今年は平成29(2017)年のGWに新潟県長岡市栃尾にある山城跡を攻めてきたが、ここ栃尾は「軍神」長尾景虎(後の上杉謙信)が幼少期と青年期を過ごしたゆかりの深い場所でもある。
かって平成18(2006)年までは新潟県「栃尾市」であったそうで、その後は長岡市に編入されて「新潟県長岡市栃尾町」となったらしい。この町はJR長岡駅東口からバスで凡そ50分ほどの場所にあり、「上杉謙信旗揚げの地」として観光ページも公開されていた。
晴天の中を標高227mほどの鶴城山(かくじょうざん)の山頂にある城址を堪能し、城攻めを終えて下山した後は帰りのバスの時刻までこの町をいろいろと巡ってきた。さすがにGWともあって、有名な常安寺や秋葉公園では栃尾てまりまつりを観にくる人や地元のイベントを楽しむ家族連れが多かった 。
こちらは昭和初期の頃の栃尾町だとか:
図中、下の緑色の部分が秋葉公園で、その上にある大きな卍が常安寺である。ちなみに左下にある小さな櫓マークが栃尾城址である。
そして西谷川越しに見た栃尾城址。謙信がまだ長尾景虎と呼ばれていた頃、この城を取り囲んだ数倍もの兵力を持つ地侍連中を見事に撃退し、彼らを斬り従えたと云う:
これが本丸にあたる実城から栃尾の町と、はるか彼方の粟ヶ岳(標高1292m)方面の眺め:
雪国でもある栃尾の町は雁木(がんぎ)と呼ばれる一種の「生活道路」が有名らしい。長い冬の中で降り積もる雪や屋根から降ろされた雪が「生命線」である道路を埋め尽くされないように工夫したもので、現在でも目抜き通りの両側には雁木が続いていた:
通りを挟んで両脇に雁木を建て、隣家と共同で生活道路を雪から守ると云う先人の知恵の凄さを改めて認識できた :
雁木通りの始まりは、今から300年ほど前だとかで、栃尾の大町付近の役所街にあった十数軒の並びだった。それから150年ほどで役所街全体が雁木通りとなり、谷内の商店街でも雁木が採用された。そうして総延長4㎞におよぶ雁木通りができたのは、谷内通りを中心に500軒以上の商店が軒を連ねていた明治の頃だと云われている:
こちらは表町雁木通り沿いにある栃尾城址の岩神口にあたる出入口:
大町の雁木通り、諏訪神社横にあった蔵元の越銘醸(こしめいじょう)。日本酒は飲めないけど、ここは大吟醸・越の鶴が一番の銘柄だとか:
西谷川を渡って先の谷内地区の丘陵にあるのが秋葉神社と秋葉公園:
秋葉公園内にたたずむ秋葉神社は、天文20(1551)年に常安寺の守護神として上杉謙信公が楡原の蔵王堂より遷したと伝えられており、火伏の神として名高く「火坊日本総本廟・秋葉三尺坊大権現」として多くの崇敬を集めているのだとか。園内には石川雲蝶の社殿彫刻の他に、上杉謙信公の坐像もあった:
この台座にある「謙信公」の文字は故・田中角栄氏のものらしい。
園内をぶらぶら歩いていると「よしみや食堂」と云う売店があったので思わず玉こんにゃく(100円)をつまんでしまった:
そして秋葉神社の参道から127段の石段をを下った所には常安寺があった。天文16(1547)年に長尾景虎(のちの上杉謙信公)によって創建され、瑞麟寺5世・門察和尚が開基で、後奈良天皇より勅額を賜った名刹でもある:
常安寺から谷内の雁木通りへ向かう途中に、地元の人達主催の屋台なんかがあったので、ついつい生ビール(400円)と栃尾町のゆるキャラである「あぶらげんしん」の形をしたクリームオヤキ(120円)を購入して一休みした:
そんな場所に本物の「あぶらげんしん」が登場してきた。その姿は栃尾名物「あぶらげ」(油揚げ)&栃尾ゆかりの武将「上杉謙信」が融合した人気者だった:
それから谷内雁木通りの商店街にあった「あぶらげ」の老舗・桝忠油揚店で油揚げ(巨大な油揚げ10枚入り1800円)のお土産を購入した:
常安寺で入手した観光ガイドには米沢から位牌を分霊した謙信廟なるものが栃尾美術館の敷地にあるとかで、再び127段の石段を登って秋葉公園の先にある美術館へ向かった。美術館も坂の上にあるので、結構キツかったが。
そして美術館の敷地に入るとまず謙信公の騎乗像が建っていた:
こちらの台座に刻まれた「上杉謙信公」の文字は、某大河ドラマ「天と地と」で謙信を演じた石坂浩二氏のものらしい。
そして、こちらが謙信廟。そして、その脇にあるのが門察和尚のお墓:
常安寺を開山した門察和尚は謙信公の幼少時代・虎千代の時の学問の師で、当時は比類なき学識を謳われた御仁であったとか。
ということで、この時のフォト集はこちら:謙信公ゆかりの史跡 (フォト集)