先月は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候近くの週末に、またまた小田原へ。この日も(前週に続いて)関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣方の諸将が布陣したとされる陣場跡を中心に歩いてきた。
午前中は、七年前に攻めた石垣山城の麓あたりで秀吉本陣の前衛として布陣していた諸将らの陣場跡を巡ってきた。そのあとは早川を渡って小田原北條氏が築いた惣構の遺構へ立ち寄ってから徳川時代の小田原藩主・大久保家の菩提寺を参拝して箱根口跡あたりまでぐるっと散策してきた。
午後も小田原から足柄まで移動して豊臣勢の陣場跡を巡ってくる予定だったので、お昼を早々に摂ろうと、この間に続いて再び手打ち蕎麦屋へ 。こうも頻繁に同じ街へくると、なんだか悩みながら店を選ぶのが億劫になってきたことは否めない
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で、この日は初心にかえって(?)ミニ天丼と盛りそばのセットメニュー(1,270円)を選択:
ミニ天丼には中サイズの車海老、カボチャ、ピーマン、イカの温かい天ぷらが載っており、何度も同じ店で感想を出すのもなんなんだけれど、安心して食べれる上に普通に美味しい。これが一番かもしれない 。
手打そば処 田毎
神奈川県小田原市本町1-6-20
ここからはオマケ。
まずはJR早川駅から一夜城城通りにそって海蔵寺へ:
海蔵寺は、秀吉本陣の前衛を任された一人で小田原城包囲中に陣没した堀久太郎秀政公の供養塔[a]この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。がある:
石垣山一夜城歴史公園へ向かう坂道は太閤秀吉にあやかってか「出世道」なんて名前がついているらしい:
しかし小田原市は、小田原北條氏からみれば敵《かたき》にあたる関白秀吉をいやに持ち上げている感がするな 。
出世道沿いには小田原城包囲戦に関する説明板が立っていた[b]しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。:
この説明板、よく見ると「石垣山に参陣した」って書いてあるけど秀家の本陣は石垣山ではないし、政宗の軍勢は包囲軍には参加していないけど・・・ 。
こちらは細川幽斎とその息子の忠興が北條勢を蹴散らして陣を置いたとされる富士山陣城《ふじやま・じんじろ》跡[c]遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来た。と、その麓を走る小田急の箱根登山線:
このあたりは猿が出没するらしい:
こちらは小田原城本丸方面の眺め;
位置的に、北條氏政が篭っていた本丸が正面あたり(現在の小田原高等学校附近)、右手に見える現代の天守閣が建っている場所は北條氏直が篭っていた御殿跡だったとされている。
ともあれ、石垣山に布陣していた豊臣勢から小田原城は「丸見え」だったと云える。
もう少しズームさせて、近世城郭の小田原城本丸・二の丸・三の丸あたりの遠望がこちら:
こちらは里見義康や小早川隆景らの陣場跡がある方面:
のちに豊臣政権で五大老の一人となる小早川隆景が本陣をおいたあたりから小田原城を見下ろしたところ:
こちらは小田原城惣構の早川口遺構の一部:
最後は、小田原藩主だった大久保家の菩提寺・大久寺境内に咲いていた御会式桜《おえしきざくら》:
ということで、この時のフォト集はこちら:
堀秀政公供養塔 / 堀秀政公墓所(2) (フォト集)
小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(2) (フォト集)
小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(3) (フォト集)
小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 早川口遺構 (フォト集)
小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 箱根口遺構 (フォト集)
大久保家菩提寺の大久寺 (フォト集)