日別アーカイブ: 2021年6月19日

とんかつ とん作 − This is a Pork Catlet of Yamanashi Pref.

先週末は、令和3(2021)年の水無月もそろそろ中頃にさしかかりそうな日に[a]「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。、山梨県甲州市の恵林寺にある武田信玄公の墓所を参拝してきた。墓所は公の月命日にしか公開されていないとのことで、梅雨入り前で晴天の週末はこの日しかなさそうだったので COVID-19 感染防止を十分に意識しながら行って来た[b]とはいえ特急あずさ3号(全席指定)は結構な満席だったし、塩山駅前から恵林寺方面のバスも立つ人が多くて、どうみても「移動自粛」って感じではなかったっけ 😐 。

恵林寺から塩山駅へ戻ってきて、せっかくなのでお昼を食べてから帰ろうと思い、即行で探してみたら駅北口の少し先にとんかつ屋を発見。時間も時間なんで混雑しているじゃないか少し心配だったが、とりあえず行ってみることに:

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とんかつ とん作

暖簾の先が見えないので心配だったけど、とりあえず入ってみたらそれ程ではなかった:)。見た感じは街によくある「普通のとんかつ屋」だった。

手を消毒したら席へ通してもらう前に、(恵林寺の茶屋同様)山梨県独自の感染対策に従って氏名と連絡先を記入させられる羽目に。こう云うのをお客に理由も説明せずに強制するのが理解できない :/。感染が落ち着くまで山梨県では食事しない方が良いようだ。

で、席はご自由にって云われたが既にカウンターは埋まっていたので、座敷がある奥の部屋のテーブル席へ。ちゃんと対面型のアクリル板が置いてあった。

メニューを見ると、これまた「普通のとんかつ」ものしか並んでいなかった[c]呑みもあるようで、マグロの刺し身とかあったが。。特に肉とかソースとか売りの店って訳ではなく「普通のとんかつ屋」だった :O。ということで普通のロースとんかつ定食(1,300円)と中瓶ビール(550円)を注文した:

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「普通のとんかつ」の前に

アサヒビールだけどコップはキリンビール。枝豆は冷蔵庫から出したっぽく冷たくて干からびていた :(

そして普通のとんかつ屋の普通のロースカツ定食の登場:

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「普通の」ロースとんかつ定食(1,300円)

市販品のソースをかけて頂いた。あまりの普通レベルで味は全く覚えていないし、特に印象にも残らずお腹が落ち着いただけだった。ふm、これが山梨県のとんかつか。これなら関東圏にあるチェイン店の方がマシだな。

このあと自分が食べていると数名のグループが入ってきて、自分と同じ部屋の奥にある座敷で大声出しながら酒を飲みはじめた。つまみは「普通のとんかつ」ではなくマグロ刺し[d]もしかして締めが「普通のとんかつ」?。カロリー高ぇな。 。名門の甲斐武田家が滅んで、ここまで民レベルが落ちていたとは・・・:P

と云うことで食事し終わったら早々に店を出てきた。

とんかつ とん作
山梨県甲州市塩山上於曽1119


ここからはオマケ。

恵林寺を参拝したあとに茶屋で一服し帰りのバスが来るまでの間を利用して、「信玄のみち」こと県道R38を挟んで向かいにある信玄館(御土産・御食事処)へ。ここには店の開館33周年+武田信玄公生誕500年を記念して、もともと置かれていた信玄公像をクラウドファンディングを利用して今年の4月に「黄金色にお色直し」したらしいのだ:

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お色直しされた武田信玄公坐像

なぜ「黄金色」なのかは、その昔に甲州市塩山には金山があったことが理由の一つらしく、他に COVID-19 感染拡大中の今、見に来てくれた人が「元気になる」、「希望が湧いてくる」ようにしたかったのだとか:

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黄金の武田信玄公

確かにブロンズ色よりは金色の方が信玄公が「凛々しく」見えるな :D

これは店の前にたくさん置かれていた紫陽花の鉢植え:

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紫陽花の鉢植え

この他にも山本勘助不動尊なる場所に立ち寄ってきたが、不動尊そのもを拝見することは出来なかったので案内板からの写し:

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勘助不動尊

こちらも信玄公の坐像だけど、これは塩山駅北口に鎮座していたもの。諏訪法性の兜を付けていない、まさに「御屋形さま」って感じがとても良い:

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武田信玄公之像

最後は塩山駅の駅舎で見かけたツバメの巣。階段上を見ると結構たくさんあって「糞に注意」って貼ってあったな:

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ツバメの巣

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also恵林寺と武田信玄公墓所 (フォト集)
See Also山本勘助不動尊散策  (フォト集)

参照

参照
a 「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。
b とはいえ特急あずさ3号(全席指定)は結構な満席だったし、塩山駅前から恵林寺方面のバスも立つ人が多くて、どうみても「移動自粛」って感じではなかったっけ 😐 。
c 呑みもあるようで、マグロの刺し身とかあったが。
d もしかして締めが「普通のとんかつ」?。カロリー高ぇな。

恵林寺・一休庵茶屋 − Is This also Buddhist Vegetarian Food?

