月別アーカイブ: 2017年1月

時屋 − Tsukemen Tokiya.

一昨年は平成27(2015)年の初めに仕事で大阪まで出張する機会があり、やることやって、行くとこ行ってと云った大変に有意義な出張であった。そして翌週からは別件の仕事で広島へ行くことになっていたので週末は新大阪に連泊したのだけれど、天気が悪く大雨だったので宿泊先から殆ど出ることはなかった。

そんな中で夕食を摂ったのが宿泊先からすぐ近くのつけ麺専門店「時屋」。前日の夜に串かつ屋へ行った帰り、大変な行列になっていたのを目撃して気になっていたお店。大雨の中をホテルで借りた傘をさして待つこと20分で、やっと店内に入ることができた :$

つけ麺専門店 時屋

照明が暗めの店内は若い人で一杯だった。で注文したのは「鶏つけ」(上湯鶏醤油味)のBASIC 並盛りの200g (840円)に味玉のトッピング(110円):

鶏つけ BASIC 並盛り 200g (840円)+味玉(110円)

意外とコシがあった中太ストレートの麺と、さっぱりとしたスープに大きな鶏肉が一部溶け込んだ感じ:

上湯鶏醤油味のスープ

〆に小さなだし御飯がくるので、スープに残っていたササミ肉をかけて頂いた:

小さなだし御飯

スープと残った具材をかけて食べた

正直なところ、だいぶ前に食べた味なので全く覚えていないが、びっくりするほど美味しいわけでも不味いわけでもなかったような気がする。ただ雨にうたれてまで行列するほどではなかった:P

つけ麺専門店 時屋
大阪府大阪市淀川区西中島5-1-4

串のきっしゃん − Osaka Fried Skewers.

一昨年は平成27(2015)年の初めに仕事で大阪まで出張する機会があって、その週末には京都にある有名な大徳寺まで足を運んだが、残念ながらお目当てを含めて大部分の塔頭は特別公開日以外は拝観できなかったが、その中で常時公開されていた肥後細川家の菩提寺である高桐院や日本庭園のある龍源院を参拝し拝見してきた。日本庭園なんて自身初めて本物を見たのだが、今でもその優美な趣は脳裏に焼き付いているって感じがする:D。他にも織田信長ゆかりの名所を見て回ってきたが、半日程度では到底見て回りきれるものではなく、これからも何度か足を運ぶことになりそうな予感がする:)。この日は京都でおみやげを買って、宿泊先の新大阪まで戻り、そこで以前教えてもらった美味しい大阪名物を食べてきた。

ちょうど新大阪の西中島近くの宿泊先から徒歩5分程のところにある「串のきっしゃん」:

串かつ・おでん・もつ鍋 「串のきっしゃん」

串かつの他に、おでんやモツ鍋もやっているとのことで、店に入った時はまだ春が来ない寒い夜だからか、モツ鍋を食べて楽しく宴会していたサラリーマンらがいたが、自分はビールに串かつセットのみというオーダーにしてみた。

このお店は、実は今回が二度目であり、これより二年前くらいに初めて連れてきてもらった覚えがある。大阪へ来て串かつを食べないで帰るのはありえない:Dということで(!?)帰りの新幹線の最寄り駅に近いこの場所で飲んだ覚えがある。

ということで、今回は生ビールと串かつの「おまかせ梅セット」(1580円)を注文した。串かつ10本がおまかせで、あとは一品としてきゅうりのピリ辛漬けを選んだ[a]他にどて、枝豆、もやしがある。
まず串かつが揚がるまでキャベツにソースを付けて頂きながら、ビールを呑む:D

そして、やってきたのがハムカツ、ウィンナー、牛ヘレ、生姜:

串かつのおまかせ梅セット(1580円)

野菜ものもできた。こちらは玉ねぎと白ねぎ。個人的に野菜の中では玉ねぎが好物なので嬉しい。玉ねぎをソースで頂くのが素晴らしい:

