角煮 三福 − A Rice Bowl of Pork Squares Seasoned.

一昨日は令和5(2023)年の大雪《タイセツ》の候少し前の週末[a]国連が採択した国際障害者デー(International day of Disabled Persons)。手品の日(One! Two! Three!)。、六年前に攻めてきた城跡を再訪してきた。そのあと、同じ都下にある城跡(居館跡)を巡る予定だったので、お昼少し前に城址公園をあとにして最寄り駅へ向かっていた時、とある店の主人が暖簾を掲げ、店前に「角煮丼」云々と書かれた看板を出していた光景が目に入った。昼飯を摂る店はあらかじめ決めていたので、最初は特に気にならなかったが、数歩あるきながら頭の中で「角煮丼、角煮丼」と復唱していたら、なぜか自然と足が止まっていた :D

角煮丼の専門店なんだろうか? と思い、ちょっと確認するために戻って店前へ :

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角煮 三福

たしかに暖簾には「角煮」と銘を打っていたのだが、ドアに掲げられていたメニューには、角煮丼の他に、かき揚げ丼やあなご丼、はたまたラーメン[b]それもワンコインで 🤩️。なんかが並んでいた:

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角煮丼専門店ではないようだが・・・

そして暖簾の隙間からのぞいて見ると、小さな店内にL字型のカウンターと椅子が5つ並んでいるだけだった :|。一応は昼の店は決めていたで、ここで無理しなくてもいいのだが、なんか妙に気になってしまった[c]単に城攻めして腹が空いていただけかも知れないが 😁️。角煮丼。さらに開店したてで客は誰も居ない。もしかしたら行列ができるお店かも知れないと考えたら、実際のところ何屋なのか判然としないまま暖簾をくぐっていた :D

席について、カウンターの中にいた主人に角煮丼を注文。水をもらった後はしばらく無音の時間となる。と云うのも、店内にはテレビやラジオなどは無く[d]店のすぐ奥にテレビが見えたので、自宅兼店舗のようだ。、客も自分一人で、聞こえてくるのは厨房から漏れる音と外を走る車の騒音くらい 。

この日は、朝は寒かったけど昼近くになると陽がでて急に暖かくなっていたので、なんともノンビリしたひとときで、思わず寝入ってしまいそうだった :D。注文してから10分位たつと客が一人入ってきたが、店内のノイズは特に変わらない。

それから、しばらくして「お待ちどうさま」の声と共に、湯気をいっぱい燻らせた角煮丼とみそ汁が出てきた:

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角煮丼(800円)

量的には期待していたほど多くない。ご飯の上に薄切りの角煮と玉ねぎ、そして紅生姜が添えられていた。みそ汁も具は豆腐だけのシンプルなもの:

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どちらかと云うと量は少な目

肝心の角煮の方はと云うと、肉と脂身の割合がほどよく、醤油ベースでやや甘めのタレがしっかり染み込んでいた。歯ですっと噛み切れる豚肉とは対象的に、こちらも味が染みた硬めの玉ねぎとの相性は抜群だった 8)

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柔らかく、味が染みた角煮片

最初は肉とご飯を交互に食べていたが、後半はご飯も角煮もたまねぎも紅生姜も皆まぜまぜして頂いた。この食べ方はオススメ。具材の良いところを一気に味わえた:

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軽く混ぜて一緒に食べるのがオススメ

食べ終わったあとは、この量で後半の城攻めまで持つかなぁと不安に思えたけど、まったく無用の心配だった :)

おあいそして、主人と軽く会話して店をあとにした。ごちそうさまでした。

角煮・三福
東京都八王子市片倉町340


ここからはオマケ。

こちらが、この日の午前中に攻めてきた片倉城跡(八王子市):

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湯殿川と片倉城跡

六年前に攻めた時、主郭と二郭の間の空堀(堀切)が藪化していて横矢掛跡を確認できなかったので再訪した次第であるが、今回も全く確認できなかった :$

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藪化したままだった空堀

今回の収穫の一つは二郭南側の大手道沿いに残る竪堀:

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二郭南側の竪堀

もう一つは二郭の空堀(堀切)。こちらは一部が遊歩道になっているようで、綺麗に残っていた:

