も公園内を散策している人は居なかったが :D[e]後で分かったのだけど、実はそうではなく公園の周辺には多くの人が居たのでした。、この公園は梅林が有名らしい。ちょっと時期外れだったけど:

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梅林

こちらは公園の駐車場。左手にみえる丘陵(尾根筋)上が羽柴秀次の本陣跡:

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辻村植物公園の駐車場

この尾根筋を分断して架けられた鉄橋「こもれびの橋」と、別の意味にとってしまいそうな注意書き:

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こもれびの橋

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「夜間のご利用をお控え下さい」

この橋と反対側へ歩いていくと太陽の丘と云う広場がある:

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大小さまざまな石が林立する広場

ちょっと不思議な広場:

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太陽の丘(拡大版)

ユーカリノキやホソイトスギに囲まれた広場:

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これらの石は何を意味するのか?

そして石で出来た巨大な椅子?みたいなオブジェがあったり:

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このオブジェ何を意味するのか?

案内図や説明板が無く、これらをどう受け止めればよいのか少し混乱したので正直なところ落ち着くどころではなかった :D

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新手のUFO交信所?

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青い空が清々しい

ちなみに橋の向こう側は小田原こどもの森公園・わんぱくらんどなる広大な公園があり、こちらの駐車場は早くも満車だった:

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小田原こどもの森・わんぱくらんど

次は宇喜多秀家の本陣跡を目指して、辻村植物公園の南側へ向かったが、その途中、Forest Bike と云う森の中に MTB 向けのコースがあるエリアがあった。こちらは多くの人がライディングしていた:

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Forest Bike

都市ではなく自然の中で楽しむスポーツらしい:

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レンタルも可能

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森の中で MTB を楽しむ

よく見ると初心者用から中上級社向けの本格的なコースがいくつかあった:

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本格的なコース

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初心者コース

こんな感じで楽しめるエリア:

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そばにインストラクターも居た

さらに進むとトレッキングコースに分岐する。ただ、ここも Forest Bike のコースがあるんだけど特に案内板には記載されていないので注意する必要あり:

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案内板

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この先は人は立ち入り禁止

こんな感じの坂を上る。周囲は Forest Bike のコースの他に辻村植物公園の一部で梅林があった。ここは MTB コースではないけど面白い形をしていた:

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ここは私道?

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なんとなく土橋っぽい

まだまだ紅葉が綺麗な季節だった(この辺りが宇喜多秀家本陣跡):

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右手下はダートコースだった(拡大版)

さらに急坂を登った先には広大な斜面に太陽光パネルが設置されていた(立入禁止):

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右手上に太陽光パネルがある

そこから先は行き止まりだったので来た途を戻ろうとするとけたたましい音が聞こえたので上空を見上げてみると CH-53系の輸送ヘリコプターが飛んでいた:

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CH-53系ヘリコプターは何処へ?

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米海兵隊のCH-53E?

再び辻村植物公園前まで戻り、今度は荻窪集落あたりをぐるりと周って戻ってくるコースを散策。こちら側には山内一豊や堀尾吉晴らの本陣跡がある。
しかしながら、公園から少ししか離れていないのに道路脇の森林はゴミの不法投棄が多く、全く酷いものだった :(

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両側の森林はゴミだらけ

ちなみに、このコースの先にある分岐点は、先日これまた陣場跡巡りしてきた羽柴秀勝や黒田官兵衛らの本陣跡へ向かう道に合流する。

山内一豊の本陣跡あたりは眺望が開けており、小田原城本丸周辺を眺めることができる場所だった(この下が堀尾吉晴の本陣跡):

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小田原城本丸方面の眺め(拡大版)

Amazon.JP の小田原FCも見えた[f]特に意味はないけど目に入ってきたので 😐 。

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Amazon JP 小田原FC

さきほど立ち寄った太陽の丘の脇を通って再び辻村植物公園へ戻ってきたら、今度はバスで来た時とは逆に山を下り、毘沙門橋を渡って水之尾集落方面へ:

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毘沙門橋

このあたりもトレッキングコースの一部らしいが、すれ違った人は居なかった:O

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案内板

ここからは国道 R271(小田原厚木道路)へ向ってひたすら下るだけだけど、その途中からの眺望は抜群に良かった。例えば、こちらは小田原城三の丸外郭新堀土塁附近の眺め。この土塁の左手奥が本丸跡(現在の小田原高校):

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小田原城方面の眺望(拡大版)

一方、こちらは先日行って来た箱根・箱根湯本方面の眺め:

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箱根方面の眺望(拡大版)

徒歩だと、国道 R271 の小田原西 IC を迂回する必要があるのでちょっと遠回りになるけど国道 R1 に入ったら、あとはみちなりに歩いて箱根登山鉄道の箱根板橋駅を目指す。

その途中、小田原行きの小田急1000形(赤)を目撃したり:

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赤い小田急1000形

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小田原行き

さらに途中、富士山陣城跡にも立ち寄ってきて意外と体力を消耗したが、なんとか無事に箱根板橋駅へ到着:

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箱根板橋駅

ざっと3時間程、9.3kmほど歩いてきた 8)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(4) (フォト集)

参照

参照
a 脇坂安治、九鬼嘉隆、菅達長、小浜隆景、間宮高則、長曾我部元親、そして加藤嘉明らの船団。
b 他には一柳直盛、山内一豊、堀尾吉晴、中村一氏、織田信包《おだ・のぶかね》、そして細川忠興。
c と云っても、ほとんどが立ち入り出来ない場所だったので遠くから眺めるって感じだけど。
d 往時の小田原城惣構の荻窪口近く。
e 後で分かったのだけど、実はそうではなく公園の周辺には多くの人が居たのでした。
f 特に意味はないけど目に入ってきたので 😐 。