駿河戸倉城は狩野川に突き出た比高60mほどの本城山に築かれた

静岡県駿東郡清水町徳倉1921番の1の本城山《ホンジョウザン》山頂にある本城山公園は、戦国時代初めに狩野川《カノガワ》と柿田川《カキタガワ》とが合流する独立丘陵上に相模の北條氏綱が築いた[a]諸説あり。とされる駿河戸倉城跡にあたり、昭和58(1983)年に町民の憩いの場として開園した。この駿河国と伊豆国の国境に築かれていた戸倉城は、その境を決める狩野川が氾濫して流路が変わるたびに駿河国に属したり、伊豆国に属すといった珍しい事情を持つ[b]全国に同名の城がある場合は国名を付けるのが習慣であるものの、このような事情を持つ城のため本稿のタイトルには「駿河」を冠すが、文中では「戸倉城」と綴ることにする。。永禄11(1568)年に甲斐の武田信玄が甲相駿三国同盟[c]善徳寺《ゼントクジ》の会盟とも。を反故にして、三河の徳川家康と共に駿河国今川領へ侵攻すると、北條氏康は相駿同盟を尊重して信玄に対抗したが、ここ戸倉城も両者の戦いの舞台となったと云う。また、家康に攻めたてられた今川氏真が一時身を寄せた城が戸倉城だったとも。天正9(1581)年に城代の笠原政晴《カサハラ・マサハル》が寝返って一度は武田の手に落ちるが、甲斐武田家が滅亡したあとは小田原北條氏が奪還した。

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参照

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a 諸説あり。
b 全国に同名の城がある場合は国名を付けるのが習慣であるものの、このような事情を持つ城のため本稿のタイトルには「駿河」を冠すが、文中では「戸倉城」と綴ることにする。
c 善徳寺《ゼントクジ》の会盟とも。