串かつのおまかせ梅セット

玉ねぎの串かつ

途中、「串休め(?)」;)で、きゅうりのピリ辛漬でビールが更にススム。ごま風味で良かった。と言っても、右手にあるデフォルトの「キャベツ」でもビールがススんだけど:

一品として選択したきゅうりのピリ辛漬けと、デフォルトのキャベツ

意外な発見があったのが紅しょうが:

紅しょうがの串かつ

ここの串かつは油があっさりしていて臭みが無く、揚げたてのアツアツで美味しかった。具材には海鮮ものもある:

串かつのおまかせ梅セット

こちらはホタテ。と言っても小柱だったけど;)

ホタテの串かつ

「牛ヘレ」もジューシーで美味しかった:

牛へれの串かつ

ビールと串かつセットで十分にお腹が満足した。

串のきっしゃん
大阪府大阪市淀川区西中島3-14-20 新大阪ビジネスゾーン3番館


ここからはオマケ。

こちらは大徳寺の塔頭の一つ高桐院の茶室・松向軒からみた本堂の軒先。2月末で春が間近に迫った明るく落ち着きのある日差しだった:

大徳寺塔頭・高桐院の軒先

こちらは京都御所と烏丸通を挟んで西側にあった護王神社にあった日本一のさざれ石:

国歌「君が代」に詠まれる「さざれ石」

この神社は平安京の建都に貢献した和気清麻呂(わけのきよまろ)公を祀っている。そして「君が代」で詠まれているこの石の大きさは幅3m、高さ2mメートルでまさに大きな巌(いわお)である:

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

この歌こそは日本の国に精神であり、末永く平和で繁栄に向かうことが盛り込まれているのだとか。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also織田信長公墓所と本能寺の変 (フォト集)
See Also大徳寺散策と細川家墓所 (フォト集)

参照

参照
a 他にどて、枝豆、もやしがある。

洋食屋キッチン・ゴン − Pine Rice Garlic Taste.

一昨年は平成27(2015)年の初めに仕事で大阪まで出張する機会[a]それも大坂城のすぐそば。この出張は大変有意義だった。があり、自身としては二度目[b]一度目は高校時代の修学旅行だった。となる京都で、今から400年以上も前に起こった「本䏻寺の変」にまつわる織田信長のゆかり地を巡ってきた。午前中は旧本能寺で亡くなったとされる織田信長公と主従らの墓所や公の菩提寺などを見て回ってきた。残念ながら大部分が拝観謝絶だったが:|、それでも他の戦国武将の菩提寺や自身としては人生初めてとなる「本物の」日本庭園を見ることができた。

午後は京都御所近くにある旧二条城跡や旧本能寺を見る予定だったので、地下鉄烏丸線で丸太町へ。お昼にはちょっと早かったが、今回の出張で大阪の人に勧められた京都御所近くにある洋食屋で「ピネライス」なるものを食べることにした。ピネライスは京都人で知らぬ人はいないB級グルメらしい。ということで丸太町駅から広大な敷地を持つ京都御所を横切って丸太町通りと河原町通りの交差点近くにある洋食屋キッチン・ゴン 御所東店へ。肉系の洋食屋ということでメニューを見るとステーキやハンバーグが主流。ピネライスの方はと云うと、なにやら味付けいろいろあるようで、午後もしたすら歩き回る予定だったので今回はノーマルなピネライスではなくガーリック味の「テキ」が上にのっているテキ・ピネライスを選択してみた:

ガーリック・テキ・ピネライス(1380円)

この「テキ」はステーキの略らしい。こちらは数量限定だった。一般的なピネライスは、カウンター席の両脇の人が食べていたのをみるとカツカレーのようだった。まぁこっちはこっちで、がっつりと肉と炭水化物でエネルギーを補給することができた。ちなみにご飯はチキンライスではなくチャーハン。不思議と福神漬けの相性が良かった:

ガーリック風味のステーキがのったピネライス(一日限定)

キッチン・ゴン 御所東店
京都府京都市上京区河原町通丸太町下るオーキッド山下1F


ここからはオマケ。

こちらは上京区上御霊前通り近くにある御霊神社(ごりょうじんじゃ)。信長公の墓所がある阿弥陀寺へ向かう途中にあった:

