月別アーカイブ: 2016年12月

船橋あんぱん − Sweet Azduki-Bean Roll of Funabashi Specialized.

昨年は平成27(2015)年の早春に千葉県佐倉市にある城攻めに行ってきた。自身初の千葉県の城攻めということで事前にいろいろと調べてみると意外にも城址が多いことにびっくりした。改めて、これを期に全然「近場」である千葉県の城をどんどん攻めていこうと思ったり:)

で、記念すべき一回目は贅沢にも砦レベルを含めて、臼井城址臼井田宿内砦謙信一夜城、そして佐倉城といった4つの城址を見て回ってきた。なにやら後で知ったのだけれど、佐倉市内にはこの当時で確認されているだけでも58ヶ所も城址が存在しており[a]平成27(2015)年現在。佐倉市役所発行の「お城のあるまち佐倉」のパンフレットより。、一つの駅でまとめて攻めることができるとても便利な環境だった:D

この日はJR船橋駅から連絡通路を通って京成船橋駅へ向かい、そこから京成津田沼駅を経由して京成本線の京成臼井駅と京成佐倉駅でそれぞれ城攻めしてきた。もちろん、帰りも京成船橋駅とJR船橋駅を利用したので、この二つの駅の間にある船橋FACEなるビルの中を行き来していて目に写ったのがHearthBrownというパン屋に張ってあった「船橋あんぱん[b]さらに一日限定300個というキャッチフレーズも。」の幟。いかにもB級グルメっぽいネーミングなので記念に1個(150円)購入してみた。

これが専用のケースに入れられた船橋あんぱん。上面に「船」の文字が焼き印されていた:

船橋あんぱん(150円)

これを縦に切ってみたのがこちら:

クリーム+餡=船橋あんぱん

味はというと、やっぱりクリームが勝ているというか、こし餡だったのであまり餡パンのインパクトは感じられなかった。ここは、やっぱり粒餡でしょ=)。パン生地も薄いのであまり食べごたえがなかったもの残念。

HearthBrown
千葉県船橋市本町1-3-1


ここからはオマケ。

佐倉市は江戸時代に栄えた城下町の一つであり、佐倉城址公園へ向かって街中を歩いているとこんな茅葺きの家を見ることができた:

佐倉城址公園近くで見たいい雰囲気の民家

ここ佐倉藩は江戸時代には老中や大老などの要職についた偉人を多く輩出している藩の一つであるが、明治の世になり帝国陸軍の佐倉連隊が駐屯するようになると、佐倉城内の建築物はもちろん、堀や土塁などが多く改変されてしまい往時の遺構はほとんど残っていないと云う悲しい歴史を持つ。一応、昭和の世になると発掘調査が行われ復元整備が進んだおかげて、なんとか「城址」というレベルを維持できてはいるが :X

ただ城マニアとしては残念なことに、この城址公園には佐倉連隊が駐屯していた頃の「無用な爪痕」がしっかりとのこっていることだった。

例えば衛兵所跡だとか:

ここに衛兵が立ち、連隊を出入りする者を監視した

高所から飛び降り訓練に使用したコンクリート製の階段だとか:

訓練用の12階段

はたまた兵営の便所跡とか…:

佐倉連隊の便所跡

…城址とは全く関係の無い遺構(?)がいろいろ残っているし、他にも県指定天然記念物でもある「佐倉城の夫婦モッコク」の幹に佐倉連隊の兵士が落書きしたとか弾薬庫の跡とか:

弾薬庫の跡

姥ヶ池西側坂道を登った奥の窪地にある

さらに何の建物かわからないものが残っていたり:

何の小屋か不明

また、先ほどの衛兵所跡には古園(ふるぞの)石仏大日如来像[c]実物は大分県臼杵市深田にあるのだとか。のレプリカなるものが置かれていたり…:

古園石仏大日如来像(レプリカ)

…と云った感じで、佐倉城はなんで百名城なのか不思議に思えてきた。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also臼井城攻め (フォト集)
See Also臼井田宿内砦攻め (フォト集)
See Also謙信一夜城攻め (フォト集)
See Also佐倉城攻め (フォト集)

参照

参照
a 平成27(2015)年現在。佐倉市役所発行の「お城のあるまち佐倉」のパンフレットより。
b さらに一日限定300個というキャッチフレーズも。
c 実物は大分県臼杵市深田にあるのだとか。

お食事処みすゞ − Roomen of Shinsyu INA City.