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三郭と二郭の空堀(堀切)

三福でお昼を摂ったあとは、京王片倉から平山城址公園(日野市)へ移動し、鎌倉幕府の御家人の一人、平山季重《ヒラヤマ・スエシゲ》の館跡の他、公の墓所がある宗印寺を巡ってきた:

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大澤山・宗印寺

境内奥には万福閣なるエリアがあり、高台には平山万福稲荷大明神が祀られていた:

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万福閣

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神の使徒・牛の像

鳥居からのぞく佐源堂なる建物の中には五重塔の木造模型が置かれていた:

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佐源堂

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五重塔の模型

そして、この日の最後は三田氏館(三田城・谷保城)跡(国立市)。最寄り駅から甲州街道を横断して谷保天満宮の境内を通って向かった:

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谷保天満宮

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社殿

三田氏館跡は、その城域の大部分が私有地(三田氏の後裔の住居)であるが、空堀(堀切)跡は「谷保の城山歴史環境保全地域」の散策路になっていて、一応は遠目で城塁などを観察することができた:

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三田氏館跡の周辺は畑だった

館跡に隣接する城山公園《ジョウヤマ・コウエン》には古民家なんかが整備・復元されていた:

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旧青柳村古民家

建屋は立派なものだった:

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旧青柳村古民家

江戸時代から昭和の時代まで使われていた家の中も立派に復元されていた:

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復元された主屋

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復元された主屋

土間には農家で使われていた家財道具が展示されていた:

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往時の道具が展示されていた

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also片倉城攻め(2) (フォト集)
See Also平山季重居館攻め (フォト集)
See Also三田氏館攻め (フォト集)

参照

参照
a 国連が採択した国際障害者デー(International day of Disabled Persons)。手品の日(One! Two! Three!)。
b それもワンコインで 🤩️。
c 単に城攻めして腹が空いていただけかも知れないが 😁️。
d 店のすぐ奥にテレビが見えたので、自宅兼店舗のようだ。

柳川フェア in 東京丸の内 − Come and Eat to YANAGAWA City, Fukuoka.

先週は令和5(2023)年の小雪の候の少し前の週末[a]土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。に、神奈川県の大磯町にある山城跡を攻めて、予定していたより大分早めに終えることができたので、早々に帰宅の途についたのだけれど、ふと先日受け取ったメール「柳川フェアin丸の内」を思い出し、丁度、今乗車している東海道本線一本で行けると考えたので、そのまま東京駅へ向かった:

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福岡県・柳川フェア in 東京丸の内

十数年前に復原された東京駅・丸の内駅舎をしっかり眺めるのはかなり久しぶり:

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丸の内駅舎・南側

東京駅丸の内口と直結している南ドームを見上げたところ。窓の上にある緑色の円は八つの方位に掲げられた干支のレリーフだったんだねぇ8)

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南ドーム

柳川フェアの開催場所は、丸の内口を出て眼の前にある東京シティアイ地下1Fのパフォーマンスゾーン:

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柳川フェアin東京丸の内@パフォーマンスゾーン

福岡県柳川市は八年前に城攻めしてきた。人気の鰻屋に行列してせいろ蒸しも頂いた。今となっては懐かしい:)

このフェアでは福岡県柳川市の特産品などが販売されていた他、ふるさと納税コーナーがあったが、自分の場合は「立花宗茂と誾千代NHK大河ドラマ招致」活動を応援するために来たので、買い物は主に立花宗茂関連グッズだけど :D

ざっと会場を見渡してみても、こんな感じで宗茂を前面に押して、某大河ドラマ招致のPRが行われていた。宗茂って知名度があると思っていたけど、東京をはじめ全国的にはそうでもないのだろうか :|。その昔、東京にある江戸屋敷跡菩提寺へも行って来たけど。

この会場には宗茂と誾千代のお二方も応援にきて。このパネルの前で記念撮影やトークしたていた(画:大久保ヤマト):

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立花宗茂とゆかりあるの人たち

宗茂所領の甲冑で、関ヶ原の戦いで装着した「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足《イヨザネヌイ・ノベクリイロ・カワツツミ・ホトケマル・ドウグソク》」のレプリカが展示されていた:

