日別アーカイブ: 2016年10月23日

いきなりステーキ 水道橋店 − IKINARI STEAK at Suidōbashi.

昨年は2015年の文化の日に東京都練馬区にある石神井城跡[a]通常、石神井城は学術上の理由でフェンスの中に入ることはできないが、東京都文化財ウィークに含まれる文化の日には開放されて中に入ることができる。を攻めた後、石神井公園横にあるふるさと文化館にて、練馬まちづくり「歴史と文化講座」として開かれた「17代当主が語る戦国武将・立花宗茂公の生涯」(PDF)に参加してきた。第一部から第三部まで用意されていて、第一部では立花宗茂公の子孫である立花宗鑑氏が初代柳川藩主宗茂公の話を語ってくれた。そして第三部は宗茂公が江戸柳原の藩邸で死去したのちに荼毘に附された菩提寺の廣徳寺[b]京都の大徳寺の末で、江戸時代は屈指の大寺院であったが関東大震災で寺域が焼失し、その後は大正14(1925)年から練馬区に移った。を訪問すると云う企画であったが先着から漏れてしまって涙を飲んだ。

それから一年たった今年は2016年の秋に、直接、廣徳寺さんに電話をして個人的に参拝したい旨を伝えたところ、特に許可は不要で予約制にもなっていないのでマナーを守って参拝してほしいとの返答を頂き、早速行ってきた。廣徳寺には他にも織田家、松平家、前田家、柳生家、秋月家といった大名級の墓所があった。この後は、ついでなんで都内にある戦国大名や武将らの墓所をいろいろ調べて巡ってみることにした。東光寺(板橋)では宇喜多秀家公の供養塔、西念寺(四ツ谷)で服部半蔵正成公と徳川家康の嫡男・信康公の供養塔、傳通院(文京区)にて千姫ほか徳川家ゆかりの女性たち。さらに、今年の江戸城攻めで見忘れた四ツ谷見附の石垣から、飯田橋、水道橋、御茶ノ水にわたる外濠も実際に歩いて見てきた

で、夕飯を食べて帰ろうと店を探している時に見つけたのがいきなりステーキの水道橋店。最近はじめた肉マイルを貯めようと早速店内へ。このときは17:00前だったので、お客は殆どおらず肉焼きの行列をつくることなく美味しく頂いてきた。

今回はリブロース・ステーキ415gをMRで8)

リブロースステーキ 415g (2698円)

自分は、基本的に最初は肉を塩で食べることにしている。半分くらい食べたところで付け合せのコーンと玉ねぎをいきなりソースで頂く。後半はソースが肉にもかかっているのでそのままソースをつけて食べるというスタイル。ということで、今回もガッツリ美味しく頂いてマイルを貯めてきた。

いきなりステーキ 水道橋店
東京都文京区本郷1-4-4水道橋ビル

 


ここからはオマケ。
こちらは、廣徳寺へ向かう為に西武線練馬駅で降りた際に見かけたHalloween向けの「ワタナベナオミトレイン」のオブジェ。これは強烈だった:D

西武鉄道ハロウィーン向けオブジェクト

お昼を四谷で食べた後に、江戸城の外堀を見るためJR市ヶ谷駅からJR飯田橋駅まで歩いてみた。法政大学のキャンパスはスゴイ建物だった。さらに飯田橋附近には高層ビルが。個人的に、この辺りはこんなイメージではないと思っていたのだが時代の流れはスゴイなぁ:O

飯田橋サクラテラス

牛込見附の石垣を過ぎた所に架かっている牛込橋の先は、いわゆる神楽坂:

IMGP1484.resized

早稲田通りから牛込橋を渡り、外堀通りの向こうは神楽坂

こちらは文京区役所。Spaceshipみたいな形をしていた:

文京シビックセンターと云うらしい

春日通りの中央大学があるあたりに建っていた春日局之像。文京区「春日」の地名は、春日局が乳母として仕えた三代将軍家光より拝領した土地に由来し、往時は春日殿町と呼ばれていたとか:

文京区春日通り沿いに建つ春日局之像

傳通院の近くにある日本指圧専門学校の前に建っていた創立者の浪越徳治郎先生と指圧の黄金の腕の銅像:D

浪越校長・黄金の

創立者・浪越徳治郎先生の像

See Also立花宗茂公他大名家、宇喜多秀家公、服部半蔵、千姫他の墓所巡り (フォト集)

参照

参照
a 通常、石神井城は学術上の理由でフェンスの中に入ることはできないが、東京都文化財ウィークに含まれる文化の日には開放されて中に入ることができる。
b 京都の大徳寺の末で、江戸時代は屈指の大寺院であったが関東大震災で寺域が焼失し、その後は大正14(1925)年から練馬区に移った。