今年は令和5(2023)年のGW城攻めツアー2023は三泊四日で岐阜県を中心にいくつかの城攻めと古戦場跡巡りしてきた。
最終日の四日目は帰宅する前に岐阜市周辺にある城跡をいくつか攻めてきた。お昼を食べたあと、次の目的地である墨俣城跡へ。まず名鉄岐阜駅へ向かい、駅前のバス乗り場1から岐阜バスのおぶさ墨俣線(墨俣−おぶさ)・墨俣行へ乗車して、終点の墨俣で下車。ここから墨俣城跡までは、かって美濃路[a]江戸時代に東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結んだ脇往還。の宿場町であった墨俣宿跡を通って徒歩15分ほど。
但し、そこは城跡と云うほどの場所ではなく、豊臣秀吉が木下藤吉郎と呼ばれていた頃に織田信長の命で築いたと云う伝説[b]実際のところ『信長公記』《シンチョウコウキ》などの有力な史料には全く記述されていない 😮️。を、古文書を元に後世に伝えるために鉄筋コンクリート製の歴史資料館が建っているだけである。その資料館が城郭をイメージさせる天守閣を模していることから城跡と間違える人が多い 。一応、自分は資料館を観に行くと云う目的で行って来た次第[c]ただの時間つぶしとも云えるかも知れないが 😁️。せっかく岐阜へ来たので。
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資料館を堪能したあとは、最後の城攻めに向かうため墨俣のバス停へ移動。このバス停でただ待っているのもなんなので、偶然見つけた焼き芋屋へ:
この日も暑かったので初めは焼き芋のペーストが載ったソフトクリームと思ったが、「つぼ焼き」と「焼き芋」の関係がよくわからなかったので、お店の人に話を聞いていたら「つぼ焼き芋」の冷製があるとのことで、そちらを購入した(350円)。あるいは、一昨日の関ヶ原古戦場巡りの帰りに見た焼き芋の自販機のことが頭の中に残っていたからかも :
こんな感じでセロファンに包まれた冷たい焼き芋ながら、持っているだけでも皮の下の柔らかさが指に伝わってきた。セロファン半分を引っ張ってとってから頂く。皮をムクのは面倒なので、そのままパクついた:
柔らかくて、ねっとりとして、甘みがあって、冷たくて、意外といけると思った。皮の苦味は全く気にならず、むしろあった方が食べやすいかも。片手で食べれるのもいい。ベタつかないし。
壺の中にある芋が炭の熱で時間をかけて焼かれることでデンプンから糖質にゆっくりと変化していくところが、このつぼ焼きの原理らしい。電気釜より炭火の釜の方がお米が美味しくなるのと似たようなものだろうか:
つぼ焼きいも・岐阜総本舗・幸神(中乃神本店)
岐阜県大垣市墨俣町墨俣472
ここからはオマケ。
まずは、現代の「墨俣一夜城」こと大垣市墨俣歴史資料館を犀川ごしに眺めたところ:
「太閤出世橋」なる橋を渡って資料館へ。欄干には秀吉の馬印にも使われた瓢箪のオブジェが:
さらに木下藤吉郎秀吉の像がお出迎え:
資料館は有料(大人200円/当時)で、最上階は展望台になっていたが、それほど眺めが良いわけではなかった 。
今回のツアーでは、いろいろな方角から岐阜城を眺めることができた:
バス停はこちらの方向。バス停と資料館との間に墨俣宿跡がある:
資料館に展示されていた墨俣宿のジオラマ。右手下がこの資料館が建つ場所で、さらに奥には伊吹山がそびえる:
ここが墨俣宿跡。右隣の矢倉風の建物はトイレ:
墨俣宿本陣跡近くには、美濃路墨俣宿渡船常夜燈が復元されていた:
墨俣宿跡からバス停へ行く間は寺町界隈と呼ばれ、めちゃくちゃ寺院が隣接しているエリア:
たとえば廣専寺。右手上が鐘楼:
その目の前が本正寺。これは脇本陣の門が山門になっていた:
門のすぐ脇に立派な鐘楼:
光受寺。左上が鐘楼:
満福寺。右手が鐘楼:
といった具合に鐘楼持ちの寺院が密集している。これって除夜の鐘の時は大合唱ならぬ大梵鐘つきなのだろうか。もしかしたら108回を毎年分担するとか、あるいは27回ずつ順番に鐘くとか?
最後は、愛知県犬山にある楽田城跡。こちらは城址の碑と説明板が建っていた:
以上でGW城攻めツアー2023は終了で、無事に帰宅。三週間ほど経過しているが特に体調不良はなし。