御霊神社

この神社は、応仁元(1467)年に畠山政長が御霊の森に陣をおき、畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となった場所らしい。大乱のわりには小さな碑だった:

「応仁の乱勃発地」の碑

こちらが応仁の乱勃発の地の由緒。この乱は室町時代は応仁元(1467)年に勃発し約10年間続いた上に、京の都が灰燼に帰す元凶となった守護大名同士の内乱。その後、応仁の乱は地方にも飛び火し、関東でも古河公方と関東管領上杉氏、太田道灌、長尾景春、伊勢新九郎(北条早雲)らを巻き込んだ騒乱に影響を与えた。そして日の本の国は下剋上による戦国時代に突入していった…:

この場所が応仁の乱の勃発にゆかりがあるのだとか

そして、こちらは信長公の菩提寺である大徳寺・総見院へ向かう途中、堀川通り沿いで偶然にみかけた紫式部の墓所:

紫式部の墓所入口

平安時代中期の学者で女性作家、歌人。源氏物語の作者と考えられている。本名は不詳で、「式部」は官位と云われている。また没年も不詳で、現在伝わるのは全て推定なのだとか:

紫式部の墓所

紫式部の墓所の隣には小野篁(おの・たかむら)と云う平安時代の公卿で文人の墓もあった:

小野篁の墓所

最後に京都御苑。と言ってもキッチン・ゴンへ行く際に横切っただけだけれど、砂利の道を歩いていると不逞浪士が居ないかついつい周囲を気にしてしまう[c]お前は壬生浪士か?:D

京都御所南側の大通りから眺めた建礼門

こちらが京都御所の南門にあたる建礼門。檜皮葺、切妻造の四脚門である:

もとは平安京内裏の外郭門の一つだった建礼門

建礼門

こちらは仙洞御所附近。江戸時代の始めに皇位を退かれた後水尾上皇の御所として建てられた。現在は庭園になっている:

仙洞御所附近で、この先は大宮御所

仙洞御所附近で、この先は寺町御門

全ての御門を見てきたわけではないけれど、旧二条城の敷地近くには、かの有名な蛤御門があった:

蛤御門

元治元(1864)年、この門の周辺で長州藩と御所の警護にあたっていた會津・薩摩・桑名藩との間で激戦が行われた(禁門の変)。名前の由来は、江戸時代の大火で、それまで固く閉じられていた門が初めて開かれたため「焼けて口開く蛤」にたとえて蛤御門と呼ばれた:

蛤御門

門の梁には、禁門の変(蛤御門の変)当時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っている:

蛤御門の柱には弾跡らしきものが残っていた

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also織田信長公墓所と本能寺の変 (フォト集)
See Also大徳寺散策と細川家墓所 (フォト集)

参照

参照
a それも大坂城のすぐそば。この出張は大変有意義だった。
b 一度目は高校時代の修学旅行だった。
c お前は壬生浪士か?

大黒家天麩羅 − The first Asakusa visit in 2017.

今年は三賀日の2日目に「皇居の一般参賀」に行き、その帰りに平将門公の首塚をお参りしてきた。この首塚は、実は神田明神の分祀にあたり、これがまさに平成29(2017)年の初詣にあたるのだけれど、恒例の年初めのおみくじは引けなかったので、翌日の3日目にお馴染みの浅草寺へ行ってきた。昨年はお昼過ぎに到着するような感じで行ってみたんだけど想像を絶する混雑具合だったので、今年は9:00過ぎには到着するようにした ;)。しかしながら、この時間でも参拝者は流石に多かった:

浅草寺・宝蔵門前から眺めた本堂

それでも雷門や仲見世はまだ「封鎖」はされていなかったので、さくさくっと本堂へ向かって御賽銭を投げ入れて参拝し、御籤[a]今回は「吉」だった。を引いて、家内安全祈願の御札を購入した。今日は、ここ数年は食べていない大黒家天麩羅にでも行こうと思っていたので、店が開くまでの数時間を浅草散策でつぶすことにした。浅草神社境内で甘酒を飲みながら猿回しを観覧。それから浅草寺の本堂裏を突っ切って浅草六区方面へ移動し雷門通りを経由して仲見世へ入った頃で、そろそろ行列に並ぼうと本館前へ。50人位は並んでいただろうか。それでも30分ほど待ったら無事にお店に入ることができた:

天麩羅大黒家本館

いつもの天丼(エビ2、かき揚げ1)に、らっきょうとビール(グラス)を注文した。天丼が来るまで辣韮を頬張った:

らっきょう(350円)と小さな生ビール(380円)

ほどよく酔いがまわってきたところで天丼が登場した。ちなみに、このお店で初めて天丼を食べたのが平成7(1995)年頃だから、もうかれこれ22年近く前になるのか:O。ごま油で揚げているため少し黒っぽい天丼を初めて食べた時は見た目も味も斬新で衝撃を受けた記憶がある。それだから、かれこれ20年以上も足を運ぶのだけれど。このブログから確認すると前回は5年くらい前なのかな:

天丼(えび2本、かき揚げ1本)(1750円)

ただ残念ながら毎回来る度に味が変わっている感が強い。まぁ同じ店なのに本館と新館との間でも味に違いもあったし、年を経っているので同じ味を期待する方が間違ってはいるが。もしかしたらエビやかき揚げも小さくなったのかもしれない。らっきょうは変わらず大きくて美味しかったけど。

大黒家で天丼を食べた後は、近くの舟和でお土産を購入し、これまた例年どおり浅草通りを歩いて上野へ移動し、アメ横へ立ち寄って秋葉原から御茶ノ水まで歩いて帰宅した。

大黒家天麩羅本館
東京都台東区浅草1-38-10


ここからはオマケ。

こちらは浅草寺脇にある浅草神社前に建っていた「こち亀」の看板。昨年に連載が終わったからだろうか。個人的にアニメタッチよりも漫画タッチの両津・中川・麗子の方が好みだけど:

こち亀の浅草物語の看板

そして浅草三社祭りの神輿:

浅草三社祭りの神輿(三之宮、一之宮、二之宮)

これは仲見世側道にあるよ兵衛で食べた団子(甘辛味)。ん〜、普通:/。生醤油味にしておけばよかった:

よ兵衛のみたらし団子(150円)

懐かしのロック座の前を通り、浅草フランス座横の演芸ホール前は大賑わいだった。流石に正月だ:

浅草演芸ホール

そして浅草ROXでは獅子舞をやっていた。ホントお正月だ:

浅草ROX前で獅子舞

上野アメ横には昔から立ち寄っていたマルゴーと云うお店があるのだけれど、昨年末に突然閉店となり従業員は解雇されてしまったそうで、現在は元従業員の方々が店に籠もって労働闘争を行なっているという話を聞いて、気になって見てきた:

浅草散策した後は必ず立ち寄っていたお店

SIG SAUSER や時計のNATOバンドを買ったお店

若干、泥沼化しそうな予感だけれど、なんとか昔のお店に戻って欲しいものだ:|

参照

参照
a 今回は「吉」だった。

新年一般参賀 2017 − The General Public to the Palace for the New Year Greeting in 2017.

昨年に続いて、今年は平成29(2017)年1月2日の新春に皇居にて行われた「新年一般参賀」に行ってきた。今回も第一回目(10:10am頃)のお出ましに合わせて、前回と同じような時間帯に東京メトロ有楽町線の桜田門駅へ到着し、しっかりと用を済ませてから地上に出て、桜田門前を通過して内堀通り沿いにある行列場所へ向かった。

こちらは08:00am過ぎの内堀通り(都道R301)の状態。こちらも昨年と同様に、パレスホテル東京あたりから国道R1と合流するこの辺りまでは完全に通行止めだった:

参賀前の内堀通りの様子

このまま日比谷門を抜けて皇居外苑(江戸城の西の丸跡)にある行列待ちの場所へ移動した:

江戸城日比谷門あたりから眺めた皇居外苑

昨年参加したという感覚からか第一回目のお出ましまでたっぷり2時間はあるから、まだそれほど行列にはなっていないだろうと軽く考えていたのが甘かった:(。昨年と同じ行列待ちの場所へ着くなり「えっ!?」と立ち止まってしまった:

同じ時間帯なのに既に昨年よりも長い行列が…

もともと、この場所はツアー客用の大型バスの駐車場にもなっているので人は多い方ではあるから多少は覚悟していたが、今回は楠公レストハウスあたりまでビッシリと行列ができていた :O。昨年はこの半分位だったと記憶している。ただ昨年は陛下の生前退位なんかが話題になっただけあって、それだけ一般人の関心度が高くなったということだろうか:|。さらに言うと、今年は子供の割合が多かったという印象がある。それにしてもちょっと出鼻をくじかれた感じ:

楠公レストハウスあたりまで行列だった

行列に並んで待つこと2〜30分ほどで内堀通りへ向かって列が動き出した。内堀通りを渡るまでにまた20分位はかかった:

行列に並んで3〜40分ほどで内堀通りを渡ることに

内堀通りを渡ったら一旦は行列が自然と解消され、その途すがらで配っていた日の丸の旗を貰って手荷物検査場へ向かった:

参賀の要領を「DJ」する第一機動隊員

ゆっくりと検査場へ向かう

奥に見えるテントが手荷物検査場:

一旦、行列を解消して手荷物検査場へ

手荷物検査場では持ち込み不可の荷物を預ける場所もある。もちろん任意で預けることも可能だった。手荷物検査場前で再び列ができて、その列ごとに婦警さんを中心に、手荷物の検査を行うわけだが、今回はカメラを入れてきた小さいバッグの中身をかなりひっかけ回されてしまった:|。もちろんカメラは首にかけたまま。その後は身体検査。機械は使わず直接体を触るし、必要であれば両手を上げさせられる。

この後は検査終了次第で再び行列となるが、ロープが張ってあるのでいくつかのグループに分けさせられる。他の場所にあった行列も同じように、この皇居外苑中央辺りに集まってくる:

ここで幾つかのグループにまとまって待機する

自分が並んだグループは三番目のグループで、ここでも約20分ほど待機する。こちらは東京丸の内の「摩天楼」の景色。この日は晴天の予報だったけど、この時間帯は雲が厚かった:

丸の内の摩天楼

隣のグループが移動を始めた。向こう側のグループと統合されているのがわかる:

この先で他のグループと統合される

待っている間、隣がいなくなったので「メガネ橋」こと二重橋の正門鉄橋がよく見えた:

鉄橋(手前)と木橋(奥)の二つを合わせて二重橋と呼ぶ

既に先頭グループは正門鉄橋の上に移動していた。その上に見える黒い橋は正門木橋。しかし伏見二重櫓はいつ見ても美しい8)

二重橋ごしに見た伏見櫓

と言っている間に自分が並んだグループが移動し始めた:

この先で一旦は二列になり他のグループとまとめられる

皇居正門(江戸城の西の丸正門)が開いて、鉄橋の上で待機していた先頭グループが移動し始めた:

開いた皇居正門から吹上御所へ向かう先頭グループ

自分が並んだ行列の隣には優先入場者の列があった。昨年同様に、この連中は何者なのかは不明。なんだか普通のツアー客ぽいが:

どうすれば優先入場できるのだろうか?