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伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足(レプリカ)

今回、このフェアで入手したものは書籍がメイン。まずは柳川市のコーナーで『柳川の歴史4 − 近世大名・立花家』(中野等・穴井綾香著):

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四六版・407頁(1,500円)

残念ながら品物は売り切れだったのだけど、見本品として展示されていた最後の一冊[b]割印があった以外は、外装・内丁ともに汚れなどは無し 😉️。をお願いして購入した。

あと柳川市役所の方のオススメだったオールカラーの柳川市史別編『新・柳川明証図会』:

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A4版・396頁・貼箱入(3,000円)

先の本と合わせて、かなり重たかった〜 :$

他には立花家史料館のコーナーでグッズを購入。これらの購入額でガラポン抽選会に参加して、さらに荷物が増えて慕った :D

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グッズとガラポンの景品

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年11月 柳川フェアin東京丸の内 (フォト集)

参照

参照
a 土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。
b 割印があった以外は、外装・内丁ともに汚れなどは無し 😉️。

手打ちそば 車屋 ー This is not just Soba-shop.

先週は令和5(2023)年の小雪の候の少し前の週末[a]土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。に、神奈川県の大磯町にある山城跡を二ヶ所攻めてきた。一応は、事前にコンビニ製おにぎりを2個購入して、標高167mほどの山頂で(早めの)お昼を摂ったのだけれど、下山して二つ目の山城跡を(徒歩で)攻めた後にはすっかりお腹が空いてしまった :D

昼の1時近く、予定より大分早く城攻めを終え、東海道は国道R1沿いの最寄りのバス停へ向かう途中、一軒の蕎麦屋を見かけた。店の前の水車が、この店は「そこいらの蕎麦屋とは違うぞ」感を醸し出していたが、ひとまずバスの時間を確認。次のバスまで小一時間ほどあったので、それならばと蕎麦屋まで戻って二度目のお昼を摂ることにした:

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旧東海道沿いにある車屋

暖簾をくぐり店内に入ると、一人用のテーブル席に通された。眼の前はテレビというお得な席だった。さらにテーブルの上の壁にはたくさんの御品書きが吊るされていたので、右から順番に眺めていく。

いつもなら城攻めを終えた後のビールで喉を洗浄するのだけれど、このあとも予定があったので、ここは我慢 :D。この日は陽が出ていたけど風が強く、歩いても歩いても体が冷えたままだったので暖かい本鴨南蛮蕎麦(1,210円)を注文した。

昼時ともあって店内には他にも客がいて、その中で最後に注文した自分の蕎麦が出てくるまで時間がかかりそうだなぁと眼の前のテレビを観ながら思っていた時、吊るされていたメニューの中の一つが目に入った。自家製・きゅうりのぬか漬け(300円)。糠が自家製なのか、きゅうりが自家製なのか詳細は不明であるが、乾いた喉を潤すために注文した:

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きゅうりのぬか漬け(300円)

若干、浅漬けに近い味であまり糠感を感じなかったが、みずみずしくて美味しかった。食べながらふと、その奥にあった黒板に書かれた刺し身の御品書きが目に入った。この店は夜は居酒屋にもなるのだろうかと思ったくらい、お酒のおつまみの品揃えが多かった。

ぬか漬けを食べ終える前に、出てきた本鴨南蛮蕎麦がこちら:

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本鴨南蛮蕎麦(1,210円)

熱々の濃い目のつゆに平たい蕎麦を絡ませて頂いた。鴨肉はスーパーでよくあるハム系ではなく、ちゃんとした(?)肉で、ちょっと硬かったが、脂もほどよく食べ応えがあった:

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少々硬めの鴨肉

最後は、肌寒い中で汗をかいたからか、ややしょっぱ目のつゆをしっかりと飲み干せた。おかげで体は暖かくなって良かったけど:)

車屋
神奈川県中郡大磯町高麗2丁目1-34


ここからはオマケ。
この日の午前中は高麗山城跡を攻めてきた。比高150mほどの高麗山[b]読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。築かれた城:
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高麗山城跡と花水川

