月別アーカイブ: 2018年1月

つけ麺屋 やすべえ − A Tsukemen with Various Servings.

今年は、平成30(2018)年の正月明け初の城攻めは都内にある「小城」[a]『古城』ではなくて…。を回ってきた。もともとは近場で攻める城がなくなった場合のために温めておいた計画で、昨年後半は天候不順で城攻めする機会が少なくなり、この時期に実現するに至った次第。それにしても昨年の城攻め天気に恵まれなかった。特に梅雨の季節は短かったのに雨の日が多かった記憶がある:$。ということで今年の城攻めは天候に恵まれますように;)

今回は都内ということでお昼は特に探していいなかったのだけれど、その昔に仕事していた渋谷駅前界隈の明治通り沿いを歩いていると、もうかれこれ10年以上前に食べたつけ麺屋を見かけたのでわざわざ開店時間に合わせてぶらぶらしてから食べてきた。店構えは「当然」ながら10年前とは大違いだった:

つけ麺屋・やすべえ渋谷店

メニュー

この日は10年前に初めて食べたスタンダードな「つけ麺(あつもり)」の中盛(330g)に、水餃子のトッピングを注文した:

あつもりのつけ麺(780円)+水餃子(150円)

中盛だけど、ご覧のとおり太麺なので十分に満足できた。特に麺がうまい。適度な長さで食べやすかった。卓上には削り節と玉ねぎのみじん切りが用意されているので、いろいろな食べ方ができるシンプルながら秀逸なつけ麺 8)。ついでにスープ割りも素晴らしい。さらに云うと競争が激しい渋谷界隈の、それも明治通り沿いで10年以上も続いていることも秀逸だ。

つけ麺屋 やすべえ 渋谷店
東京都渋谷区渋谷3-18-7


ここからはオマケ。

まずはこの日一番目に攻めたのは東京都北区にある滝野川城址。全く遺構は残っておらず、脇を流れる石神井川だけが往時の面影を残すところだが、この辺りは音無親水公園と云う区民の憩いの場となっていた:

自然の川を模した美しい公園らしい

日本の都市公園百選にも選定されているらしい。やはり花見の季節が似合いそうな公園だ:

音無親水公園

石神井川

こちらは10数年ぶりに訪れた渋谷駅周辺のマップ。変わっているようで変わっていないのかも :|。ちなみに右上の金王八幡宮が渋谷城跡:

渋谷駅周辺MAP

世田谷城の一部だった豪徳寺の参道。両脇にそびえる松並木がトンネルのように見えるということで有名らしい:

豪徳寺参道の松並木(拡大版)

豪徳寺境内に建つ三重塔:

豪徳寺三重塔(拡大版)

この三重塔の北面には招き猫と猫観音様が掲げられていた:

猫観音様と招き猫(拡大版)

豪徳寺のあとは、この翌日から開催されるボロ市近くで保存されている「世田谷代官屋敷」近く郷土資料館へ。こちらは無料で古代から近世までの世田谷周辺の歴史についてたくさんの史料が展示されていた。

世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ケ村の代官を世襲していた大場家の役宅らしい。

これは道路に面して立っていた表門(国指定重要文化財):

表門(国指定重要文化財)

これらは主屋。これも国指定重要文化財:

主屋玄関

主屋南側

主屋西側

他には井戸や白州後、白州通用門などが残っていた:

井戸と蔵

白州跡

白州通用門

最後に、この代官屋敷と同じ敷地に建っていた世田谷区郷土資料館。展示物が豊富で、これは意外と面白い資料館だった:

世田谷区立郷土資料館

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also滝野川城攻め (フォト集)
See Also平塚城攻め (フォト集)
See Also渋谷城攻め (フォト集)
See Also世田谷城攻め (フォト集)
See Also彦根藩主・井伊家墓所と豪徳寺 (フォト集)

参照

参照
a 『古城』ではなくて…。

大黒家天麩羅 − The first Asakusa visit in 2018.

今年の正月三ヶ日は例年とは異なり皇居の新年一般参賀へは行かずに、三日目に浅草寺へ初詣しただけだった。とは云っても浅草では寒空の下、大黒家天麩羅に並んで初物の天丼を食べてきたし、そのあとには例年だと浅草から上野・御徒町・秋葉原・御茶ノ水と散策してきたが、今年は江戸城の外郭にあたる下町辺りの街を散策してきた。あと浅草寺で引いた御籤が「末吉」とあまり嬉しくない結果だったので、その「邪鬼」を祓うためにこちらは例年どおり将門塚を参拝してきた;)

浅草寺本堂で参拝した後はテキ屋が出ている境内をぶらぶらした。「あれ?」といった風景もあったが、それから大黒家。11:00am開店ということで昨年同様に本館へ移動した:

大黒家天麩羅(本店)

既に行列ができていて、この日は寒かった上に風が強くて行列中は難儀した。他の人達もそうだと思うけど。:

今年も本店へ

既に行列ができていた

オーダーは昨年と同じで、ビールと「らくきょう」をつまんで、天丼が出てくるまでしばし待つ。しかし寒い日だったのでビールは余計だったか:|

小さなビール(380円)

らくきょう(330円)

そしてお待ちかねの天丼(えび2、かき揚げ1、ししとう1)の登場。揚げたてなので、行列で冷えた体を温めてくれた:

天丼(えび2本、かき揚げ1本)(1750円)

注文してから揚げるので多少時間はかかるが、やはり出来たてが旨い:

ごま油の風味と衣の色が特徴

今年は味うんぬんよりも、御飯の温かさが嬉しかった。30分以上も寒風の中を行列してかなり体温が低下していたので:(

大黒家天麩羅本館
東京都台東区浅草1-38-10


ここからはオマケ。

まずは東京メトロ銀座線・浅草駅から地上へ出て雷門通りと江戸通りの交差点からアサヒビール・タワー越しにスカイツリー。この先は隅田川と吾妻橋:

浅草から眺めた東京スカイツリー(拡大版)

この交差点を振り向くと10:00amくらいから歩行者天国となっている。右手には神谷バー:

雷門通りは歩行者天国になる

老舗・神谷バー

恒例の浅草寺・宝蔵門。最近は雷門から境内に入ることがなくなった:

左右に仁王像があるので仁王門とも

そして本堂。例年通り09:00am頃だけど、流石に参拝者は多かった。特にアジア系外国人が:

御本尊聖観世音菩薩を祀る観音堂

本堂外陣の天井絵。三面絵で、手前と奥が「天人之図」(堂本印象・画)、中央が「龍之図」(川端龍子・画):

本堂外陣の天井絵は約19畳の広さ(拡大版)

本堂脇には今年の干支にちなんでSoftbank 白戸家のおとうさん犬が:

戌年・謹賀新年・Softbank

こちらはテキ屋が並ぶ仲見世から宝蔵門と五重塔の眺め:

スリランカ伝来の仏舎利を奉安する五重塔(拡大版)

こちらも恒例、浅草寺脇にある浅草神社とその境内で展示されていた浅草三社祭りの神輿。参拝客はかなりの行列だった:

浅草神社拝殿

浅草三社祭りの神輿(三之宮、一之宮、二之宮)

境内から出て旧六区方面へ向かった所には、前まで浅草観音温泉が建っていたが二年前の平成28(2016)年に閉店した。往時は蔦がはった壁の趣ある建物だったが:

浅草観音温泉跡

浅草演芸ホール。12:00pmで2F席まで満員なのだとか:

浅草演芸ホール

このあとは例年だと上野・御徒町・秋葉原まで散策するのだけれども、今回は江戸城外郭攻めへ。いわゆる東京駅周辺にある「××見附」とか「××御門」といったところ。江戸城三十六見附とも。今回は浅草を出て浅草橋駅付近の浅草見附跡、神田駅から徒歩15分ほどのところにある神田橋御門跡、それから東京駅付近には常磐橋御門跡[a]東日本大震災の地震で滑落し、現在も復旧工事中。、現在は外堀通りの交差点となっている鍛冶橋御門跡、公園になっている数寄屋橋御門跡、現在でも石垣が一部残っている日比谷公園内の日比谷見附跡、最後は虎ノ御門跡。虎ノ御門跡近くの東京メトロ・虎ノ門駅の入り口には史跡江戸城外堀跡石垣なんてのがあって、外堀の石垣が展示されていた。

こちらは、その合間に浅草寺御神籤の邪気を払ってもらおうと立ち寄った将門塚。将門塚の隣ではビルの解体工事かなにかがあるようで、塚に建つ石碑がすっぽりと透明な防護箱にいれられていた。:

国道R1沿いの案内板

都史跡・将門塚

そして驚いたのが国道R1から東京駅側に群がっていた人。パトカーあり、警察官も立っている上に交通規制なんかも。なんだろうと近くに寄ってみると、毎年恒例の箱根駅伝のゴールだった:

箱根駅伝2018のゴール付近

もう大変な人と色とりどりの大学幟。おまけにチアガールのパフォーマンスなどお祭り騒ぎだった。沿道には一般客が数珠つなぎになっていた:

箱根駅伝2018ゴール近くの沿道

上の写真で道路挟んだ向こう側に見える工事現場が常盤橋御門跡(常盤橋公園)。すぐ目の前にあるのに道路を渡ることが出来ず、結局はたどり着くことができなかった:O

こちらは一位の青学ランナー。運良く写真に収めることが出来た8)

箱根駅伝2018の優勝ランナー

仕方がないので今回は諦めて東京駅へ向かい、そこから銀座方面へ南下して、その付近にある史跡跡を巡ろうとしたら、こっちはこっちでバスターミナル周辺の帰省客で大変な混雑だった。

なんとか日比谷公園までたどり着くことができた。

こちらは公園内にある「伊達政宗終焉の地」。往時、このあたりには仙台藩の江戸屋敷があったところらしく、独眼竜政宗公はここで70年の人生を終えたらしい:

伊達政宗終焉の地

このドーナッツ状の石はミクロネシアのヤップ島で使われていた石のお金(石貨)なのだとか。まるでギャートルズの時代だ:

ヤップ島から寄贈された石貨

最後は東京メトロ虎ノ門駅近くにあった虎の像:

虎の像

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also江戸城攻め(5) (フォト集)

参照

参照
a 東日本大震災の地震で滑落し、現在も復旧工事中。

とんかつ亭・有家 − “The Daimyō Tonkatsu” at ŌTAKI, CHIBA.

