月別アーカイブ: 2019年5月

帯広ぶた丼 − An OBIHIRO Grilled Pork Rice Bowl at KANAGAWA.

個人的に、史上初の10連休の余韻が今だに残る先週末は令和元(2019)年5月中、自宅から電車で一本と云うローカルな場所にある城攻めへ。
実のところ、連休が終わってからの週末は大河ドラマの再放送(二話連続もの)を観てしまう習慣ができてしまい、日曜日は朝早くから移動するのことが無くなったことに加えて、近場にある城跡はほとんど「攻め落としてしまった」[a]もちろん規模の大小や遺構の有無の違いはあるが。ことも一因ではあるのだけど :|

と云うことで大河ドラマを見終わったあとに自宅を出てJR南武線の稲田堤駅で下車し、そこから歩いて川崎市が管理する多摩自然遊歩道の中にある城跡へ。この城跡周辺は小沢城址里山の会というボランティアの方が整備して下さっていて何の不自由もなく[b]城攻めの最中にボランティアの方に出会い、いろいろお話を頂いた。自分らが城攻めできるのはボランティアの方々のおかげということで 😉 。城攻めすることができた。城攻めを終え京王よみうりランド駅から京王相模原線で今度は京王稲田堤駅で下車し、再びJR南武線に乗り継ぐ。この駅は京王線とJRの乗り換え案内があるけど「乗り換え」って感覚の連絡距離じゃないよねぇ、どう歩いても :/

それから午後に攻める城跡へ向かうために登戸で小田急小田原線に乗り換えて、これまたお隣の向ヶ丘遊園駅で下車。城跡のある生田緑地公園へ行く前に駅ちかにある「帯広ぶた丼」って云うお店で腹ごなししてきた:

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帯広ぶた丼

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全てを喰らえ!

店に入ると、どこぞの牛丼チェイン店みたいに券売機があり、U字型のカウンターがあった。お昼時は過ぎていたからか自分の他に先客は一人だけ。豚バラや豚ロースなどの他に大・並・小とサイズの違いがあって迷ったけど、あっさり系で「ぶた丼(ロース)並」(650円)にした。

カウンターに座って食券を渡すと、店員からタレの味[c]「醤油タレ」、「生姜」、「ニンニク」の三種類。とタレの量を聞かれた。初めてなので「醤油」タレで量は普通で注文した。

10分ほど待って出てきたのがこちら:

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ぶた丼(ロース)並 + 醤油ダレ (650円)

タレの量が普通の割りには飯がびしょびしょだったけど悪い味ではない。お肉も柔らかいし、量も普通だし、山椒で風味を変えたりして食べることができた。本物の帯広ぶた丼の肉の厚さには及ばないものの、この値段ならこんなものかとも :)

あとで調べてみたけど、その昔に食べたのようにチェイン店ではなさそう。

帯広ぶた丼
神奈川県川崎市多摩区登戸2066-103


ここからはオマケ。

こちらは稲田堤駅から三沢川沿いに歩いていくと多摩自然遊歩道の三沢川入口があるが、そこから撮った小沢城址の遠景:

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小沢城址と三沢川

三沢川入口から登る多摩自然遊歩道は尾根道で、両側が急斜面になっていた:

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多摩自然遊歩道

小沢城址の主郭跡が現在の浅間山にあたる:

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浅間山

井戸跡:

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水は枯れていた

物見台跡の西側には大きな堀切跡があった:

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堀切跡

馬場跡に造られた馬場公園からは東京都稲城市、府中市あたりを眺望できた:

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小沢城址からの眺望(拡大版)

こちらは京王よみうりランド駅のホームからの眺め。結構に眺めがよい:

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京王よみうりランド駅ホーム

帯広ぶた丼を食べたあとに向かった先が生田緑地公園内にある城跡。ここが公園の北口:

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生田緑地公園北口

ここには長者穴横穴墓群なる史跡が残っていた。鬱蒼とした杜の中にあるので、ちょっと不気味な感じがした:

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「長者穴横穴墓群の位置」(拡大版)

こちらが、その一つ:

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長者穴横穴墓群

こんな階段をしばらく上って行くことになる。階段は約360段とのこと:

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遊歩道

すると小高い場所に飯室山広場なる削平地に到着する。ここには展望台が建っていた:

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飯室山広場の展望台

新宿・渋谷・品川方面の眺望:

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展望台から眺望(拡大版)

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東京スカイツリー

さらに遊歩道を進んでいくと、今度は枡形山広場に到着する。ここにはエレベータ付きの展望台が建っていた:

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枡形山展望台

ちょっと城跡とはかけ離れた雰囲気を醸し出していた:

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枡形山展望台

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枡形山展望台

展望台からの眺望:

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新宿副都心方面(拡大版)