戦国時代に越後の上杉謙信小田原城攻めした際に、ここ高麗山に本陣を置いたと伝わる。

さらに花水川の先は丹沢方面で、大山を眺めることもできた:

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花水川ごしに大山・丹沢寺山を眺める

昼を摂った蕎麦屋の目の前には化粧坂《ケワイザカ》交差点から旧東海道が走っており、近くには大磯宿跡があった。現在も道路脇に松の木が生えて情緒ある風情が残っていた(化粧坂松並木):

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旧東海道の化粧坂松並木

この旧道沿いをバスの時間まで歩くことにした。こちらは化粧井戸《ケショウ・イド》:

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化粧井戸

現在は水は溜まっていなかったが、鎌倉時代にここ大磯では知られた遊女・虎御前[c]上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。がこの界隈に住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでその名がついたと云う。

さらに進むと化粧坂の一里塚なる場所があり、江戸日本橋から十六里のところに設けられた休息所:

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「此辺大磯宿の史跡(化粧坂の一里塚)」

往時は日陰と風よけを目的に、相模湾側に榎《エノキ》、高麗山側に栴檀《センダン》を植えていたのだとか。

こちらは大磯宿跡。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五拾三次之内大磯虎ヶ雨」が案内板として建っていた:

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大磯宿跡

空は鼠色に曇って秋雨が降る中、大磯宿堺の傍示杭が建つ入口近くを合羽を被って馬で行く旅人や野良仕事帰りの人、笠をさした町人など、街道も濡れてなにか寂しげな風景である:

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広重『東海道五拾三次・大磯・虎ヶ雨』

この地に伝わる曽我十郎と虎御前の悲恋にちなみ、恋人・十郎の死を悲しんで虎御前が流す涙と云われ、虎ヶ雨は夏の季語にもなっている。

こちらは化粧坂沿いの民家なんだろうけど、なんとも季節感いっぱいのお宅だったので、ついつい眺めてしまった :D

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柿の木と民家

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椪柑と民家

 
そして大磯八景碑の一つ、「化粧坂の夜雨」の場所に建つ歌碑:
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大磯八景碑 〜「化粧坂の夜雨」

大磯町長・宮台謙吉が選んだ大磯の名所八景を絵葉書として出版したものを、のちに大磯小学校の校長が刻んだ歌碑が建立された。

こちらは平成の一里塚。かっての一里塚を現代に蘇らせたもので、花水川に架かる花水橋傍にあった:

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平成の一里塚

最後は、この日二つ目の城跡である王城山城跡へ向かう途中、道に迷って見かけた「徳川家地堺」と刻まれた標柱。道路脇にあったけど、このあたりは天領だったのだろうか?:

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「徳川家地堺」の標柱

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標柱があった場所

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also高麗山城攻め (フォト集)
See Also玉城山城攻め (フォト集)
See Also2023年11月 旧東海道大磯宿散策 (フォト集)

参照

参照
a 土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。
b 読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。
c 上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。

“余湖浩一 10000城への軌跡“ @しろうたカフェ.

先々週は令和5(2023)年の立冬の候を過ぎた週末に、夏に参加したイベントに次いで今の趣味に関連した講演会(Presentation)に参加してきた。今回も、この趣味の界隈では知らない人は居ないほど有名な御仁がお話する(Speaker)という夢のような企画。自分の場合、はじめて攻める城跡に関して情報を得る時は、まずは(氏の名前を冠していることでも有名な)『余湖図コレクション』に目を通すことにしている[a]御本人曰く「城址を訪れる際に私の図を参考になさっている方が多いようですが、かなり未完成の部分もあります」のように謙遜しておられるが 😊️。。特に山城なんかはどこから登るかがスムーズに城攻めするキーポイントだと思っている :)

今回のトークショーは、氏がこの年に1万城の『余湖図』を完成させたお祝いはもちろん、描きあげた鳥瞰図に関してや、国内外の城攻めについてエピソードなどの話を聞けるとのことで、前回と同様に会場となるしろうたカフェのHPを見て、すぐさま予約した[b]完全予約制の理由は当日参加して理解できた。さらに予約しておいて良かったと思った 😉️。 。こちらが講演会の開催告知:

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「余湖浩一 10000城への軌跡」

開場時間からやや遅れて入店したのだけれど、既に自分以外の参加者(計25名)の大部分が着席し拝聴準備ができているようで、今回のトークショーに対する皆の期待の大きさを知ることとなった :D

そういうことあって、自分も遅れまじと残っている席の中で良い Position を確保したのだが、すぐ側にはたくさんの余湖図が展示されていた:

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余湖図コレクション

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余湖図コレクション

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余湖図コレクション

なにやら、これらはトークショー中に出題するクイズに正解した参加者へのプレゼントとのこと(計25枚用意されていた)。おおっ、楽しみである。無くなる前にしっかりと眺めておいた:D

そして、しろうたカフェ恒例の法螺貝吹きで、トークショーの始まりである:

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城攻め以外のトークも面白かった🙂️

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法螺貝でスタート😎️

まずは余湖氏の自己紹介やホームページ立ち上げの裏話など。Dial-up パソコン通信の黎明期からのトピックス[c]Nifty や Biglobe なんて懐かしいキーワードが出てきた。は自分としても馴染みあり、記憶に残っていることが多かった(これらのプレゼン資料の一部は、後日、余湖さんから頂いた):

余湖図Presentation-P01

「余湖図10000城への軌跡」

「常に意識していること」は、自分も同じポリシーを持っていたので共感することができた8)

余湖図Presentation-P07

「常に意識していること」

ただ氏の凄いところが、ホームページにアップするまでを完了してから次の城訪問へと云うサイクルを徹底していると云うこと。これを成し得てこそ1万城達成が可能なのだ。自分の場合はついつい訪問記を後回しで城攻めしてしまっているので、直近の訪問記は六年前の城攻め。氏のようなサイクルに戻すのは既に手遅れ。これでは1,000城攻めても訪問記を書き終えるのに十数年かかりそうだ :$

氏は主要な近世城郭を訪問したあとに、身近な中世城郭を訪問し始めたとのこと。自宅がある成田の城址が余湖図のスタートでもある:

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鷺山城(成田市)

城跡については身近な市史の他に『日本城郭大系』、自治体が発行する報告書の類なのだとか。あとは地方にある研究会の類にも参加しているとのこと。近年は書籍も発刊するなど大活躍である。

区切りとなった城訪問の中には、なんと海外の城もあるのだとか:

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#1000城目

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#2000城目

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#3000城目

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#4000城目

簡単に区切りとして1000城単位で紹介されていたけど、自分と比べると雲の上の、さらに上のレベルである :D。それにしても海外の城塞をしっかり描くなんて気が遠くなる:

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#5000城目

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#6000城目

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#7000城目

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#8000城目

氏の出身は新潟県佐渡とのことで、地元の城もしっかりと訪問済らしい。自分の田舎なんか城とは無縁の場所なので羨ましいかぎり。

8000城を達成したところで、10000城を目指すことを決意したのだとか:

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#9000城目

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#10,000城目

ちなみに、これら余湖図は最初は色鉛筆で描いていたとのこと。最近は絵の具の方が描くのが早いとのことで、それをデジタル化してお絵描きソフトを使って木々をコピーしながら描く手法が現在の Standard らしい[d]絵を描く道具はダイソー御用達とのこと 🙂️。

さらに最初は斜めから俯瞰した構図であったが、これだとどうしても見えない部分が出ててくるので、真上からの俯瞰図=鳥瞰図に変更して今に至るとのこと。

あと一日で訪問できる城数を稼ぐため、全国でも城郭が密集している地方[e]たとえば伊賀とか甲賀とか。あるいは愛知県なんか。を優先して選んでいるとも。

1万を越えてから、なおも増え続けている :)

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#10,270城目

2時間近くの濃密なトークショーを終えたあと、しろうたカフェさんから氏に素敵なプレゼントが:

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五稜郭をかたどったケーキ!🤩️

城マニアにとっては眺めるだけでも、うれしくなる豪華なケーキを、僕ら参加者もおいしくいただきました ;)。力攻めでは落城しなかった五稜郭もついにあとかたもなくなってしまった:D

