Mikeforce::Castles

城攻めと古戦場巡り、そして勇将らに思いを馳せる。

タグ: 国宝

日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとして国が指定したもの

熊本城 − Kumamoto Castle

平左衛門丸から見上げた熊本城の大天守と小天守

国の特別史跡で日本三名城の一つに数えられ、さらには築城者で肥後熊本藩初代藩主でもある加藤清正の名前と共に、知らない日本人はいないほど有名な熊本城は熊本県熊本市の中心部に建ち、その堂々たる威容を誇って現在に至っている。時は天正15(1587)年、豊臣秀吉は九州を平定し、肥後を信長麾下で黒母衣衆筆頭だった佐々成政に与えたが、彼の検地に反抗した地侍連中が一揆を起こし、黒田、立花、島津の力を借りて、どうにか鎮圧したものの領地は召し上げられ、切腹の処分を受けた。その後、秀吉は肥後を二つに割って、北半分を加藤清正に、南半分を小西行長に与えた。清正は佐々の居所であった隈本城に入り、行長は宇土城を居城とした。しかし、まもなく始まった朝鮮の役で前後七年間も朝鮮に渡っていたので、満足に城を手入れできずにいたが、秀吉が死去し、やっと帰国してみたら、その二年後に関ヶ原の戦が起こった。この時、清正は九州にいて徳川に大いに協力したので、主がいなくなった南半分も手に入れて、肥後一国五十二万石の主になった。そこで大大名に相応しい居城にすべく、慶長6(1601)年から、千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築き始め、慶長12(1607)年に完成させた。そして、この時に地名を隈本から熊本に改めた。「隈」の字は阜(おか)に畏(おそ)れると書くので、それでは武士の居城としてはみっともないというのが理由だった。彼は朝鮮の役で苦労し経験したこと、そして異国でみた城壁についても学んでいたので、それらを熊本城の築城に生かしたという。その結果、城郭の周囲は5.3km、面積は98万㎡、城内に大天守と小天守、49の櫓、18の櫓門、29の城門、120以上の井戸を備えた堅牢無比の城になった。

続きを読む

松江城 − Matsue Castle

松江城の五層六階望楼型の天守
2014年のGW明けの城攻め第一弾は島根県にある松江城を攻めてきた。別名は千鳥城。築城は「仏の茂助」と呼ばれ尾張時代から秀吉に付き従った堀尾吉晴(ほりおよしはる)と子息の忠晴(ただはる)。山陰に現存する城の中で唯一、天守が残っている城。2015年には天守が国宝に認定された。ちなみに、天守が国宝に認定されるのは63年ぶり8)

続きを読む

姫路城 − Himeji Castle

「に」の門の下から平成の大修理中の姫路城の本丸

今となっては三ヶ月前の城攻めになってしまったのだけれど、これはこれで自身初の姫路入り。

続きを読む

© 2018 Mikeforce::Castles

テーマの提供は Anders NorenUp ↑