江戸時代に旗本になった竹中氏陣屋跡には櫓門と石垣が残る

岐阜県の不破郡垂井町岩手《フワグン・タルイ・イワテ》614-1周辺は、後世には今孔明《イマ・コウメイ》[a]中国の三国時代の英傑らを物語る『三国志演義』に、天才軍師として登場する諸葛亮孔明に並ぶとの例えから。他にも三顧の礼など孔明が引き合いに出されることが多い。と呼ばれた竹中半兵衛重治《タケナカ・ハンベエ・シゲハル》の嫡男・重門《シゲカド》が天正16(1588)年頃に築いた城で、竹中氏累代の居城として戦時には詰城になる菩提山城《ボダイサン・ジョウ》に対して、平時の居館として使われた。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いのあと、所領を安堵されて幕府の上級旗本[b]家格は交代寄合で、領地支配の他に江戸に家老や家臣を常駐させ、参勤交代制の対象となった。扱いとなった重門は、祖父・重元《シゲモト》の代から続く菩提山城を廃し、ここ岩手一帯における行政府としての機能を移して陣屋《ジンヤ》とした。この城は四方に濠と土塁と石垣を巡らし、大手口にあたる東側に櫓門を有していたと云う。竹中氏は明治元(1868)年の戊辰戦争まで存続し、最後の当主である十四代・重固《シゲカタ》は旧幕府軍方について敗れ、陣屋は廃城となった。現在は城域の大部分が消失しているが櫓門とその台座石垣、そして濠など一部の遺構が往時の姿で残っている。

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参照

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a 中国の三国時代の英傑らを物語る『三国志演義』に、天才軍師として登場する諸葛亮孔明に並ぶとの例えから。他にも三顧の礼など孔明が引き合いに出されることが多い。
b 家格は交代寄合で、領地支配の他に江戸に家老や家臣を常駐させ、参勤交代制の対象となった。