昨年は平成27(2015)年の初春に静岡県島田市金谷に残る諏訪原城址を攻めてきたのだけれど、ここ金谷は、この甲州流築城術を駆使した壮大な山城がある町として有名な他に、旧東海道筋の宿場町として古(いにしえ)の街道の面影を残す町であった。ということで、城攻めのあとに、復元だけど由緒ある石畳の坂道を下りて駅に向かった。
まず諏訪原城址の周囲や城内の一部は茶畑、茶畑、茶畑だった。さすが静岡。御茶の国だ。そんな感じで周囲を見渡していたら、なにやら気になる風景が目に入ってきた:
そして、よ〜く見ると、なんと山裾に「茶」の文字が:
以前は城の二の曲輪は茶畑だったとか。なんとも贅沢な。で、これは大量のカテキンを有する葉っぱ:
まだまだ寒い冬なのに青々と一面に茶畑が広がっていた:
こちらは城址で見つけた蜂の巣の「化石」:
それからJR金谷駅へ向かって旧東海道を歩いて行くと芭蕉句碑なる碑が建っていた:
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」(芭蕉)
そして、この碑の目の前には旧東海道金谷石畳(復元)があった:
ちなみに旧東海道は、徳川家康が慶長6(1601)年に制定した東海道伝馬制度で整備された、いわゆる「高速道路」である。ここ金谷宿は江戸から51里(約204㎞)、品川宿から数えて24番目の宿場町として定められ天領(幕府の直轄地)であったと云う。
この金谷坂は、急坂な上に粘土質(いわゆる関東ローム層)であるため雨が降るたびに滑りやすく、大名行列や旅人らは大変難儀していたとか。このため文久2(1862)年あたりに石畳が敷設されたと推測されている。その後、近世に一度はコンクリート舗装されてしまったが、平成3(1991)年に金谷の「町おこし」の一環で71,000個の山石を用いて、430mの石畳が復元されたのだとか:
それに加えて、この石畳、多くの人達が歩いてきたからだろうが、いざ歩いて見ると結構すべりやすい。下りだったので体重が乗っかると足の裏が痛くなってきた:
この石畳、復元ではあるが、よく出来ていた:
石畳の坂を下りていく途中にすべらず地蔵尊なる六角堂が建っていた:
最後は国道R473から見下したJR東海道本線の金谷駅:
冬晴れのちょっと肌寒い週末の静岡県だった。
旧東海道金谷坂石畳
静岡県島田市金谷坂町