先週末は、令和3(2021)年の水無月もそろそろ中頃にさしかかりそうな日に[a]「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。、ふとこの週末は信玄公の月命日であることに気がついた。

先日『生誕500年・武田信玄の生涯』を鑑賞しに山梨県まで足をのばしてきたが、その帰りに恵林寺を参拝しようとHPを眺めていると「墓所は通常非公開(毎月12日のみ特別公開)」って小さく書いてあるのを見つけ、この日は月命日ではなかったから仕方なく諦め、いつか週末が命日にあたることを思い出したら行ってこようと記憶していたばかりであった。うっかり忘れていなくて良かった〜 :)

さらに関東圏も週明けには梅雨入りするとのことで、晴天が期待できるこの日に山梨県甲州市まで。最寄りの塩山駅前から恵林寺までバスが出ているようなので、其の時刻に合わせて予定を立てたら結局は前回の山梨県訪問と同じ時間帯での移動になった :|

ということで前回同様に特急あずさ3号に乗り込み、人生で初めて下車した塩山駅南口にあるのりば1番から山梨交通・窪平線のバスに乗車。COVID-19 感染拡大中のこの時期にしては大変な混みようで驚いたが、その殆どがハイカー連中だった[b]結局、恵林寺で降りたのは俺だけ 😈 。

恵林寺に到着したのは朝9時半前。帰りも同じ路線を利用するつもりだったので、ざっと二時間くらいは散策できる計算。

残念だったのが信玄公墓所の他に武田家家臣の墓所はもちろん、ここ「甲州市一押し」の柳沢吉保《やなぎさわ・よしやす》公の墓所なんかは墓前には進めず遠くで眺めるのみだった。

と云うことで見て回れるところを一通り観ていたら段々を拝観者が多くなってきたので、予定よりだいぶ早いけれど「風林火山」退散することに。帰りのバスを待つ間、宝物館近くにあった(青空スタイルの)茶屋で一休みすることにした:

恵林寺・一休庵

この茶屋は境内にある精進料理の御食事処の系列のようだ。こちらの店で豚一家は完食していたようだった :D

この日は朝食は朝6時で、午前中はさんざん歩き回ったので小腹が空いてくる時間であったけど、お昼は塩山駅周辺で食べる予定だったので軽食で。お客が全く居ない中、暖簾に書いてあった「武者だんご」の文字が気になったので六種類ある団子から「よもぎだんご」(120円)を注文。ちなみにお茶は無料:

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よもぎだんご(120円)

団子やお餅は自家製らしい。たしかに形が様々で、結構冷たかったが硬いと云うほではなく暖かいお茶にすごく合った。残念だったのは餡が乾いていたこと :O

団子好きの自分としてはこれ一本ではモノ足りず、結局追加することにした :D

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しょうゆ(上)とあんこ(下)(共に120円)

「しょうゆ」と「あんこ」と云う定番団子を注文したら、団子は焼いてくれたようで温かく餅感がアップしていた。このままいくと武者団子全種を制覇しそうな勢いだったけどバスの時間も近くなったので「ごちそうさま」してきた。

店を切り盛りしていたおばちゃんと少し話をしたけど、山梨県ではCOVID-19の感染対策している店を認証する代わりにお客には個人情報(氏名と電話番号)を記入してもらうルールらしく、それを強制するのが辛いらしい。確かにね。「適切に管理される」って何をもって安心できるのか全く理解できないねぇ :/

恵林寺 一休庵
山梨県甲州市塩山小屋敷2289-2


ここからはオマケ。

恵林寺は自分も初めて参拝した。COVID-19 感染拡大中でなければ大勢の観光客で賑わう観光名所だろうけど、今時期はホント人が少なかった。まぁ、そのおかげでゆっくりと参拝できたのだけれども :P

こちらは恵林寺境内で観た見事な松:

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県指定文化財の三門(附棟札一枚):

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恵林寺三門 (拡大版)

門柱と門前には「心頭滅却せば火自ずと涼し」の偈《げ》と記されている。甲斐武田家が滅亡した後も織田家に恭順しなかった恵林寺は、信長に反抗した旧幕臣ら[c]一説に近江国の守護・六角義堅(号して承禎)の子・義定が居るらしい。恵林寺境内には六角承禎その人とあった。を匿い、引き渡しを拒否したため焼き討ちされた。

信玄公より恵林寺へ招かれた快川紹喜《かいせんじょうき》国師は一山の僧らとともに焼死した。この偈は快川国師の辞世と伝わる。

三門屋根の棟には武田菱が掲げられていた:

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恵林寺三門

門の奥に見えるのは市指定文化財の開山堂:

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恵林寺開山堂

恵林寺に貢献した三人の僧侶の像が安置されているが、当時は補修のため見ることは出来なかった。

三重塔は仏舎利塔。後世の建物:

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仏舎利塔

拝観窓口がある庫裡:

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庫裡

拝観窓口には大きな猫が寝ていたけど、どうやらこの「野良猫くん」だったようだ:

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大人しかった野良猫くん

本堂前にある方丈庭園は枯山水の庭:

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方丈庭園(拡大版)

本堂に置かれていたアマビエの像:

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アマビエ像

そして最後は武田信玄公の墓所:

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武田信玄公墓所

元亀3(1573)年の三方ヶ原合戦で三河の徳川家康を叩きのめした後に病状が悪化、信濃の駒場にて没した。三年の喪が明けた後に快川国師により恵林寺で葬儀が行われたと云う。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also恵林寺と武田信玄公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。
b 結局、恵林寺で降りたのは俺だけ 😈 。
c 一説に近江国の守護・六角義堅(号して承禎)の子・義定が居るらしい。恵林寺境内には六角承禎その人とあった。