米沢城に眠る謙信公の霊柩が万が一の事態になったら避難させる場所に上杉家御廟がある

山形県米沢市御廟1丁目にある米澤藩主[a]本稿では藩名を「米澤」、城名と現代の地名を「米沢」と記す。上杉家御廟は、藩祖で越後国春日山にて関東管領職を務めた不識院謙信《ふしきいん・けんしん》[b]云わずと知れた上杉謙信。公の御遺骸《ごいがい》をはじめとする歴代藩主の廟が杉木立《すぎこだち》の中に整然と立ち並び、森厳《しんげん》とした雰囲気に満ちた墓所として知られている。元々は公の霊柩が安置された米沢城本丸で大事が発生した場合に、その霊柩を一時的に退避させるために用意されていた場所であったが、元和9(1623)年に逝去《せいきょ》した初代米澤藩主・上杉権中納言景勝《うえすぎ・ごんちゅうなごん・かげかつ》公の御遺骸が埋葬されて以降は十一代に渡って米澤藩主が埋葬され、御霊屋《おたまや》の前には御廊下と拝殿が建ち、寄進された千基を越える石灯籠が並べられていた。それから明治6(1873)年の廃城令で米沢城本丸跡から改めて不識院謙信公の霊柩がこの場所に遷座されると、それに伴って拝殿や多数の石灯籠が撤去された上に参道も造り替えるなどして、現在観ることができる景観になったとされる。そして本御廟は昭和59(1984)年には全国の大名家墓所としては五番目となる国指定史跡に登録された。

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参照

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a 本稿では藩名を「米澤」、城名と現代の地名を「米沢」と記す。
b 云わずと知れた上杉謙信。