この時期に書くと、もう一昨々年(さきおととし)のことになるのだけれど、平成27(2015)年の梅雨が去ったとある週末に千葉県夷隅郡大多喜にあるを攻めてきた。この日は青空が広く望める晴天で、城の他にも城下町の名残や近年はTVドラマや映画でも露出の多い「本多平八郎忠勝」公の墓所なんかも併せて見てきた。駅前には貸自転車もあったようだが、今回は全て徒歩。まぁ暑かった。行きは錦糸町から自身初のJR房総[a]「暴走」ではないです :P特急わかしお[b]当時、自由席特急券は錦糸町から大原まで片道930円だった。に乗って大原で下車。そこから大多喜まではムーミン列車としても有名ないすみ鉄道で移動した。そして午前中一杯を城攻めに費やして、現在は大多喜町の商店街が連なる城下町跡へ。そこで遅めの昼飯にした。

暑い中をぐるりと歩き回ったおかげ(?)で腹ペコな体に活を入れるため、「とんかつ亭・有家(ありか)」と云うお店でエネルギーを補給することにした:

「上総大多喜城下 とんかつ亭 有家」

ここの定食メニューは一風変わっていて、昔の城下町に倣い肉の部位で「大名とんかつ」(ひれ肉)、「家老とんかつ」(ロース肉)、「旗本とんかつ」(肩ロース肉)と云ったクラスに分けられた定食があり、それぞれに肉の大きさで松竹梅が用意されていた。

この時は即エネルギー補給と云うことでロース肉の家老とんかつ・松(1580円)を選択。午後からまた歩きまわるので多めに米と脂身を入れておかないと =)

家老とんかつ・松(1580円)

見た目はごくごく普通のトンカツ定食で、食べてみるとやっぱり普通のトンカツだったが、自家製ソースが少々厚めの衣にしたって美味しくいただけた。ただ味噌汁で火傷したのを現在でも覚えている :O

とんかつ亭・有家
千葉県夷隅郡大多喜町久保135


ここからはオマケ。

まずは特急わかしお255系。昔は房総ビューエキスプレスと呼ばれていたらしい:

特急わかしお

特急わかしお

そしていすみ鉄道。大原から大多喜までの行きはスナフキン号に乗った。ワンマンカーながら車内放送は充実していて、ムーミン谷(森?)を通過する際には事前にアナウンスをしてくれたっけ;)

いすみ350形式

大多喜駅では「いすみ200形式」も見ることが出来た。帰りの大原まではこの車両に乗車した:

いすみ200形式

のどかな風景といすみ鉄道はとてもマッチした光景だった:

大多喜駅付近の踏切から

こちらが大多喜駅:

大多喜駅

大多喜町周辺の観光地図。城址の他にもたくさん見所があるようだ:

夷隅郡の観光マップ(拡大版)

そして大多喜駅から大多喜城址へ向かう途中に通るのが「メキシコ通り」と呼ばれる通り。江戸時代に、近くで遭難したスペイン人一行を大多喜藩・本多忠朝が救助し厚遇したことに対して、昭和の時代にメキシコ大統領が大多喜町を訪問した際、整備された道路らしい:

メキシコ通りのオブジェ

そんなことでメキシコに関連したオブジェが多数目に付いた:

オブジェ

オブジェ

オブジェ

オブジェ

このメキシコ通り沿いには夷隅川が流れており、こちらの眺めも素晴らしかった:

夷隅川(拡大版)

夷隅川(拡大版)

他にも「絵になる」自然が満載だった:

メキシコ通りからの眺望(拡大版)

これは大多喜城址の本丸に建っていた模擬天守。往時も天守が建っていたが江戸時代に焼失したのちは再建されなかった。こちらは昭和50(1975)年に鉄筋コンクリート製で古絵図を元に模擬された建物で、現在は千葉県立中央博物館の分館になっている:

大多喜城の模擬天守

最後に、大多喜周辺では大きなカミキリムシを何度か見かけた。なんとも本多忠勝の兜みたいでカッコ良かった8)

カミキリムシ

ホシベニカミキリ

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also大多喜城攻め (フォト集)
See Also本多忠勝公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 「暴走」ではないです :P
b 当時、自由席特急券は錦糸町から大原まで片道930円だった。