日別アーカイブ: 2021年12月13日

そば処・寿庵 − Their Katsudon seems to be just a little bit difference.

先月は令和3(2021)年の立冬の候を過ぎた週末、すこし前に集め始めた「巡礼!戦国北条カード」なるコレクション・カードの最後の一枚を手に入れるため箱根町立郷土資料館へ行って来た。

さらに先日観てきた『開基500年記念 早雲寺−戦国大名北條氏の遺産と系譜−』に展示品を提供し、小田原北條氏五代の墓所(供養塔)が通年で公開されている早雲寺[a]てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。にも足を運んできた。郷土資料館から徒歩で15分ほどだった。

それから再び小田原へ向かい、今から430年くらい前の関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣勢の陣地跡を巡る予定だったので小田原駅東口[b]利用するバスが伊豆箱根バスだったので。周辺でお昼を摂ることにした。

で、こののところ三たび(?)、七年前に初めて小田原城跡を攻めたあとにお昼で刺身定食を頂いた居酒屋へ行ってみたけど、未だ開店しておらず、さらに家族連れの行列ができていたので、今回もやむなく諦めることにして:$、バスの時間に間に合いそうな御食事処を探していて見つけたの蕎麦やうどん、さらには丼ものあるし、昼間からお酒も飲めるお店

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そば処・寿庵

このそば処は、東海道本線[c]当時は熱海線。の終着駅として小田原駅ができた大正9(1920)年の創業という老舗らしい。このあとの午後はけっこう歩く予定だったのでいちばんに御飯ものを選択。ただ老舗のお蕎麦も食べたかったので+300円して丼と冷たい蕎麦の合せにした ;)

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カツ丼と冷たい蕎麦の合せ(930円+300円)

メニューには「そば屋のカツ丼は一味違います。」って売り文句が書いてあったので注文してみた。まずカツと同じくらい大きなタマネギ。タマネギ好きとしては高得点。タマネギの甘みに塩っぱい醤油ダレがいい具合で合っていた 8)。とんかつはヒレ肉か何かで柔らかかったの比べ、逆に蕎麦はいたって普通。正直なところ老舗っていう程の特徴は見つからなかった。俺的には前の週に食べた店の方が美味かったと云う感想 :X

そば処・寿庵
小田原市栄町2-1-26


ここからはオマケ。

この日の箱根湯本は天気が良かった:

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箱根湯本駅と箱根町塔之澤(拡大版)

箱根の観光風景:

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早川と箱根の山並み(拡大版)

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国道R1沿いの土産ロード

箱根町郷土資料館へは、まず「あじさい橋」を渡る:

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あじさい橋

渡った先に案内板兼展示紹介が置かれていた。当時の特別展示は、やはり渋沢栄一関係:

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箱根町役場方面へ

こちらが郷土資料館。眼の前に町役場がある:

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箱根町立郷土資料館

観覧料(300円/当時)を払って特別展を観てきた。ここでは早雲寺を開山した以天宗清《いてん・そうせい》像のカードを入手[d]資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。し、これで全七種のカードが揃うことになった:

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とうとう全て入手した「巡礼!戦国北条カード」

ここからだと箱根町役場の脇にある階段を使って早雲寺へ行くのが最短ルートらしい:

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早雲寺への近道

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箱根町役場

最短ではあったが坂を登ったり降ったりする必要がある :O

早雲寺へ向かう途中にあった早雲寺林。公園化されておりヒメハルゼミと云う貴重なセミが生息するらしい:

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早雲公園

こちらが早雲寺の惣門(山門)。東海道沿いから:

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早雲寺の惣門(山門)

東海道を挟んで眼の前に建っているのは箱根・花紋と云う温泉旅館。なぜか天守閣のような外観だった:

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箱根・花紋

惣門をくぐって進むと早雲寺の境内に至る。境内はまさに紅葉のまっただ中だった:

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早雲寺の境内(拡大版)

早雲寺は、はじめ秀吉の本陣が置かれた場所であるが、石垣山城が出来て移ったあとは焼き払われてしまった。今の早雲寺は江戸時代に復興されたもの。

ところ変わって、こちらは小田原市内の久野というところを流れている山王川。この川を境に、往時は豊臣勢と小田原北條勢が対峙した:

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山王川

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山王川

この下流に徳川家康らの陣場跡がある。位置関係としては、ちょうど左手に豊臣勢が布陣、右手が小田原勢が籠もる惣構って感じ。

ここから小田原城惣構に食い込むように布陣したのが蒲生氏郷らの軍勢で、氏郷は神山神社《こうやま・じんじゃ》附近の高台に本陣を置いたらしい:

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神山神社

特に氏郷らが本陣を置いた遺構は残っていないが、昭和2(1927)年に奉納された魚雷が展示されていた:

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45cm四四式二号魚雷

この由来によると、神社関係者が戦前に旧日本海軍から譲り受けたものらしい。明治44年制式45cm弐号魚雷とのこと:

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意外としっかりとした魚雷だった。ネジ穴は水中の抵抗を考慮したもの:

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ネジ穴は涙滴型

このあとは黒田官兵衛勢の陣場跡だった高台へ登ってきたが、その周辺は小田原ではおなじみの柑橘系の畑が多かった:

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大きなミカン

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ミカン畑

ホント、ミカンだらけ:

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ミカンだらけ

黒田官兵衛が本陣を置いたあたりから小田原城本丸方面の眺め:

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北條氏時代の小田原城本丸方面(拡大版)

蒲生や黒田らは小田原城惣構を北西側から見下ろすような高台に本陣を置いていたらしい。

この辺からの眺めは抜群だった 8)

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小田原市街地の眺望(拡大版)

こちらは小田原城跡とは反対側の眺め。奥に聳えるのは丹沢連山:

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丹沢方面の眺望(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 早雲寺と北條五代の墓所 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 北條幻庵屋敷跡 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(1) (フォト集)

参照

参照
a てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。
b 利用するバスが伊豆箱根バスだったので。
c 当時は熱海線。
d 資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。