この広い敷地には展望台の他に幼児用の遊具、トイレ、ベンチ、そして自販機などがあり大勢の家族連れや学生らが楽しんでいた。と云うか、ただの普通の公園だった :O

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枡形山広場

「枡形門」と掲げられた冠木門。こういう間違いは早々に正した方がよいと思うが。。。:$

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「枡形門」ではなく「冠木門」

いろいろ歩き回っていた時に枯葉の中に埋もれた猫を見かけた。最初は死んでいるのかと思ったら、寝ていただけだった :D

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寝ていた野良猫

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起きた野良猫

こちらは城攻めを終えて麓のお寺で見かけた猫:

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立ち去る野良猫

こちらは北野天神社。別名は韋駄天神社:

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北野天神社

結構な高さと長い階段:

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北野天神社の参道(上り)

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北野天神社の参道(下り)

最後は北野天神社の境内で目撃した鳩:

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人間が近くに居るのに

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食べるのに夢中な鳩

この時のフォト集はこちら:

See Also小沢城攻め (フォト集)
See Also枡形山城攻め (フォト集)

参照

参照
a もちろん規模の大小や遺構の有無の違いはあるが。
b 城攻めの最中にボランティアの方に出会い、いろいろお話を頂いた。自分らが城攻めできるのはボランティアの方々のおかげということで 😉 。
c 「醤油タレ」、「生姜」、「ニンニク」の三種類。

うどん・そば処 勢川本店 − Another TOYOHASHI Local Curry-Udon.

我が人生で初の「国民の祝日」10連休の中、遂に新しい令和の時代が始まった今月は令和元(2019)年5月初めに、GW恒例の城攻め第二弾として一泊二日の日程で愛知県と静岡県へ。
福島県での城攻め旧跡巡りした第一弾とは打って変わって青空が広がる晴天で、梅雨はこれからと云う晩春とは思えない暑さの中を今回も例にもれず歩きに歩いてきた。

初日は四年前に愛知県の長篠城跡を攻めた際に時間の都合で一部しか行けなかった武田軍の砦跡を巡ってきた。この日は早起きして、まずは新幹線で愛知県は豊橋へ移動、それからJR飯田線に乗り換えて新城市へ。ここからは四年前で歩いたルートを辿りながら鳶ヶ巣山(とびがすやま)砦や武田勝頼が本陣を置いたとされる医王寺山本陣跡を巡ってきた。

そして宿のある豊橋へ戻り次の日に予定していた山城攻めの準備をしたあと、夕食としてこれまた四年前に初めて食べた豊橋カレーうどんのお店の一つである勢川本店へ:

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宿泊先から徒歩3分のところにあった「勢川」

宿泊先の裏にあるお店に着いたのが18:00ちょっと前だったけど既に店内は満席で、店の前に一組の家族連れが並んでいた。

豊橋市でも100年の歴史を持つ老舗の店である勢川は、東三河にはここ本店の他に10軒ほど(当時)のグループ店があるのだとか:

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勢川本店

面白いのが「うどん」と「蕎麦」の両方を食べれるところ。この場所がちょうど西と東の中間あたりにあるからだろうか :D:

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入口脇のショーウィンドウ

10分程待たされて、中へ通されたお店はかなり混んでいたため、自分は大きなテーブルで他の家族れと相席となった。

まずは生ビール(450円)。結局、この日は晴天の中、4時間半近くかけて10㎞を登り降りしてきた[a]高度(標高)は最高で148m、最低で69m。

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中瓶とお通しは漬物セット(450円)

そして、もちろん注文したのは豊橋カレーうどん(820円)。しかしながら、ここからが長かった〜:O。ビールを飲み始めてから30分近くたっても料理がでてこなかった。危うくビールをもう一本注文してしまうところだったよ。流石に史上初の10連休だ。

四年前に食べた時と同様に、料理を待っている合間に読んだのがこのガイド:

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カレーうどん+カレーライス!!

そして相席していたお隣の家族がいなくなって別の客が通されてきた頃に、やっと勢川本店がイチオシのカレーうどんが登場;

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豊橋カレーうどん(820円)

まずは箸を使ってカレーうどんとして頂く。うどんはコシは強くはないけど「つるつる」とのど越しが良かった。具は、まさに「豚カレー」そのもののでカレーと豚肉の相性良く、嫌な辛さはなかった。ネギと油揚げも良かった:

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カレーうどんを味わう

うどんを食べ終わった状態がこちら。カレーのルウの中から「とろろがのったご飯」が出てきた:

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とろろのかかったご飯

箸から木製のカレースプーンに切り替え、付け合せされた福神漬を絡めて、うずらの卵が入った昔ながらのカレーライスとして頂いた。まさに二度美味しい:

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カレーと搦手二度目の味を楽しむ!