2016年の師走、今年最後の城攻め最終日は長野県伊那市高遠にある高遠城跡や仁科盛信公の墓所がある五郎山、そして武田勝頼公の生母や名君・保科正之公の養父らの墓所などを巡ってきた。

前日は長野県松本市に宿泊していたので、高遠まではざっと3:00ほど。この日は平日なので早朝の通勤ラッシュを避ける時間帯で移動してみた。で、JR松本からJR辰野経由でJR伊那市に着いたのが8:30am。そこでは通勤ラッシュというよりは通学ラッシュに遭遇してしまったけど。学生は朝から元気だねぇ:D。そして駅前からバスで高遠駅へ向かう前に、近くにある伊那バスターミナルで帰りの高速バス(伊那市〜新宿南口)を予約して、高遠城址の最寄り駅であるJRバスの高遠駅に着いたのは9:30amくらい。まずは、そこから徒歩5分程の所にある建福寺に立ち寄った。このお寺は勝頼公の生母である諏訪御料人(実名は不詳)の墓所ある他、信州保科家の菩提寺でもあり保科正光・正直父子の墓所もあった。

それから高遠城址公園に着いたのは10:00amくらい。そして正午前には城攻めを終えていた。ここの公園は桜の名所として有名らしくシーズンは大変な人混みになるらしいが、この日は平日のそれも月曜日ということで、前日の賑わいの清掃などをする業者の人達以外は殆ど誰も居なかった。おかげでゆっくりと見て回れたけど、観光向けの店なんかは一切開いていなかった:o。この後はまたまた歩きで、五郎山と云う高遠城で壮絶な自刃をした信玄公の五男・仁科盛信公の墓所がある標高800m(比高200mほど)の山に登ってきた。下山した後は再びJR高遠駅まで移動したおかげお腹がペコペコ。一応は城址でおにぎり二個食べたのだけれど、全く足りなかったようで :$。伊那市まで戻るバスまで未だ時間があったので、お店を探してみたけれどランチ時間はとっくに過ぎており、観光客向けの店も開いていなかったのだけれど朝訪れた建福寺の目の前にある一軒のお店が気になって行ってみたら、運良く開いていた[a]というより、閉める直前だったようだ。お食事処みすゞというお店で食事することにした:

建福寺の目の前にあった「お食事処みすゞ」

そして自分以外は誰も居ないお店で伊那谷三大名物[b]残りは、高遠そば、ソースカツ丼。の一つであるローメンを注文してみた:

ローメン(700円)

これで700円なんてボッタクリだなぁと思いつつ、腹が減ってはどうにもならんと云うことで、しっかり完食してきた。後半は濃い目のソース味に飽きがくるので、お酢と七味をかけて食べた。ちなみに「ローメン」と云う名前は炒め麺(チャーメン)に肉(ロー)が入っていることから来ているらしい。単なるソース焼きそばにしか見えないが:X。このお店のローメンは未肉(マトン)の代わりに豚肉(ポーク)を使っているので「焼きそば風ローメン」として売りにしているらしい。まぁ店が開いていて運が良かったのか悪かったのかわからないけど、とりあえずヘトヘトになった体力が幾分かマシになった。

お食事処みすゞ
長野県伊那市高遠町西高遠1701


ここからはオマケ。

こちらは建福寺の本堂の鬼瓦。保科家の菩提寺ということでその家紋である並九曜がついていた:

建福寺の本堂の鬼瓦は保科家の並九曜

そして境内から中央アルプス(木曽駒ヶ岳)の眺め:

中央アルプス(木曽駒ヶ岳)

こちらは高遠城大手門跡から、同じく中央アルプス方面の眺め:

中央アルプス(木曽駒ヶ岳)

高遠城は天然の地形を巧みに利用し三峰川(みぶかわ)を外堀としていた平山城であるが、この高遠湖は後世に造られた高遠ダムによって生まれた人口湖らしいが、カヌーやボートも楽しめるレジャー施設もあるようだ:

高遠湖と、湖畔に建つのは高遠さくらホテル

これが、その高遠ダム:

高遠ダム

そして高遠ダムから流れる三峰川(みぶかわ)に架かる橋:

三峰川に架かる橋

三峰川に架かる橋

この橋を渡って五郎山へ向かった。これは、高遠湖ごしに眺めた南アルプス方面。こちらも綺麗だった:

高遠湖と南アルプス

そして秋葉街道(国道R152)を渡った先が五郎山(ごろうさん)。で、この街道は白山トンネルで五郎山を貫通しているのだけれど、トンネル脇は奇妙な伝説を持つ巨岩があった:

白山トンネル勝間側入口お左脇にある巨石

「お膳岩」

その説明板によると

この巨大な岩石は、お膳岩また、大岩・膳腕石とも呼び、古い言い伝えが残っている。昔、勝間地区の農家で結婚式とか葬式など、人寄りの行事があった時に使う膳碗を、その前夜にこの石の前へ来てお願いしておけば、翌朝必ずその数だけの膳腕を用意してくれたものだと云われている。ところが、心無い人がいて一つや二つ返さなくてもわからないだろうと、横着を決め込んでしまった。そうしたことに味を占め、二人三人と真似をして横着をしたため、お膳岩はとうとう腹をたて、その後はいくら頼んでも貸してくれなかったと云うことである。

それから五郎山(ごろうさん)へ。比高200mほど山道を30分ほどあれば頂上部へ到達できる。当時は歩きやすい道になっていた。この山道には4つの祠が建てられており、それぞれ一郎山、二郎山、三郎山、四郎山として、高遠城で犠牲になった武田方の諸士や重臣らが祀られていた。頂上部には高遠城主・仁科五郎盛信公の祠と銅像がある:

五郎山の案内板

最後は高遠城址公園、南アルプス、五郎山を含むパノラマ:

三峰川を境に伊那市高遠の眺望

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also諏訪御料人と保科正光・正直の墓所 (フォト集)
See Also高遠城攻め (フォト集)
See Also仁科五郎盛信と高遠城攻城戦の戦没者の墓所 (フォト集)

参照

参照
a というより、閉める直前だったようだ。
b 残りは、高遠そば、ソースカツ丼。

かつ玄 本店 − Special Pork Loin Cutlet.

2016年の師走、今年最後の城攻め初日の前半は山梨県南アルプス市にある土屋惣蔵墓所を巡り、お昼を摂って午後は自身二度目の新府城攻めに行ってきた。二年前の2014年の晩秋に初めて攻めた時にうっかり見落とした遺構を今回は堪能してきた。この年は大河ドラマのロケ地になったということで、本丸には前回よりもたくさんの人が目に付いたけど、それ以外の曲輪は閑散としていたなぁ :|。嬉しいことに、大手口馬出あたりが綺麗に整備されており、遠目で見ても三日月堀がはっきりを確認できたのはよかった 8)

ここ山梨県韮崎市周辺の気候は晴天で空気は澄んでいたものの若干気温が高かったからだろうか、富士山の眺望はちょっと靄かかっていたのは残念ではあったけど。

城攻めが終って無人駅[a]ホームの入口あたりに小さな券売機のような機械があり、ここにあるボタンを押すと乗車駅証明書を受け取れる。そして乗った電車の車掌にこれを渡して乗車券を購入することになる。終着駅でも良いけど大抵は混んでいるので車内の方がオススメ。のJR中央本線・新府駅から宿泊地の松本へ移動。普通列車で1時間半ほど。意外と近いといった感じ。

松本には、この年の5月に松本城犬甘城を攻めているので宿泊地周辺は知った方である。で、駅を出て予め決めておいたトンカツの松本かつ玄・本店で夕食を摂った:

かつ玄本店

店に入ったのは開店早々だったのでお客は少なかったけど、やはり日曜日の夕飯どきということもあり時間が経つにつれて客がやってきて、自分が食べ終わった頃には全ての席が埋まっていた。

ここで事前にHPを見て決めておいた特選ロース定食を注文した。しかしながらHPには無い季節メニューがいくつか用意されていて、牡蠣フライやエビフライのミックス定食など、週末限定の値段であったのに若干は心が揺らいだが :D

特選ロースかつ(2100円)

ここのお店はお漬物がたくさん出てきて嬉しかった。定食の付け合せとしてポテトサラダと豚汁が付く。但し他のチェイン店にあるような御飯や野菜のおかわり可能といったシステムはなかったけど:

特選ロースかつ定食の御飯と豚汁、ポテトサラダ

口に入れたトンカツは柔らかいことは勿論、脂が程よくとけて、ちょうどこの日は合計で2万4千歩も歩いていたのでその分のエネルギーを補充できたといった感じ:)

この後はホテルに戻る前に、近くの松本城へ行ってライトアップされた天守閣を眺めてきた。

かつ玄 本店
長野県松本市大手4-9-7


ここからはオマケ。

とんかつのかつ玄本店から徒歩5分ほどの距離に松本城公園がある。もう19:00近くだったので本丸は閉館しているが公園内は開いているのでライトアップされた天守閣を眺めることができた。この松本城は別名が「烏城」ともあって、漆黒の中で独特の雰囲気があった:

ライトアップされた松本城の天守閣

こちら、この日の後半に攻めてきた新府城近辺の風景。まずはJR中央本線・新府駅。無人駅:

