今年は平成29(2017)年のGWは「越後攻め」で、三日目は某大河ドラマの主人公としても知られる直江山城守兼続公の居城であった与板城と、その近くで直江一族の居城でもあった本与板城などを攻めてきた。本当は前日に攻める予定だったのだけど天候が思わしくなかったので予定を変更した。やっぱり山城は晴れの日に攻めないと 。そして、この日から三日連続で新潟県長岡市を中継して、長尾景虎こと上杉謙信公にゆかりある山城を攻める予定で、まずはその初日と云うことで。
この日は早朝7:00amに新潟から信越本線を1時間半近くかけて長岡駅まで移動した。この駅の西口にあたる大手口[a]JR長岡駅は長岡城址でもある。へ移動して、12番のりばから与板方面へ向かう越後バスに乗り上与板と云う停留所で下車した(当時450円)。そこから「城山(じょうやま)」と呼ばれている与板城址へ向かった。その途中、天地人通りと呼ばれる遊歩道[b]これも某大河ドラマの副産物らしい。前にトイレ付きの立派な道の駅があったので、しっかりと用をすまして万全な体制で城攻めしてきた。
その与板城址では集団でトレッキングしていた地元の中学生らと遭遇し挨拶合戦で応酬した。結局彼らとは今日一日、街のアチラコチラで挨拶の応酬をすることになった。そして与板城跡を攻略した後、お昼を摂ろうと予め見つけておいたお店へ行って見ると定休日で閉まっていた
。「えっ!?」ちゃんと確認したんだけどなぁと訝しく思ったが、それは「昨日」のことであり、自分が予定を変更したことが仇になってしまったようだ
。とはいえ今日からGWが始まると云う日なのに定休かよぉ!と思ってしまったが[c]いや自分のせいであることは十分に分かっているのだが・・・。。周囲を見ても御食事処が見つからなかったので、仕方なくお昼を摂るのを諦めることにした。と云っておきながら、実はこの店に来る前に同じ商店街にある「大判屋」という店の前を通り過ぎた時に、焼きたての良い匂いに負けてクリーム入りのオヤキ(120円)をついつい頬張ってしまっていたのだが
。そういうことで、この後は与板陣屋跡と本与板城址と歩きまわって攻略してきた。それから帰りのバスが来るまで兼続お船ミュージアムこと与板歴史民俗資料館で時間をつぶすことにした。
帰りは与板仲町と云うバス停から越後バスで長岡駅へ。駅に着いたのが5:30pm過ぎで、流石にお腹が空いていたので、駅近くの越後長岡小嶋屋なるお蕎麦屋さんで越後名物の「へぎそば」と「タレかつ丼」の「合わせ」を頂くことにした:
席にとおしてもらって落ち着いちゃうと、やっぱり今日一日の疲れを癒やすために生ビール(584円)が欲しくなった。さらに今日の一品なる献立から、(明日攻める予定の)栃尾町の名産である厚揚げ(ハーフ、432円)も併せて注文してしまった :
これはビールにも合うし、素晴らしく美味しい食べ物だった。その巨大でぶ厚い油揚げは、中央にねぎ味噌や梅肉が挟んであった:
主食が来る前に既に満足した感が強いが、頃合いを見て、へぎそばとミニ・タレかつ丼のセット(1586円)が登場:
へぎそばは越後魚沼地方の名品の一つで、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使った蕎麦を、ヘギという独特の器に盛ったものらしい。この蕎麦は喉ごしが素晴らしかった。
そして既にこのGW越後攻めの初日に食べているが、温かいタレかつ丼(ミニ)もまた美味しかった:
越後長岡小嶋屋 本店
新潟県長岡市殿町2-2-9
ここからはおまけ。
これが与板町の「与板・天地人マップ」。兼続公と公の妻であるお船ゆかりの町である:
こちらは与板城を攻める前に用を済ませた「天地人通り」のトイレ:
この通りには、他に観光案内所なんかの他、兼続公とお船さんゆかりの門が建っていた:
本与板城跡へ向かう途中に見かけた三国街道(みくにかいどう)。ここには江戸時代の与板宿があった。中山道の高崎から北陸街道の寺泊へ至る街道で、その昔は上杉謙信が関東遠征の際に利用したんだと云う:
こちらは与板陣屋跡にある長岡市与板支所の前に建っていたゆるキャラのよいたん:
こちらが城攻めで助かった大判屋のクリーム入り大判焼き。焼きたてのホヤホヤでクリームが一杯だった:
与板は国産麦酒(ビール)の醸造に携わった中川清兵衛の生まれ故郷だった。彼がサッポロビールの生みの親である:
こちらは旧黒川と与板河川緑地たちばな公園:
ということで、この時のフォト集はこちら:与板城攻め (フォト集)
与板陣屋・與板城攻め (フォト集)
本与板城攻め (フォト集)