日別アーカイブ: 2016年12月26日

お食事処みすゞ − Roomen of Shinsyu INA City.

2016年の師走、今年最後の城攻め最終日は長野県伊那市高遠にある高遠城跡や仁科盛信公の墓所がある五郎山、そして武田勝頼公の生母や名君・保科正之公の養父らの墓所などを巡ってきた。

前日は長野県松本市に宿泊していたので、高遠まではざっと3:00ほど。この日は平日なので早朝の通勤ラッシュを避ける時間帯で移動してみた。で、JR松本からJR辰野経由でJR伊那市に着いたのが8:30am。そこでは通勤ラッシュというよりは通学ラッシュに遭遇してしまったけど。学生は朝から元気だねぇ:D。そして駅前からバスで高遠駅へ向かう前に、近くにある伊那バスターミナルで帰りの高速バス(伊那市〜新宿南口)を予約して、高遠城址の最寄り駅であるJRバスの高遠駅に着いたのは9:30amくらい。まずは、そこから徒歩5分程の所にある建福寺に立ち寄った。このお寺は勝頼公の生母である諏訪御料人(実名は不詳)の墓所ある他、信州保科家の菩提寺でもあり保科正光・正直父子の墓所もあった。

それから高遠城址公園に着いたのは10:00amくらい。そして正午前には城攻めを終えていた。ここの公園は桜の名所として有名らしくシーズンは大変な人混みになるらしいが、この日は平日のそれも月曜日ということで、前日の賑わいの清掃などをする業者の人達以外は殆ど誰も居なかった。おかげでゆっくりと見て回れたけど、観光向けの店なんかは一切開いていなかった:o。この後はまたまた歩きで、五郎山と云う高遠城で壮絶な自刃をした信玄公の五男・仁科盛信公の墓所がある標高800m(比高200mほど)の山に登ってきた。下山した後は再びJR高遠駅まで移動したおかげお腹がペコペコ。一応は城址でおにぎり二個食べたのだけれど、全く足りなかったようで :$。伊那市まで戻るバスまで未だ時間があったので、お店を探してみたけれどランチ時間はとっくに過ぎており、観光客向けの店も開いていなかったのだけれど朝訪れた建福寺の目の前にある一軒のお店が気になって行ってみたら、運良く開いていた[a]というより、閉める直前だったようだ。お食事処みすゞというお店で食事することにした:

建福寺の目の前にあった「お食事処みすゞ」

そして自分以外は誰も居ないお店で伊那谷三大名物[b]残りは、高遠そば、ソースカツ丼。の一つであるローメンを注文してみた:

ローメン(700円)

これで700円なんてボッタクリだなぁと思いつつ、腹が減ってはどうにもならんと云うことで、しっかり完食してきた。後半は濃い目のソース味に飽きがくるので、お酢と七味をかけて食べた。ちなみに「ローメン」と云う名前は炒め麺(チャーメン)に肉(ロー)が入っていることから来ているらしい。単なるソース焼きそばにしか見えないが:X。このお店のローメンは未肉(マトン)の代わりに豚肉(ポーク)を使っているので「焼きそば風ローメン」として売りにしているらしい。まぁ店が開いていて運が良かったのか悪かったのかわからないけど、とりあえずヘトヘトになった体力が幾分かマシになった。

お食事処みすゞ
長野県伊那市高遠町西高遠1701


ここからはオマケ。

こちらは建福寺の本堂の鬼瓦。保科家の菩提寺ということでその家紋である並九曜がついていた:

建福寺の本堂の鬼瓦は保科家の並九曜

そして境内から中央アルプス(木曽駒ヶ岳)の眺め:

中央アルプス(木曽駒ヶ岳)

こちらは高遠城大手門跡から、同じく中央アルプス方面の眺め:

中央アルプス(木曽駒ヶ岳)

高遠城は天然の地形を巧みに利用し三峰川(みぶかわ)を外堀としていた平山城であるが、この高遠湖は後世に造られた高遠ダムによって生まれた人口湖らしいが、カヌーやボートも楽しめるレジャー施設もあるようだ:

高遠湖と、湖畔に建つのは高遠さくらホテル

これが、その高遠ダム:

高遠ダム

そして高遠ダムから流れる三峰川(みぶかわ)に架かる橋:

三峰川に架かる橋

三峰川に架かる橋

この橋を渡って五郎山へ向かった。これは、高遠湖ごしに眺めた南アルプス方面。こちらも綺麗だった:

高遠湖と南アルプス

そして秋葉街道(国道R152)を渡った先が五郎山(ごろうさん)。で、この街道は白山トンネルで五郎山を貫通しているのだけれど、トンネル脇は奇妙な伝説を持つ巨岩があった:

白山トンネル勝間側入口お左脇にある巨石

「お膳岩」

その説明板によると

この巨大な岩石は、お膳岩また、大岩・膳腕石とも呼び、古い言い伝えが残っている。昔、勝間地区の農家で結婚式とか葬式など、人寄りの行事があった時に使う膳碗を、その前夜にこの石の前へ来てお願いしておけば、翌朝必ずその数だけの膳腕を用意してくれたものだと云われている。ところが、心無い人がいて一つや二つ返さなくてもわからないだろうと、横着を決め込んでしまった。そうしたことに味を占め、二人三人と真似をして横着をしたため、お膳岩はとうとう腹をたて、その後はいくら頼んでも貸してくれなかったと云うことである。

それから五郎山(ごろうさん)へ。比高200mほど山道を30分ほどあれば頂上部へ到達できる。当時は歩きやすい道になっていた。この山道には4つの祠が建てられており、それぞれ一郎山、二郎山、三郎山、四郎山として、高遠城で犠牲になった武田方の諸士や重臣らが祀られていた。頂上部には高遠城主・仁科五郎盛信公の祠と銅像がある:

五郎山の案内板

最後は高遠城址公園、南アルプス、五郎山を含むパノラマ:

三峰川を境に伊那市高遠の眺望

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also諏訪御料人と保科正光・正直の墓所 (フォト集)
See Also高遠城攻め (フォト集)
See Also仁科五郎盛信と高遠城攻城戦の戦没者の墓所 (フォト集)

参照

参照
a というより、閉める直前だったようだ。
b 残りは、高遠そば、ソースカツ丼。