JR新府駅

そして駅から新府城址へ行く途中に見た富士山。前回は早朝に来たため逆光だったけど、今回は午後に撮影したからかボケがあるもののよく撮れたと思うけど :X

2016年12月の富士山

2016年12月の富士山

こちらは甲府市方面の眺め。背後には帯那山や棚山、妙見山などが見えた:

甲府市方面の眺望

同じく富士山。こちらは城攻めを終えて駅へ向かう途中で。ちょっと夕日がさした感じが良かった:

2016年12月の富士山

こちらは新府城のある山梨県韮崎市中田町の風景(パノラマ)。左手がJR新府駅方面、右手が新府城址方面で、正面に富士山が見える:

新府城へ行く途中の風景(パノラマ)

新府城本丸へは、後世に造られた新府藤武神社の参道(但し、急な石段)を使えばすぐに到達できてしまうと云うなんとも冗談っぽい話ではあるが、この年の大河ドラマがこの日は最終回ともあってたくさんの観光客が訪れていた:

大河ドラマでロケ地にもなった新府城址

こちらは大手門跡近くに残っていた石。400年以上も前に武田勝頼や真田源次郎らも見ていたかもしれない:

新府城大手門跡に残る石

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also新府城攻め(2) (フォト集)

参照

参照
a ホームの入口あたりに小さな券売機のような機械があり、ここにあるボタンを押すと乗車駅証明書を受け取れる。そして乗った電車の車掌にこれを渡して乗車券を購入することになる。終着駅でも良いけど大抵は混んでいるので車内の方がオススメ。

ラーメン食堂れんげ 竜王店 − A Soy Sauce Ramen with Pork Bone Broth.

2016年の師走、今年最後の城攻めとして二日間をかけて山梨県と長野県へ。初日の前半は山梨県南アルプス市にある土屋惣蔵昌恒(つちや・そうぞう・まさつね)公の墓所へ。二年前に甲斐武田家終焉の地を巡った際、同じ山梨県の甲州市で武田家最後の忠臣の一人である土屋惣蔵公の「片手斬跡」を見学し田野集落の景徳院で勝頼公らの墓所に御参りしたのだけれど、その当時は彼の墓所がどこだか分からなかった。後で調べてみたら、彼の生まれ故郷である現在の南アルプス市の白根附近に墓所があるということで行ってきた。

この場所へは最寄り駅のJR中央本線・竜王駅からだとかなりの距離を歩いて行くことになる。片道4〜50分位はかかったと思う:O。体力的に辛かったけれど、この季節の南アルプス市の眺望や澄んだ空気が疲れを癒やしてくれた;)。その帰途、JR竜王駅へ向かう途中のラーメン屋で冷えた体を温めることにした。こちらは県道R20と国道R20(甲府バイパス)が交差する近くにあったラーメン食堂れんげ 竜王店

ラーメン食堂れんげ 竜王店

県内でチェーン店をしているようなお店。特に店内もメニューの品揃えも特徴はないのだけれど、この当時は日曜日と云うこともあり、田舎にある人気店は殆どが休業日で開いているのはチェーン店くらいしかなかっただけなんだけど:X。で、注文したのはお店オススメのラーメンと餃子。メニューを見ただけではあまり期待はしていなかったのだけれど、手作り餃子は中までアツアツで予想以上に美味しかった。ラーメンはと言うとスープの背脂は若干甘めで見た目ほど脂っぽくなかったので、最後まで飲み干せた:

れんげラーメン(700円)

ラーメンよりも餃子の方が美味しかった:

手作り餃子(350円)

スープを飲んで、とりあえず冷えた体を温めることができてよかった。この後は、これもまた二年前に攻めた新府城へ。当時は見忘れてしまった搦手側の出構えなどを見る予定。

ラーメン食堂れんげ 竜王店
山梨県甲斐市竜王1284-1


ここからはオマケ。

土屋惣蔵公の墓所へ向かう際にJR竜王駅から釜無川沿いにある信玄堤公園まで甲斐市民バス(マイクロバス)で移動し、信玄橋を渡って甲斐市から南アルプス市へ。そこで見た眺望。

こちらは南アルプス。左から櫛形山(くしがたやま)、雪が積もっているのは白河内岳(しろごうちだけ)、広河内岳(ひろごうちだけ)、農鳥岳(のうとりだけ)、西農鳥岳。そして薬師岳・観音岳・地蔵ヶ岳も少し積もっていた:

信玄堤公園から南アルプスの眺望

そして、こちらは茅ヶ岳(かやがだけ)・曲岳・黒富士など北東側の山々:

甲府方面の山々

最後は定番の富士山。この日は晴天だったけれど靄がかっていたのでズームしたらボケてしまった;(

信玄橋から眺めた富士山

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also土屋惣蔵墓所と金丸氏館跡 (フォト集)