辛いのが大の苦手な自分でもしっかりと完食することができた。辛さはいわゆる「お蕎麦屋さんのカレー」相当。量はそれほどではなかったけど「カレーうどん+カレーライスと」して二度食べたらしっかり満腹になった :)。まぁ、あとで調べたら量も辛さも調整可能とのこと。

ちなみに自分が食べに行った時期に「豊橋カレーうどん」を出してくれるお店は豊橋市界隈で52件もあった。

勢川・本店
愛知県豊橋市松葉町3-88


ここからはオマケ。

まず豊橋駅構内で見かけたオブジェたち。連休中日でGWでもあった、この日の豊橋駅は大勢の人たちで混雑していて切符を購入するにも行列だった :$

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三河國一之宮・砥鹿神社の流鏑馬像

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のんほいパークで本格サーキット!

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豊橋市のマスコット「トヨッキー」

初日の午前中は豊橋まで新幹線で移動し、午後は飯田線に乗り換えて鳥居という無人駅で下車:

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JR飯田線・鳥居駅

それから四年前の城攻めでは行けなかった武田軍の砦跡を巡ってきが、晴天に加えて気温も高く、GW城攻め第一弾の時と寒暖の差がありすぎて少々バテてしまったが、それでも記憶の中に眠っていた四年前の風景を再び眺めることができてなんとも感慨深い気持ちになった :)

こちらは愛知県の一級河川である豊川に架かる牛渕橋(うしぶちばし)の上から遠望した長篠城跡。豊川と宇連川が合流する「渡合(どあい)」という急峻な崖を利用して築かれた攻めるに難く、守るに易い城だった。現在は城跡の中をJR飯田線が通過しており、いかんせん本数が少ないのでレアなケースになるけど、運が良ければこんな感じの通過シーンを見ることができる ;)

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豊川と長篠城跡(拡大版)

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通過するjR飯田線

橋の上から豊川を見下ろすと、こんな感じ:

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豊川の岩礁(拡大版)

牛渕橋を降りて橋のたもとへ降りていく最中に目撃した巨大な筍:

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巨大な筍

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牛渕橋の橋桁あたり(拡大版)

こちらは武田軍の砦へ向かう際に通った農道入口。ここから20分位登った山の中に砦跡があった:

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鳶ヶ巣山入口

それから宇連川を渡って武田軍の陣地跡を巡ってきた。これは、その際に渡った文化橋(ぶんかはし)という一本橋と、その上からの宇連川が創りだした渓谷の眺め:

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豊川に架かる文化橋

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宇連川とその渓谷(拡大版)

長篠城跡の最寄りである長篠城駅は無人駅で、城にちなんで櫓風の駅舎だった:

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JR飯田線・長篠城駅

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長篠城駅

券売機は無いので車内で乗車券を自己申告で購入する必要がある。そのためローカル線ながら他線とは異なり車掌と運転手のペアが必須となる:

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長篠城から豊橋の乗車券

ホームに入ってきたJR東海の313系。こちらはお隣の本長篠駅行きだった:

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313系

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313系

長篠城駅近くの踏切からの眺め:

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JR飯田線

長篠城包囲戦で武田勝頼が本陣を置いたとされる医王寺山あたりは見どころがたくさんあった。
例えば禅寺である医王寺境内には寺所有の民俗史料館があって、昭和初期頃の懐かしい物[b]あまりに古くて捨てるに忍びないようなものばかりだった  :-)、いろいろと面白そうなものが転がって展示されていた :D

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旧田口鉄道の三河大草駅の駅名標

時代物の骨董品たち:

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防火帽

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電話の手動式交換器

よく見るとヴィンテージ級の物が展示されていた:

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Electrola のレコード・プレイヤーなど

医王寺境内の裏にある医王寺山には、なんと往時の雰囲気を残すため物見櫓が復元されていた:

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復元された物見櫓

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物見櫓(拡大版)

医王寺境内脇から10分ほどの登山で物見櫓が復元された勝頼の陣地跡へ行くことが可能であった。そして、ここからの眺めは素晴らしかった:)

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勝頼本陣跡からの眺め(パノラマ)

物見櫓の上から長篠城跡を見下ろすことができるのだが、かなり遠く感じた :|

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物見櫓から長篠城の本丸跡を眺めたところ

この当時の長篠城跡の周辺には翌日から始まる「長篠合戦のぼりまつり」の幟がここそこらに立っており、行き帰りにでも目についた。長篠・設楽原合戦で亡くなった将士らを慰霊するためのものなのだとか:

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色とりどりの幟

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将士慰霊をするためのまつり(拡大版)

荏柄天(えがらてん)神社。ここもまた武田軍の天神山陣地であった:

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荏柄天神社の鳥居

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荏柄天神社の本殿

いかにも古戦場跡って感じがする(?)風景。ただの御休処とは思えない案内板だった:D

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戦場跡の風景!?