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余湖氏と1万城ケーキ

トークショー中のクイズに正解して、自分が選んだ余湖図は熊本城。氏のサイン入り:

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余湖図・熊本城(拡大版)

参加賞として、1万城バッジも頂いた:

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1万城バッジ

この日は寒い日だったけど、熱いトークと凄い記録に圧倒されました。自分はあとを追うことは不可能な気がしていますが、氏にはいつまでも城マニアの視点で城跡を訪問して頂きたい。これからも余湖図にはお世話になります :D

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年11月 しろうたカフェ (フォト集)

しろうたカフェ
東京都福生市牛浜158 メディカルビーンズ2F

参照

参照
a 御本人曰く「城址を訪れる際に私の図を参考になさっている方が多いようですが、かなり未完成の部分もあります」のように謙遜しておられるが 😊️。
b 完全予約制の理由は当日参加して理解できた。さらに予約しておいて良かったと思った 😉️。
c Nifty や Biglobe なんて懐かしいキーワードが出てきた。
d 絵を描く道具はダイソー御用達とのこと 🙂️。
e たとえば伊賀とか甲賀とか。あるいは愛知県なんか。

町中華フェス in 豊洲 − But I couldn’t eat anything chinese foods.

今週は、令和5(2023)年の立冬の候を目前にした文化の日ウィークの三連休・最終日[a]世界津波の日。2011年3月11日の東日本大震災を受けて制定され、のちに国連で決議されて世界規模に。いいりんごの日、午前中は東京国立博物館で美術品をいろいろ鑑賞したあと、午後はBS-TBSの「町中華で飲ろうぜ」のフードフェスを開催しているアーバンドックららぽーと豊洲・シーサイドデッキへ。しかしながら昼2時前ともあって、ある程度は予想はしていたんだけど、出店していたキッチンカーは長蛇の列で、狙って並んだお店(萬福)は寸前で売り切れになるなどして、結局は何にもありつくことができなかった:$

この日は11月だと云うのに23度を越えた上に日差しが強く、さっさと退散しようかと思っていたところ、何やらこれから玉ちゃんら出演者のフリートークが開催されるらしい。道理で人の動きが鈍いと思った :|。何も収穫なしに帰るのもなんなのでトークショーを観覧してきた。さすがに腹も空いたので、最後のじゃんけん大会には参加しなかったけど :D

まずはこの日、中華にありつくことができなかった店のキッチンカー:

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紫金飯店・原宿店(東京都渋谷区)

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太幸苑(東京都立川市)

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萬福(東京都中央区)

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味楽(東京都新宿)

まぁ、機会あれば店舗の方に足を運んで実際に中華を食したい ;)

こちらがトークショーの会場。その奥にキッチンカーとフードコートが並ぶ。そして、このデッキの周辺には多くの見物客が既に陣取っていた:

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シーサイドデッキ

待つこと30分ほどで、玉ちゃん(町中華の黒帯)、高田秋(町中華姐さん)、坂ノ上茜(町中華の伝道師)ら出演者が登場。椅子に座ってトークショーが始まった。

玉ちゃんの毒舌や、「町中華党」のお三方によるマニュフェスト発表のくだりは見物客の拍手を浴びていたっけ。

基本的にトークショー中の写真撮影や動画撮影は禁止のお触れが出ていた[b]当然、そのお触れを聞いていない奴輩はがんがんスマフォを向けていたけど 😑️。が、30分ほどのトークが終了したあとは自由に写真を撮ってよいとのことで一斉カメラが向けられ、出演者もそれぞれポーズをとったりしていた:

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トークショー終了

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出演者のみんな

記念写真風にポーズを付けたり:

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フォトタイム

デッキ上の見物客にもポーズをとってくれたり:

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フォトタイム

実際に出演者を観たり声を聞くことができて、諦めて直ぐに帰らなくて良かった〜。暑くて、腹は空いたけど :P

参照

参照
a 世界津波の日。2011年3月11日の東日本大震災を受けて制定され、のちに国連で決議されて世界規模に。いいりんごの日
b 当然、そのお触れを聞いていない奴輩はがんがんスマフォを向けていたけど 😑️。