日別アーカイブ: 2017年5月14日

栃尾雁木の町並みと謙信公ゆかりの史跡 − Nagaoka Tochio Traditional Townscape.

今年は平成29(2017)年のGWに新潟県長岡市栃尾にある城を攻めてきたが、ここ栃尾は「軍神」長尾景虎(後の上杉謙信)が幼少期と青年期を過ごしたゆかりの深い場所でもある。

かって平成18(2006)年までは新潟県「栃尾市」であったそうで、その後は長岡市に編入されて「新潟県長岡市栃尾町」となったらしい。この町はJR長岡駅東口からバスで凡そ50分ほどの場所にあり、「上杉謙信旗揚げの地」として観光ページも公開されていた。

晴天の中を標高227mほどの鶴城山(かくじょうざん)の山頂にある城址を堪能し、城攻めを終えて下山した後は帰りのバスの時刻までこの町をいろいろと巡ってきた。さすがにGWともあって、有名な常安寺や秋葉公園では栃尾てまりまつりを観にくる人や地元のイベントを楽しむ家族連れが多かった :)

こちらは昭和初期の頃の栃尾町だとか:

1/3000 栃尾町全図(拡大版)

図中、下の緑色の部分が秋葉公園で、その上にある大きな卍が常安寺である。ちなみに左下にある小さな櫓マークが栃尾城址である。

そして西谷川越しに見た栃尾城址。謙信がまだ長尾景虎と呼ばれていた頃、この城を取り囲んだ数倍もの兵力を持つ地侍連中を見事に撃退し、彼らを斬り従えたと云う:

栃尾城址

これが本丸にあたる実城から栃尾の町と、はるか彼方の粟ヶ岳(標高1292m)方面の眺め:

実城からの眺望(パノラマ)

雪国でもある栃尾の町は雁木(がんぎ)と呼ばれる一種の「生活道路」が有名らしい。長い冬の中で降り積もる雪や屋根から降ろされた雪が「生命線」である道路を埋め尽くされないように工夫したもので、現在でも目抜き通りの両側には雁木が続いていた:

大町の雁木通り

通りを挟んで両脇に雁木を建て、隣家と共同で生活道路を雪から守ると云う先人の知恵の凄さを改めて認識できた 8)

雁木

雁木通りの始まりは、今から300年ほど前だとかで、栃尾の大町付近の役所街にあった十数軒の並びだった。それから150年ほどで役所街全体が雁木通りとなり、谷内の商店街でも雁木が採用された。そうして総延長4㎞におよぶ雁木通りができたのは、谷内通りを中心に500軒以上の商店が軒を連ねていた明治の頃だと云われている:

表町の雁木通り

こちらは表町雁木通り沿いにある栃尾城址の岩神口にあたる出入口:

城山登り口

表町雁木通り

大町の雁木通り、諏訪神社横にあった蔵元の越銘醸(こしめいじょう)。日本酒は飲めないけど、ここは大吟醸・越の鶴が一番の銘柄だとか:

越銘醸(酒蔵)

西谷川を渡って先の谷内地区の丘陵にあるのが秋葉神社と秋葉公園:

秋葉公園

秋葉公園内にたたずむ秋葉神社は、天文20(1551)年に常安寺の守護神として上杉謙信公が楡原の蔵王堂より遷したと伝えられており、火伏の神として名高く「火坊日本総本廟・秋葉三尺坊大権現」として多くの崇敬を集めているのだとか。園内には石川雲蝶の社殿彫刻の他に、上杉謙信公の坐像もあった:

上杉謙信公の坐像

この台座にある「謙信公」の文字は故・田中角栄氏のものらしい。

園内をぶらぶら歩いていると「よしみや食堂」と云う売店があったので思わず玉こんにゃく(100円)をつまんでしまった:

玉こんにゃく(100円)

そして秋葉神社の参道から127段の石段をを下った所には常安寺があった。天文16(1547)年に長尾景虎(のちの上杉謙信公)によって創建され、瑞麟寺5世・門察和尚が開基で、後奈良天皇より勅額を賜った名刹でもある:

常安寺の山門

常安寺の社殿

常安寺から谷内の雁木通りへ向かう途中に、地元の人達主催の屋台なんかがあったので、ついつい生ビール(400円)と栃尾町のゆるキャラである「あぶらげんしん」の形をしたクリームオヤキ(120円)を購入して一休みした:

「あぶらげんしん」のクリームおやき

そんな場所に本物の「あぶらげんしん」が登場してきた。その姿は栃尾名物「あぶらげ」(油揚げ)&栃尾ゆかりの武将「上杉謙信」が融合した人気者だった:

あぶらげんしん=「あぶらげ」+「上杉謙信」

それから谷内雁木通りの商店街にあった「あぶらげ」の老舗・桝忠油揚店で油揚げ(巨大な油揚げ10枚入り1800円)のお土産を購入した:

桝忠油揚店

常安寺で入手した観光ガイドには米沢から位牌を分霊した謙信廟なるものが栃尾美術館の敷地にあるとかで、再び127段の石段を登って秋葉公園の先にある美術館へ向かった。美術館も坂の上にあるので、結構キツかったが0:)

そして美術館の敷地に入るとまず謙信公の騎乗像が建っていた:

上杉謙信公の騎乗像

こちらの台座に刻まれた「上杉謙信公」の文字は、某大河ドラマ「天と地と」で謙信を演じた石坂浩二氏のものらしい。

そして、こちらが謙信廟。そして、その脇にあるのが門察和尚のお墓:

謙信廟と門察和尚のお墓

常安寺を開山した門察和尚は謙信公の幼少時代・虎千代の時の学問の師で、当時は比類なき学識を謳われた御仁であったとか。

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also鬼小島弥太郎戦死の地と謙信公ゆかりの史跡 (フォト集)

レストラン ナカタ − Western Style ‘Katsu-Don’ as a Nagaoka Soul Food.

今年は平成29(2017)年のGWは「越後攻め」で、四日目は「越後の虎」こと上杉謙信の幼少期と青年期にゆかり深い長岡市栃尾にある栃尾城跡を攻めてきた。

この栃尾は、後に「聖将」として知られることになる謙信公が林泉寺の修業とはおよそ180度異なった弱肉強食の戦国乱世で、胸せまる葛藤から「義」の精神を大悟し、整斉(せいせい)たる戦法を駆使して、軍神たる風貌と絶対的なカリスマ性によって国内を統一する足がかりとなった土地である。

この日は前日同様に、早朝7:00amに新潟から信越本線を1時間半近くかけて長岡駅まで移動し、東口のりばから越後バス快速(新榎経由)の栃尾線に乗り、中央公園前と云う停留所で下車した(当時560円)。そこから登城口まで移動し、標高227mの鶴城山(かくじょうざん)に造られていた栃尾城址をたっぷり時間をかけて攻めてきた。途中「本丸」にあたる実城跡にはたくさんのミツバチが飛来していてかなり驚いたが、特に攻撃されることは無かった :)。それから下山して「雁木の町」や謙信公ゆかりの場所などを巡り、ビールを飲んだり、お土産に栃尾の「あぶらげ」(油揚げ)を買ったりして、バスの時間まで楽しい一時を過ごすことができた

そして4:00pm位のバスで長岡駅まで戻ってきた。そこから宿のある新潟まで戻る前に、ここ長岡で、その昔に豚一家が完食していた洋食屋で食べて行くことにした。

こちらがレストラン・ナカタの入口で、店自体は2Fにある。若干わかりづらい場所だったので道に迷ってしまったが無事に到着した:

レストラン ナカタ

2Fへあがったところの店構えは、こんな感じ:

レストラン ナカタ (2F)

店内は、ホント洋食屋と言った感じで落ち着いた雰囲気だった。洋食屋なので肉メインでいろいろなメニューがあったが、ここは豚一家が食べていた「長岡ご当地B級グルメ」の洋風カツ丼コース(デミグラスソース)にした:

洋風カツ丼のデミグラスソースのコース(1370円)

味付けがデミグラスの他にケチャップベースもあって、あとで知ったのだが豚一家はケチャップベースの方を完食していたようだ。二つのソースを一度に楽しめるハーフ&ハーフもあったのでかなり迷ったが、帰りの高速バスの時間が迫っていたので、急ぎ注文して食べてきた。

もう少しライスが多めであればよかったが、普通に美味しかった。デミグラスソース?はちょっとよく分からなかった。もうちょっと濃ければよかったかなぁ :O。そしてコースの最後にデザートを頂いた:

この日のデザートはプリン

これは素朴に美味しかった ;)。最後に諄いけど、やっぱりケチャップベースにしておけば良かったかなぁと悔やんだが足早に店を出て長岡駅大手口へ向かい、6:00pm発の高速バスに乗り込んで1時間半かけて宿泊地の新潟駅まで移動した(当時片道980円)。前日はJRで戻ったが、この日は栃尾城攻めの最中に山菜採りに来ていた地元のおばちゃんが教えてくれた高速バスにした。こちらの方が160円ほど安かった。時間はかかるけど。

レストラン ナカタ
新潟県長岡市坂之上町2-3-6


ここからはおまけ。

こちらが越後バスで下車した栃尾の中央公園前付近。正面に見える丘陵が栃尾城跡:

越後バスの中央公園前停留場

右手が公園で、ありがたいことにトイレがあった。この日も城攻めする前にしっかりと用を済ませておいた :D

こちらは長岡駅西側の山本五十六記念公園なる場所に建っていた山本元帥の胸像。ここは山本元帥の生家(高野家)が復元されていた場所で、レストラン ナカタを探しているときに道に迷って偶然見つけた:

山本五十六元帥の胸像

元帥は旧長岡藩家老である山本家の名跡を継いだ人物(旧姓は高野)だったということを初めて知った。

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also栃尾城攻め (フォト集)
See Also山本五十六元帥の生誕地 (フォト集)