そして時は変わって、GW城攻め第二弾の最終日は同じJR飯田線沿線に残る山城を攻めてきた。朝、ホテルをチェックアウトして愛知県豊橋駅から静岡県向市場駅までの片道3時間近く電車に揺られる羽目になったが、天気もよく絶景ありで寝ている暇は全くなかったけど:D

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豊橋 − 向市場の乗車券は片道1,490円(当時)

あまりに長い電車旅だったので、途中、中部天竜駅で時間調整ため小休止することになった。乗客は皆、車両の外に出て風景を撮ったり、トイレ行ったり、談話したりして過ごしていた:

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中部天竜の駅名標

JR東海の213系天竜峡行き。一度は見てみたい渓谷:

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天竜峡行き

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JR東海・飯田線の213系

中部天竜駅のホームより:

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ホームからの眺め

こちらが駅舎。駅舎の外まで出れても文句は云われない完全野放し状態だった :D。ありがたいことですが:

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中部天竜駅の駅舎

そして、ここが目的地の最寄り駅・向市場。ここも無人駅。駅名標が立っていなければ駅とは分からん雰囲気があった :O

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向市場の駅名標

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向市場駅

帰りに電車待ちしていたら地元の猫に遭遇した:

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警戒中のローカル猫

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313系

この向市場駅から徒歩15分ほどのところに登城口となる高根公園駐車場があるが、そこから更に20分ほど急斜面な登山道を登ると高根城跡に到着する。この城跡は数年前の某大河ドラマのロケ地になっていたこともあり、予想外に観光客が来ていた:

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「おんな城主・直虎」のロケ地(拡大版)

標高400mほどの山ではあるけど、なかなかの眺望だった:

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展望エリア

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水窪(みさくぼ)集落の眺望(拡大版)

中世の時代に甲斐武田氏が支配していた城郭の雰囲気を再現していた:

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本丸跡

実際に発掘調査から礎石が見つかった井楼櫓。こちらも復元で、中には入れない:

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復元された井楼櫓

二の曲輪跡へ行くには、少し勇気を出して梯子を上がる必要があるが、そこからの眺めは素晴らしかった:

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二の曲輪跡

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「おんな城主・直虎」のロケ地(拡大版)

二の曲輪から搦手方面の眺め。この下が二重堀切:

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三の曲輪跡

城跡の東側には甲州流築城術の一つ、二重堀切が復元されていた。これも見どころの一つ:

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二重堀切

最後は素晴らしい眺望をパノラマで:

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高根城跡から浜松市天竜区水窪町を囲む山々(パノラマ)

この時のフォト集はこちら:

See Also武田軍・長篠城包囲陣地めぐり (フォト集)
See Also高根城攻め (フォト集)

参照

参照
a 高度(標高)は最高で148m、最低で69m。
b あまりに古くて捨てるに忍びないようなものばかりだった  :-)

飯盛山と滝沢本陣の散策 − A Notable Heartbreaking Story on Iimori Hill.

我が人生初の「国民の祝日」10連休を利用した毎年恒例のGW城攻めの第一弾は、二泊三日の日程で福島県内の城攻めへ。また特に意識した訳ではないけど最終的には自身初として、福島県全域となる浜通りから中通り、そして会津まで横断することができた。

まずまずの天気であった初日は、浜通りはいわき市の城跡から中通りは三春町の城跡を攻め、郡山市の宿に一泊した。残念ながら二日目は一転して全国規模で雨または曇りと云った天気になってしまったので、悩んだ挙句に予定より遅めに会津若松入りし、動きの早い雨雲をかわす予定に切り替えた。その甲斐があってか会津若松駅を降りたら雨は降っていなかったのでレンタサイクルで知る人ぞ知る城跡や、四年前の城攻めでは時間が無くて見れなかった会津若松城の外郭に残る遺構を巡ってきた。途中、雨が降ったり止んだりの落ち着かない天気で何度か雨宿りするはめになったが、これと云ってひどい目にあうことはなく、なんとか無事に平成最後の日を終えることができた。

そして城攻め第一弾の最終日であり、新しい「令和」の世の初日は帰京する前に、これもまた四年前に行けなかった観光地の飯盛山周辺を巡ってきた。


飯盛山と白虎隊霊場

朝、ホテルをチェックアウトしてから駅前へ移動。その際に見かけた白虎隊士の像:

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「白虎隊士の像」

駅前のバスターミナルから市内観光まちなか周遊バスの「あかべぇ」に乗り込んで飯森山下で下車した[a]駅から約5分。運賃はどこで降りても片道210円(当時)だった。

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飯盛山

おみやげ屋が立ち並ぶ参道を進んで石段を登って行くことになるが有料(当時250円)のエスカレータ[b]正式名は「スローブコンベア」と云うらしい。もあった。まぁ行列してまで乗る必要はなかった ;)

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飯盛山の登山口

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飯盛山動く坂道

石段を登った先に建っていた「飯盛山案内図」:

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「飯盛山案内図」(拡大版)

案内板の隣には白虎隊記念館なる史料館があった。白虎隊士をはじめとした會津・戊辰戦争に関係する史料(遺品、遺墨、写真など)を収蔵・展示しているのだとか。「記念館」と云う名前が気に入らなかったので立ち寄ることもしなかったけど :|

