越後国を流れる信濃川と柿川《カキガワ》の合流点に形成された河岸段丘上に、その昔、蔵王権現[a]金剛蔵王権現とも。仏教の国である印度に起源をもたない日本独自の山嶽《サンガク》仏教の一つで、大和国(現在の奈良県)の金峯山寺《キンプセンジ》本堂(通称が蔵王堂)の本尊である。を祀る蔵王堂が建てられていたが、南北朝時代、この御堂に北朝勢力の中条氏が本陣を構えて砦化したことが蔵王堂城の始まりと伝わる。戦国時代初期、越後国守護の上杉氏と共に国入した長尾景晴《ナガオ・カゲハル》が古志《コシ》郡代となり、交通の要衝にあたる蔵王堂城を居城にした。景晴は越後長尾氏[b]長尾為景や長尾景虎(云わずとしれた上杉謙信)の家系。の分家にあたる古志長尾氏の祖となり、その後、古志長尾氏が栖吉城を居城にすると、長尾為重《ナガオ・タメシゲ》[c]長尾景虎の祖父にあたる長尾能景《ナガオ・ヨシカゲ》の子で、父・長尾為景の弟。景虎の叔父にあたる。が入城して本格的に改修したと云う。時が流れ慶長3(1598)年に越後上杉氏が會津若松へ国替えになると、代わって入国した堀秀治《ホリ・ヒデハル》の弟・親良《チカヨシ》が蔵王堂城に入城、のちに養子[d]兄・堀秀治の次男。の鶴千代が継ぐが夭逝《ヨウセイ》したため、彼の後見人であった堀直寄《ホリ・ナオヨリ》が居城の坂戸城とともに治め[e]当時、蔵王堂城は蔵王堂藩、坂戸城は坂戸藩が治めていた。、長岡城移転後は廃城になり、現在は遺構の一部が残るのみである。
日別: 2022年9月13日
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