一昨年は平成27(2015)年の春、城攻めしに自身初めての埼玉県川越市へ行ってきた。その前日までは一ヶ月ほど広島出張があって、あちらは未だ春が訪れたばかりだったけど、こちらはとポカポカの陽気で、桜が見頃の季節に突入していた 。川越市は城下町の名残を残す「小江戸」のイメージしかなかったんだけど、実際に云ってみると天海僧正が住職を務めた由緒ある喜多院という大師もあったので、東武東上線の川越駅から城跡へ向かう途中に立ち寄ってみると、もう「花見」真っ盛りで大変な賑だった。ホント、江戸っ子はお花見が大好きだなぁ 。
近世城郭はすっかり宅地化されていて、本丸御殿(それも一部だけ)くらいしか見所がなかったので、早々に城攻めを終えて小江戸街を散策し、ちょっとランチタイムを外した時間にそば工房蕎花と云うお蕎麦屋さんで遅めのお昼を摂ることにした。
小江戸の蔵町・菓子屋横丁の近くにある小さな石臼自家製粉の手打蕎麦屋さんで野菜天丼がついた「どんぶりセット」を注文した:
この日は川越駅から川越城まで往復した上に、晴天だったので冷たいお蕎麦にして正解だった 。蕎麦はのど越しよく、美味しく頂けた。
そば工房蕎花 川越札の辻店
埼玉県川越市元町1-14-2
ここからはおまけ。
こちらが城攻めする前に立ち寄った喜多院:
山門:
どろぼうばし。その昔、喜多院と東照宮の境内は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、藩の町奉行の力が及ばない場所であったことを知った盗人が、当時は丸木橋だったこの橋を渡って境内に逃げ込んだ。しかし盗人は寺男らに捕らえられ、寺僧に諭されて改心した。厄除元三大師(やくよけ・がんさいだいし)に心から罪を許してもらえるように祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。そこで寺は幕府に事の次第を報告して無罪放免の許しを得た。その後、元盗人は全く悪事を働くことなく真面目に一生を過ごしたと云う:
喜多院の境内:
多宝堂と桜吹雪:
慈恵堂:
東照宮随身門。この門を潜った先は仙波東照宮:
まさに「The お花見」:
山門前に建っていた天海大僧正(てんかい・だいそうじょう)の像。喜多院第27世住職であり、会津高田(現在の福島県會津美里町)出身、江戸時代初期に喜多院を復興した。家康の信頼あつく、宗教政策の顧問としえ助言を行い、家康もまた度々、川越城と喜多院を訪れているのだとか。108歳で遷化(他界)した後、朝廷より慈眼大師の称号を賜った人物:
川越のマンホール蓋は小江戸っぽく粋な纏(まとい)と川越の文字が描かれていた:
ということで、この時のフォト集はこちら:
河越城攻め (フォト集)
河越夜戦跡 (フォト集)