日別アーカイブ: 2017年8月23日

とんかつ珠圓 − Pork Cutlet of Juen at OWARI-ICHINOMIYA.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアー二日目は、かっては『西美濃』とも呼ばれていた西岐阜へ。この辺りは、後世に天下分け目の決戦と呼ばれた関ヶ原の合戦場と、その前哨戦の舞台となった大垣城との中間点に位置する交通と軍事の要衝で、この地には、これまた後世に聞こえた名軍師・竹中半兵衛にゆかりの城跡や墓所、そして彼と共に両兵衛と呼ばれた黒田官兵衛の嫡男・松寿丸[a]のちの黒田長政。が匿われた場所[b]父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。、さらには病身ながら関ヶ原の合戦では西軍についた義将・大谷吉継の軍勢を実際に指揮した勇将・平塚為広の居城があり、ついでにお隣の大垣市にも足をのばして大垣城もど〜んと見て回ってきた。
特に今回は、標高402m程の山頂に築かれた竹中半兵衛の居城の菩提山城を攻めるために、麓からかれこれ60分以上かけて山登りするなど、見て回る名所が広範囲になったのでレンタル・サイクルを利用することにした。おかげで大垣へ移動した時は足がパンパンになって釣ってしまった:$

この日最後の城攻めを終えて大垣から岐阜経由で尾張一宮にある本日の宿泊先へ移動した[c]お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。。そして夕飯だけれど、事前に調べておく時間がなかったので現地へ行って決めようと考えていたのだが、駅周辺はなんだか全国チェーン系列のお店ばかり。この日は大変な暑さの中をサイクリングして登山したので、どうしても「肉のパワー」で体の疲れを癒やしたいと思っていたのに。もちろんチェーン店でも味噌カツなんてのはあるだろうけど :O。そう考えると是が非でも味噌トンカツが食べたくなったので、Googleさんにお尋ねしたところ、この周辺にあるとんかつ屋はどれも頭一列といった感じ:/。結局は、この日も宿泊先から近い名鉄百貨店7Fにあるグルメフロアのとんかつ珠圓なるお店へ。

お盆休みだから並ぶのは必至と思い込んで行ってみると、殆どお客がいなかった…:O。この日の夜は大河ドラマがあるので、さっさと食べて宿へ戻ろうとメニューを見て迷うこと無く「特選厚切ひれかつ膳(140g)」(1,690円)とグラスビール(450円)を注文した。御膳がでてくるまでの間、ビールを飲みながら今日のサイクリングや登山を振り返っていたら、出てきたのがこちら:

特選厚切ひれかつ膳(140g)(1,690円)

やっぱり味噌だれ:

味噌だれ

注文してから豚肉を手切りし、衣をつけて揚げた「つくりたて」のトンカツはジューシーで美味しかった:

柔らかいひれかつを味噌ソースで

柔らかいひれかつを存分に堪能し、丸美屋の卵ふりかけで頂いた御飯はおかわりできないシステムだったので、速攻で宿へ戻って風呂入って、大河ドラマを見て寝ることにした。

とんかつ珠圓
愛知県一宮市新生1丁目1-1


ここからはおまけ。

この日は見て回る所が多く、広範囲にわたったのでJR垂井駅前の垂井町観光案内所で提供しているレンタサイクル(500円)を利用した。
こちらが今回レンタルした自転車で、他もみな関ヶ原の合戦に所縁のある武将の名前が付いていた:

レンタルサイクル(500円)

今回レンタルしたのは「浅野幸長公」号

この観光案内所でのレンタル時間は09:00am〜02:00pmとかなり微妙な時間帯であった。この日は菩提山への登山も予定していたので、02:00pmまでに戻ってこれるものか不安だったので万が一のこととして聞いてみると、戻ってきたら自転車を案内所脇に置いて鍵をしめ、案内所のシャッターを少し上げれると中のドアが開くので、鍵を中に置いておいてくれれば良いよと云って貰えた。まぁ、この時は間に合うだろうと安易に考えていたのだが、実際のところ間に合わなかった。ホント聞いておいて良かった〜0:)

自転車でまず最初に行ったのは垂井城跡。この城跡の近くには『垂井の泉』なる名跡がある。この泉は岐阜県指定の天然記念物で、大ケヤキの根本から湧き出したということで「垂井」と云う地名の起こりににもなったらしい。大ケヤキは樹齢800年程で、高さ約20m、目通り約8.2mもあるとのこと。松尾芭蕉も立ち寄って一句詠んだと云う名跡である:

垂井の泉

大ケヤキ

そしてアブラゼミ:

アブラゼミ

このあとは20分程かけて竹中氏陣屋跡へ。軽い上り坂が続いて意外と時間がかかった。

こちらは相川。岐阜県不破郡関ヶ原と垂井町、大垣市なんてところを流れる木曽川系一級河川:

この日も前日に続いて暑かった〜

こちらが豊臣秀吉の初期の頃の軍師・竹中半兵衛重治の像。竹中氏陣屋前に置かれていた:

竹中半兵衛重治公の坐像

竹中氏陣屋跡を攻めたあとは、この隣りにある垂井町立岩手公民館の駐車場にレンタル・サイクルを置いて菩提山城へ徒歩で移動した。で、その公民館の前には「さざれ石」やら「力石」なる巨石・奇岩が置いてあった:

すぐ近くの伊吹山が主要産地と云われる「さざれ石」

江戸時代の力比べで使われた巨石らしい

自転車を置いて公民館脇に建つ菁莪(せいが)記念館から西へぐるりと周る感じで、菩提山ハイキングコースを利用して山頂にある城まで徒歩で移動した。

その途中の風景。まずは南宮山(なんぐうさん)。関ヶ原の戦では西軍の毛利氏が陣を構えた山であり、現在はその麓あたりにJR東海道新幹線が通っていた:

南宮山(拡大版)

こちらが新幹線。菩提山ハイキングコースの登山口へ移動する間、何度も新幹線を目撃した:

南宮山の麓を疾走する新幹線(拡大版)

そして東海道本線を渡って登山口へ:

東海道本線

登山口から城跡がある山頂までは結構な角度の坂を約50分ほど登っることになったが、その甲斐があって標高402mの山頂からの眺望は素晴らしかった。ちなみに、この城から岐阜城を見ることもできた:

菩提山城の出丸跡からの眺望(拡大版)

こちらが菩提山城の本丸跡。城の周囲は急峻な崖になった戦国時代特有の山城である:

菩提山城の本丸跡

こちらは菁莪(せいが)記念館に展示してあった岩手弾正の鎧。竹中氏はこの岩手弾正を不破から追い出して、この辺り一円を支配したと云う:

岩手弾正の鎧

最後は大垣城天守閣の鬼瓦。天守三層南西隅にある鬼瓦は邪鬼を踏みつけて天守を鎮護していた:

復元された鬼面鬼瓦と邪鬼

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also垂井城攻め (フォト集)
See Also黒田長政ゆかりの五明稲荷 (フォト集)
See Also竹中氏陣屋攻め (フォト集)
See Also菩提山城攻め (フォト集)
See Also竹中重治公墓所と禅幢寺 (フォト集)
See Also大垣城攻め (フォト集)

参照

参照
a のちの黒田長政。
b 父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。
c お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。