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史料館・白虎隊記念館

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白虎隊士・酒井峰治の銅像

愛犬と一緒に銅像になっていた酒井峰治(さかい・みねじ)は白虎隊士中二番隊の所属で、會津戦争中の戸ノ口原からの退却の際に仲間とはぐれ、のちに農民らに助けられ帰還を果たし鶴ヶ城籠城戦に参加して、戦後も生き残った御仁なのだとか。

さらに石段を登った先が白虎隊霊場の参拝口:

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白虎隊霊場の参拝口

ここ飯盛山[c]この山が飯を持ったような形をしていたことが名前の由来なのだとか。は古墳の一つであり、神社仏閣の境内にあたる。そして自刃した白虎隊士の霊場でもある。

まずは白虎隊十九士の墓:

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白虎隊十九士の墓

幕末の會津戦争で會津藩が組織した部隊の一つ[d]中国の神話に登場する天上界の四隅を司る霊獣にちなみ、白虎隊の他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊が組織された。に、16〜17歳の少年たちから成る白虎隊があったが、慶応4(1868)年8月23日(旧暦)にその士中二番隊が戸ノ口原の合戦場から退却し、滝沢峠の間道を抜け、戸ノ口堰(とのくちせき)の洞門をくぐって飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣が黒煙の中に見え隠れしていたことから城は陥落したと誤認し、主君のために殉じようと全員が自決した。唯一、飯沼貞吉(いいぬま・さだきち)が命をとりとめ、のちに白虎隊の忠義と悲運の物語が広く知られることになったと云う。

墓所の脇には會津藩最後の藩主・松平容保公の弔歌の碑が建っていた:

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松平容保公弔歌の碑


幾人の涙は石にそそぐとも  その名は世々に朽ちじとぞ思う

そして少年武士慰霊碑と吉田伊惣次(よしだ・いそじ)篤志の碑。自刃した白虎隊士の亡骸が戦後しばらく風雨にさらされていたため近くの村の吉田伊惣次と有志が密かに寺院に仮埋葬したが、それが新政府軍に見つかり獄舎に繋がれるも後日に解放された。その篤志を称えるための碑と云う:

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少年武士慰霊碑

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吉田伊惣次篤志の碑

こちらは會津藩殉難烈婦碑。會津戦争で亡くなった會津藩の婦女子230余名の御霊を弔うために建立された:

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会津藩殉難烈婦碑

珍しいところでローマ市民慰霊碑。これは戦前、白虎隊士の精神に感心したイタリアのファシスタ党首・ムッソリーニから贈られた古代ローマ時代の宮殿の柱であるが、戦後に進駐軍によって一度破壊された。その後に一部が復元され「ローマ市民からの寄贈」に改められた:

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ローマ市民慰霊碑

こちらは郡上藩・凌霜隊之碑。鶴ヶ城に籠城したのは會津藩だけではなく、美濃国・郡上藩の凌霜隊(りょうそうたい)も籠城して奮戦した。昭和の時代に事績を偲び石碑が建立された:

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郡上藩・凌霜隊の碑

そして霊場の南側には白虎隊士が自刃した場所がある:

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白虎隊士自刃の地

自刃するも一命を取り留めた唯一の隊士である飯沼貞吉の墓。一人苦しんだが、晩年には重い口を開いて白虎隊について語ったのだとか:

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飯沼貞雄(貞吉)墓

白虎隊自刃の地に建つ碑:

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白虎隊士自刃の地の碑

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白虎隊殉難士各霊塔

銅像の隊士が眺めている方角に鶴ヶ城の天守閣が見えるのだが、目視だと結構きびしいかも(ヒントは写真中央に建つポール):

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自刃の地からの眺め

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ズームで眺めた鶴ヶ城(拡大版)

この後は霊場の下にあるさざえ堂へ向かった。こちらは、その途中に眺めた会津若松駅方面の眺望:

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飯盛山からの眺望(拡大版)

世界に唯ひとつの會津飯盛山・さざえ堂。江戸時代は寛政8(1796)年、飯盛山に建っていた正宗寺(しょうそうじ)の住職である僧郁堂(いくどう)和尚が考案・建立した六角三層の建築物である。現在は国指定重要文化財で、横から見ると栄螺(さざえ)のように螺旋状になっているのが分かる:

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旧正宗寺・円通三匝堂(通称はさざえ堂)

正式名は旧正宗寺・円通三匝堂(えんつうさんそんどう)。一度通った通路を再び通ることなく外に出ることが可能な珍しい構造をしている。正面入口は唐破風の向拝を付していた:

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さざえ堂

入館料(大人400円/当時)を支払い、向かって正面にある唐破風の屋根を持つ入口へ:

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さざえ堂の入口付近

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さざえ堂の入口付近

この入口から延びる螺旋状のスローブを上って三層頂上にある太鼓橋へ向かう。ちなみに出口はこの背後にある:

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正面入口

頂上にある太鼓橋を渡るまで上がりは右回りの螺旋状スローブになっていた:

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上がりのスローブ

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上がりのスローブ

ここが三層頂上にある太鼓橋とその天井:

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頂上にある太鼓橋

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天井の様子

太鼓橋を渡って向こう側へ渡ると、今度は左回りのスローブになる:

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下りのスローブ

そして、こちらが入口とは反対側にある出口:

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出口

ということで上がって下りてくるのは正味5分ほど。かつてはスロープに沿って西国三十三観音像が祀られ、一度上がり下りすると巡礼を終えたことになるのだと云う。

こちらはさざえ堂の目の前にあった宇賀神社:

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宇賀神堂

この神社の背後にある「天空カフェ」こと飯盛山展望台からの眺めも素晴らしかったが、令和元年の初日と云うこともあって御朱印状を求める人たちが長い列を作っていたのには驚いた :O

このあとは宇賀神社脇の石段を降りて厳島宗像神社の境内へ。この神社は、天照大神の御子神である「宗像三女神」の一つにして古くから信仰が厚かった。主神は市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)さま:

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鳥居

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社殿

社殿は、蘆名家七代目当主の直盛が會津の領主であった南北朝の時代[e]すなわち永禄年間(1381〜1383年)。に石塚、石部、堂家の三家によって建てられたと云う。

これが白虎隊士が潜ってきたと云う戸ノ口堰洞穴(とのぐち・せきどうけつ)と呼ばれる岩盤を掘って穴を開けた洞門:

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戸ノ口堰洞穴

猪苗代湖北西岸の戸ノ口から会津盆地へ水を引くための農業用水路で、全長は31㎞にも及ぶと云う:

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戸ノ口堰洞穴(拡大版)

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洞穴

慶応4(1868)年の會津戦争時、戸ノ口原で敗れた白虎隊士中二番隊20名が潜って飯盛山まで戻ってきた洞穴である:

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戸ノ口堰洞穴

戸ノ口堰洞穴の脇に建つのが戸ノ口堰水神社:

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戸ノ口堰水神社

最後は子育地蔵尊:

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子育地蔵尊

この後は厳島神社の本参道を下って旧滝沢本陣へ。


會津藩・旧滝沢本陣

飯盛山を下りた麓に残る旧滝沢本陣は、現在は国指定史跡であり国指定重要文化財となっている。参観料は大人300円(当時):

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史跡・旧滝沢本陣の碑と冠木門

文禄4(1596)年に建てられた茅葺書院造の建築物で、遠州流の庭園があり、藩主の参勤交代や領内巡視の際の休息所に使われた:

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旧會津藩・御本陣

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通称は滝沢本陣

慶応4(1868)年の會津戦争時には会津藩の本営となり、松平容保が白虎隊に戸ノ口原へ出陣を命じ、あるいは新撰組が駐屯していたと云う場所である。茅葺屋根に覆われた書院造りの建物には御入御門、御座の間、御次の間などが当時の姿のまま残されている:

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滝沢本陣・横山家住宅(拡大版)

別宅にある受付で参観料を支払って、この勝手口から中に入ると「にわ」と「おめえ」が設けられていた:

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この中がにわ

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てまえ、なんど、ざしき

ざしきの奥が御次の間、そして御座の間:

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奥が御座之間、手前が御次之間

ここには今も当時の銃弾や刀傷が十数ヶ所になまなましく残っていた:

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戊辰戦争時の弾痕

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柱に残る弾痕跡

御座の間には会津藩の最後の藩主・松平容保公の肖像画が置かれていた:

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松平容保公の肖像画

こちらは御座の間から望む遠州流庭園。敷石として石臼も使われていた:

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遠州流庭園

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敷石に石臼

柱に残る刀傷:

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戊辰戦争時の刀傷

本陣には御湯殿・御厠が設けられていた:

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歴代藩主が使用した御湯殿と御厠

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御湯殿

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御厠

御座の間にすぐに取り付くことが可能な藩主用の御入御門:

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御入御門

以上で、「国民の祝日」10連休を利用したGW城攻め第一弾は終了。この日は午後一で郡山へ移動し、新幹線で帰京したのだけれど自由席はほぼ満席だった :$


ここからはオマケ。

まず会津若松駅の構内で見かけたいろいろな赤べこたち:

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会津赤べーこ

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赤べこ

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赤べこ

会津若松の初日は雨が止んだ隙を、このレンタサイクル(1日1,500円/当時)で走り回ってきた:

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駅レンタカー会津若松営業所のレンタサイクル

いろいろな所で見かけた「あいづっこ宣言」:

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「ならぬことは ならぬものです」

高瀬の大木(ケヤキ)は現在は国指定文化財であるが、そのもとは慶長5(1600)年に関ヶ原の戦に先立って會津の上杉景勝が徳川家康との対決に備えて直江兼続に命じて築こうとした神指(こうざし)城の土塁に生えていたケヤキとされている:

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高瀬の大木(拡大版)