そんなことを考えつつ後ろを振り返ると、まだまだ大勢の参拝者が列をなしていた:$

まだまだたくさんの長い行列があった

当然ながら警備する警察官(機動隊員や私服警官)が多い中で、人間だけではなく犬や馬までも動員されていた。地面の臭いを嗅ぎ分ける鑑識の犬とは異なり、皇宮警察犬は空気中の臭いに対する訓練を受けているらしい:

皇宮警察犬

それから、ここでも10数分待ってから皇居正門へ向かって動き出した。前方脇には私服警官が監視していた:

皇居正門(西の丸正門)へ向かって動き出した

そして皇居正門をくぐって吹上御苑のある宮殿東庭(きゅうでん・とうてい)へ移動する:

皇居の正門をくぐったところ

こんな間近で伏見二重櫓と十四間多聞を拝むことができるのも、この日ならでは:

皇居で最も美しい建築物とされる伏見櫓

中門を過ぎて宮殿東庭に入ったところ。奥に見えるのが長和殿:

宮殿東庭

もう既に多くの参拝者が良いポジションを固めていた。ちなみに長和殿中央の茶色いところがテレビでもお馴染みのバルコニーである:

既に大勢の参拝者がバルコニーを中心に取り巻いていた

自分も昨年と同じくバルコニーに向かって左手の場所を確保して、天皇皇后両陛下と皇族の方々のお出ましを今か今かとまった。で、待つこと10分ほどでついにお出ましとなった。ちなみに、昨年は平成28(2016)年に三笠宮崇仁親王が亡くなり、喪に服している三笠宮妃の百合子さまなどは出席されなかった。こちらは、左から常陸宮家の面々(正仁親王妃華子さま、正仁親王殿下)、皇太子一家の面々(皇太子妃殿下雅子さま、皇太子殿下)、そして天皇陛下と皇后陛下:

常陸宮家の面々、皇太子一家の面々、そして天皇陛下と皇后陛下

さらに、昨今はよくニュースでも取り上げられていた眞子さまと佳子さまら秋篠宮一家もお出ましに。ここで一気に参拝者のボルテージが上がり、日の丸が振られ、背後ではバンザイの連呼が聞こえてきた。こちらは、左から皇太子一家の面々(皇太子妃殿下雅子さま、皇太子殿下)、天皇陛下と皇后陛下、そして秋篠宮一家の面々(文仁親王殿下、文仁親王妃紀子さま、眞子内親王さま、佳子内親王さま):

皇太子一家の面々、天皇陛下と皇后陛下、そして秋篠宮一家の面々

そして今生(きんじょう)天皇から御言葉を頂く:

穏やかな新春を迎えました。皆さんと共に新しい年を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が国民一人ひとりにとり,安らかで良い年となるよう願っています。年頭に当たり,我が国と世界の人々の平安を祈ります。

その間、背後から「写真撮るな〜。ちゃんと聞け〜。」なんて怒号が飛んでいたっけ :/。というか、お前に指図される覚えはないけどな:X。それはともかく、陛下の生前退位が現実味を帯びてきた昨今、皇族の方々にとっても色々大変な時代になってきたと思う:

皇皇后両陛下と皇族の方々

これで第一回目のお出ましは終了となった。陛下はこれ以降四回もお出ましがあったとかで全くありがたいことである:

手を振って応じてくれた天皇皇后両陛下と皇族の方々

しかし昨年もぼやいたけど、やっぱり平安の世に「万歳」は無いな。まったく無礼千万なやっぱらだ:/

そして、この後は「民族大移動」的な感じで、宮内庁庁舎脇を抜けて退出門へ移動した:

宮内庁庁舎

ちなみに昨年は内桜田門(桔梗門)から出たが、今回は乾通りを北上して乾門から退出した。昨年の平成28(2016)年から一般に公開されるようになった富士見多聞や道灌濠などを写真に収めることができた。

それから江戸城攻め第四弾として東御苑の東側にある竹橋門跡や一ツ橋門跡、雉子橋門跡などを見て、大手濠沿いを歩き、近くにある平将門公の首塚(神田明神)にて初詣を済まして、再び内堀通りへ戻ってきた。こちらには昨年同様に警視庁交通機動隊所属の騎馬隊を見ることができた:

警視庁騎馬隊

警視庁騎馬隊所属の楓雅(ふうが)

最後に大手濠で見かけた白鷺。まさに、この年の干支に出会えて新年早々に良い気分になった:

ちゃんとポーズをとってくれた白鷺

その他の写真や大きい写真はこちらから:
See Also 新年一般参賀2017    (フォト集)