(試験的にタイトルに画像を貼っていたんだけど、あとで他の記事に悪影響があるのがわかったので中止しました )
最近読んでいる本は NHK テレビ Trad Japan (トラッドジャパン) のテキストと、北大は札幌農学校出身の新渡戸稲造作の Bushido の解釈本である「武士道」(講談社 / 相良亨著)。
前者は英語を学習するというよりは、日本の文化を気軽に勉強し直すといった軽い感じで読める本で、後者の文庫本は漢字がなかなかむずかしくてそれこそ解釈するのに一苦労している。
そんなものでこの文庫本、まださわりだけれどなんとくつかめてきたのは、現代では武士道というと死とか潔さといった美徳感が先行するイメージが強いけれど、これは社会を生き抜く上で目に見えない精神的規範を具現化した1アクションでしかない。これは例えば、大殿のために命を賭して戦うということが武士道であるというのは、おそらく江戸時代の読み物の脚色であり、武士が主役であった時代、すなわち親兄弟の間で骨肉の争いをしていたような時代に、それこそ赤の他人で構成された家臣団の中にある結束力みたいなものを、武士なる人種がその威厳を落としていた江戸時代で主張するには都合のよい言葉だったのかもしれない。
さらに、
武士道は時代に応じて変化してきたものだということ。
これは武士道が単なる精神という類ではないことを表している。昔から日本人は外圧に柔軟に対応してきたし、その能力は抜きんでていたようだ。例えば文化の場合、大陸から異国の文化がはいってきた時も、普通ならばそれにより自国の文化が廃れていくものだけれど、他国の考えを取り入れ変化 (へんげ) させていくことで自国の文化を護ってきたという。例えば音読みと訓読みという他の文化にはない言語体系 (前者は中国大陸の読みで、後者は日本での読み方) なんか。明治維新では武士は階級から消えたが武士道はそんな階級を越えたところで残っていたわけだし。
武士道イコールありのままと言うこと。着飾る必要はなく、ありのままの自分を出すということ。
例えば「口ヲ以テ己ノ行ヲ謗ルコト勿レ」(言志晩録/佐藤一斎) 〜くちをもっておのれのおこないをそしることなかれ〜 という内省の思想がある。これは、自分が何か悪いことをした時に、先に自分の行いは間違っていたと自己を批判するがごとく言うこと、そんな言い訳がましさを否定するということ。あらかじめ壁を作って逃げ込んで、その中から姿を見せずにもっともらしいことを言うのはありのままではないということらしい。最近、他人と比較することでしか自分の優位点を見いだせない日本人が多いしな。というか優位性に固執する器の小さい大人が多いな 。
武士道は他人をおとしめることはしないということ。自分をよく見せるために他人をおとしめる行為や言動を否定している。
いくさ場での手柄がそれこそ自分の人生を変えてしまうような時代では、他人よりも先んじて手柄をとりに行くといった行為は、現代の競争よりも露骨であからさまであったと予想できる。手柄を立てるためにはどんなこともやっていただろうと。時には虚言で手柄を誇張したり他人を悪くいって自分を高く見せたり、噂や流言で他人をおとしめたり。そういうグロさは現代の詐欺まがいやデマなんかの比ではなかったかもしれないが、それを武士道の規範の中でかなりきつく否定していたものが多かったらしい。例えば武田信玄や朝倉宗滴ら生粋の武士がつくった法度では。
甲陽軍鑑には面白い記述ある。武士は次の4つに分類されるという:
- 上の武士: 剛強にて分別才覚のある男、100人中2人ほどしかいない正に強者
- 中の武士: 剛にして機のきいたる男、100人中6人
- 下の武士: 武辺の手柄を望み一道にすく男、100人中12人
- 人並みの男: 100人中80人
中の武士は「上の人には負けまじと走り回る武士」で、下の武士は「上の人に目を付けて、その後を付き添い回るもの」といった差があるようだ。
兵の中の兵と言われる上の武士は、平場でも戦場でも自分の働きを「自分の分別・自分の才覚をもって行うもの」で、これまたありのままのらしさを出しているとも言える。
といった感じ。さすがにこのような武士道を実践するとどうなるのだろうかと怖くなってくるが、江戸から明治にかけて武士が形を変えて生き残っているわけだし、武士道もその時代にあわせて解釈し編纂し、次の時代に残していくことは日本人の使命でもあるわけだ。