城攻めと古戦場巡り、そして勇将らに思いを馳せる。

月別: 2020年6月

仙臺城 − Sendai Castle

仙臺城の本丸北壁には伊達政宗が築いた時代を含む三つの異なる時期の石垣が遺っていた

関ヶ原の戦が終わった慶長5(1600)年、『独眼竜』の異名を持つ伊達左京大夫政宗《だて・さきょうたゆう・まさむね》が、広瀬川西岸の切り立った段丘上に築かれていた城跡[a]千体城、または千代城。国分《こくぶん》氏の居城。のちに政宗と対立して滅亡した。に、二年余の歳月をかけて築いた山城が仙臺城[b]これは旧字体で読みは「せんだい・じょう」。本稿では城名と藩名を可能な限り旧字体で、現代の地名や施設名は新字体の「仙台」と記す。である。それ以降13代270年にわたって伊達氏の居城となり、仙臺藩の政庁が置かれた。初代藩主である政宗は大規模な工事を敢行して青葉山に石垣と土塁で防備した本丸を築き[c]同時に、現在は「三ノ丸」と呼ばれている「東丸《ひがしまる》」も築いた。ちなみに本丸の西にある郭が「西丸《にしまる》」。、東と南は広瀬川と竜ノ口《たつのくち》渓谷の断崖、西が険しい青葉山と御裏林《おうらばやし》に囲まれたまさに天然の要害であったが、徳川幕府による泰平の世にはもはや時代遅れの城郭であり、二代藩主・忠宗《ただむね》の時代には平地に二ノ丸を造営して藩政の中心とし、急峻で幾度も折れ曲がる従来の大手道を廃止し、二ノ丸に大手門を築いて新たな登城道が整備された。ここで仙臺城は中世城郭の山城から近世城郭の平山城へと変貌した。明治4(1871)年に廃城となり、その後の火災や地震、米軍による仙台空襲によって城郭及び建造物の多くが焼失した。平成15(2003)年には国史跡に指定され、現在は宮城県仙台市青葉区川内1-2の仙台城跡として整備されている[d]平成23(2011)年3月11日の東日本大震災でも甚大な被害を被った。

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参照

a 千体城、または千代城。国分《こくぶん》氏の居城。のちに政宗と対立して滅亡した。
b これは旧字体で読みは「せんだい・じょう」。本稿では城名と藩名を可能な限り旧字体で、現代の地名や施設名は新字体の「仙台」と記す。
c 同時に、現在は「三ノ丸」と呼ばれている「東丸《ひがしまる》」も築いた。ちなみに本丸の西にある郭が「西丸《にしまる》」。
d 平成23(2011)年3月11日の東日本大震災でも甚大な被害を被った。

多賀柵/多賀城 − Taga Castle

多賀柵跡の正門・外郭南門からは政庁まで真っ直ぐに延びた南大路が残っていた

宮城県多賀市市川にある多賀城跡は、天平9(737)年に「多賀柵《たがさく》」[a]古代日本の大和朝廷が東北地方に築いた古代城柵《こだい・じょうさく》の一つ。本稿では「多賀城」と「多賀柵」の両方を特に区別なく使用している。として初めて『続日本紀[b]平安時代初期に菅原道真らによって編纂された史書。六国史《りっこくし》の中では『日本書紀』に続く二作目にあたる。』に登場し、以降その他の史書では「多賀城」と記されていた。この城は、奈良時代に陸奥国の国府及び鎮守府《ちんじゅふ》が置かれた行政と軍事の拠点の一つで、神亀元(724)年に大和朝廷の命を受けた大野東人《おおの・あずまひと》が蝦夷[c]読みは「えみし」。朝廷のある京都から見て、北方または東方に住む人々の総称。勢力との境界線で、松島方面から南西に伸びる低丘陵の先端に位置し仙台平野を一望できる、ここ多賀に築いたのが始まりとされる。不整形な方形の外郭には築地《ついじ》[d]土を突き固めながら積み上げ、上に屋根をかけた塀の一種。を巡らし、中央部に政務や儀式を行う政庁が建ち、その周囲には行政実務を担う役所や兵舎、工房などが併設された。天平宝字6(762)年には藤原南家の四男・朝狩《あさかり》が改修し、城外には道路で区画された町並みが形成された。しかし宝亀11(780)年には伊治呰麻呂《これはり・の・あざまろ》の反乱により城は焼失、後に復興されたが貞観11(869)年に大地震が発生して建物は全て倒壊するも、これも再興した。最後は室町時代の南北朝争乱で落城し廃城となった。大正11(1922)年に国史跡に、そして昭和41(1966)年には特別史跡に指定され、現在に至る。

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参照

a 古代日本の大和朝廷が東北地方に築いた古代城柵《こだい・じょうさく》の一つ。本稿では「多賀城」と「多賀柵」の両方を特に区別なく使用している。
b 平安時代初期に菅原道真らによって編纂された史書。六国史《りっこくし》の中では『日本書紀』に続く二作目にあたる。
c 読みは「えみし」。朝廷のある京都から見て、北方または東方に住む人々の総称。
d 土を突き固めながら積み上げ、上に屋根をかけた塀の一種。

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