城が完成する前に家康が上杉追討令を出したため工事が中断となり、神指城は未完のまま、のちに廃城となった。このケヤキは築城前から既に大木として生えていたと云われ樹齢は約500年と云われている。

また會津戦争で斎藤一ら新撰組が本陣を置いた如来堂もまた神指城跡の土塁上に築かれたものである:

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如来堂

こちらは高瀬観音堂:

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会津三十三観音第15番札所

八角神社、そしてウグイス:

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八角神社

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桜とウグイス

会津若松城の二の丸跡にあるひょうたん濠:

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ひょうたん濠(拡大版)

鶴ヶ城こと會津若松城:

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鶴ヶ城(拡大版)

そして、こちらは令和元年の朝、会津若松駅近くの宿泊先からの眺め。遠くに雪が残る山が標高2,105mの飯豊山(いいでさん):

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令和元年の朝の風景

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雪が残る飯豊山(拡大版)

対して、こちらは標高1,816mの磐梯山:

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令和元年の朝の風景

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薄っすらと雪が残る磐梯山

最後はJR会津若松駅でのE721系と、JR郡山駅の新幹線ホームの乗車位置標識:

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JR東日本のE721系の郡山行

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郡山駅の新幹線ホーム

ということで平成と令和の世を股にかけた福島県の二泊三日の城攻め旅行は終了。途中、悪天候のため予定通り城攻めできなかったことと、会津若松市内は大勢の観光客でごったがえしていたこと、そして三年前に初めて来て、今回も楽しみにしていた居酒屋には満席で入れなかったことなど全体的に残念な結果だった:(

この街には休日に来ちゃダメだなということがよく分かった :/

この時のフォト集はこちら:

See Also神指城攻め (フォト集)
See Also會津若松城外郭攻め (フォト集)
See Also蒲生氏郷公墓所 (フォト集)
See Also會津蘆名家墓所とゆかりの地巡り (フォト集)
See Also飯盛山と滝沢本陣散策 (フォト集)

参照

参照
a 駅から約5分。運賃はどこで降りても片道210円(当時)だった。
b 正式名は「スローブコンベア」と云うらしい。
c この山が飯を持ったような形をしていたことが名前の由来なのだとか。
d 中国の神話に登場する天上界の四隅を司る霊獣にちなみ、白虎隊の他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊が組織された。
e すなわち永禄年間(1381〜1383年)。

御食事処・三松会館 − A Diner has many different kinds of food to choose at KORIYAMA(TAKE2).

我が人生初の「国民の祝日」10連休の中、遂に平成の世が終わりを告げた先月は平成31(2019)年4月末、GW恒例の城攻め第一弾[a]ちなみに「令和」の世になって初の城攻めであるGW城攻め第二弾は愛知県・静岡県へ行って来た。として二泊三日の日程で福島県[b]最終的には浜通り、中通り、そして会津の全地域を横断してきた。まで行ってきた。

初日は連休初日ではなかったけど、それなりに交通機関は混雑していて品川から乗り換えたJR特急ひたち5号は水戸あたりまでずっと満席だった。自分は終点のいわき駅で下車し、お昼までの間を駅北口からすぐの平城を攻めてきた。午後は磐越東線に乗って郡山の手前にある三春町の平山城[c]昨年、続日本100名城に選出された。を攻め、再び磐越東線に乗って宿のある郡山へ移動した。

郡山に着いた頃はやや雲行きが怪しくなっていて雨がポツリポツリと降り出してきた。 二日目は会津若松で城攻めの予定であったけど、予報を確認する度に曇りだったり雨だったりとコロコロ変わっていたので、ちょっと心配になった:|。とはいえ、この日も歩きに歩いたので明日のためにまずはエネルギー補給しようと、予め調べておいた宿泊先近くの大衆系定食屋へ行ってみたのだが、営業時間内のなのに暖簾が出ていない。店内は電気がついていたので思いきってドアを明けてみたら、テーブルの上に足を乗せてタバコふかしていた店員と店主らしき親爺さんが酒を飲んでいた。聞いてみると、この日はお昼過ぎに閉めたとのこと。店閉めてから5時間近く飲んでいたようで、せっかく来たのになんかアホ臭〜って感じで退散:(。やっぱりローカルな店は読めないねぇ:|

そうこうしているうちに夕食の時間になってしまい、どこも混雑するし、雨も降り出しそうだったので、しばし悩んだ結果、満席なら諦める覚悟で四年前に一度食べたお店へ行ってみることにした:

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総合食堂・三松会館

ドア越しに見ると客が大勢いたので諦めそうになったけど、先に店の前で中を窺っていた他の客を差し置いてダメ元で店内へ。中に入ると見渡す限りのお客。店員のおばちゃん三人が忙しそうに歩きまわっていた。あちゃーっと思いつつ一人であることを告げると、有り難いことに既に食べ終えていた二人組みを「追い出し」て席を作ってくれた ;)。 まずはビールを注文:

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生中(460円)とお通し


前回見た時と同じく和洋中の料理が定食から一品物と合わせて100種類以上あって、お腹が空いているにも関わらず中々決めきれなかったが、「三松定食」なる文字が目に入ってきたので店のおばちゃんに、その正体を確認するとハンバーグあり、アジフライあり、エビフライありのオリジナル定食とのことで即決した:

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三松定食(1,080円)


今思えば前回もハンバーグを食べたような記憶があるが、今回の手捏ねのハンバーグはカレー風味でドミグラス風のソースがかかていた。隣にある冷凍ではないアジフライも美味しかった:

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アジフライとハンバーグ


エビフライはいたって普通だったけど、あっという間に完食した。少し物足りない感じはしたけど :O

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エビフライ+アジフライ

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完食した

一度目と同じコメントながら、ホント美味しくてボリュームがあって明日のエネルギーを補充できたので良しとする :)。 懸念はと云うと、この街は飲み屋が多くて食事処の「選択肢」が少ないことか :|。正直、何が特産なのか今ひとつわからない街である。

三松会館
福島県郡山市大町1-3-13


ここからはオマケ。

こちらは品川駅からいわき駅まで乗車したJR特急ひたち5号。「上野東京ライン」の乗入れが可能なったので、前回みたいに上野まで行かなくてもよくなった。そして全車指定なので事前に指定席特急券[d]品川からいわき駅までの指定席特急券の料金は2,500円(当時)。の購入が必要:

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E657系電車の特急ひたち


この当時は全車満席で水戸駅まで立席の乗客が多かったのは驚いた。さすがGW10連休効果である:

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特急ひたち号いわき行

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全席指定

一点、戸惑ったのが座席上にあるランプの色。この特急は「赤色」が空席を表していたが、普段利用する普通列車のグリーン席は逆に「青色」が空席を表していたはず :$。たぶん色が反対なのは座席指定と自由席との違いだろうが、色ぐらいは統一してもらいたいねぇ:

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立席ができるくらい大混雑だった

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全10両すべて満席

こちらは「いわき駅北口交通広場」から磐城平城の本丸跡を眺めたところ:

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この先の杜が本丸跡(拡大版)

そして、これが「いわき駅北口交通広場」。午前中の福島県浜通りは予報に反して晴天だった:

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いわき駅北口交通広場(拡大版)

この城跡は、最近整備されるなどして今まで個人の所有地であった本丸跡にも立入ることができるようになったようで楽しみにしていたのだが、祭りの会場設営か何かで立入りを拒まれた。そんな情報はどこにも共有されていなかったのに。思わず同じ福島県の城跡で似たような不意の立入り制限を受けたことを思い出した。これも確か四年前である。 まったく福島県ときたら :(。 と云うことで本丸跡には入れなかったので大幅に時間を持て余してしまった。仕方がないので丹後沢公園をうろついて時間つぶしをしてきた。

こちらは丹後沢で出会った小動物たち。と云っても鴨と鯉だけだけど:

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マガモ(メス)

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マガモたち

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マガモ(メス)

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マガモ(メス)

マガモらは警戒心が強いのですぐに逃げ去ってしまうが、鯉は人間を見ると浮上してくる:

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錦鯉

こちらが城の内堀でもあった丹後沢公園:

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谷津を形成する丹後沢(拡大版)

午後はいわき駅から磐越東線に乗って三春駅で下車し、25分程歩いて城跡へ向かった。この路線は本数が少ない上にICカードの乗入れが不可だった。無人駅だからこそICカードの価値があると思うのだが :|

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キハ110系

この街の特産品である「三春駒」:

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キハ110系

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割烹・八文字屋にて

こちらは三春町役場と道路元標:

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三春町役場

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「自三春城下方位領域道程」

そして三春藩の藩校・明徳堂の表門である明徳門は町指定文化財で、現在は三春小学校の校門として移築されていた:

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三春町指定文化財である明徳門(拡大版)

福島県仲通りにある三春町は、午後になるとの天気が大きく変わって雲が広がってきた。そんな中で標高394m程の本丸跡から北側に聳える安達太良(あだたら)山の眺め:

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三春城址から眺めた安達太良山(拡大版)

この雲行きだと明日の福島県会津も予報に反して雨になりそうだ[e]最近の天気予報は日毎はもとより時毎でもころころと変化して困ることが多い。。うーm :|

この時のフォト集はこちら:

See Also磐城平城攻め (フォト集)
See Also三春城攻め (フォト集)

参照

参照
a ちなみに「令和」の世になって初の城攻めであるGW城攻め第二弾は愛知県・静岡県へ行って来た。
b 最終的には浜通り、中通り、そして会津の全地域を横断してきた。
c 昨年、続日本100名城に選出された。
d 品川からいわき駅までの指定席特急券の料金は2,500円(当時)。
e 最近の天気予報は日毎はもとより時毎でもころころと変化して困ることが多い。