縄文時代に太平洋から関東東部へ湾入し、内海として下総(しもうさ)国一之宮にあたる香取神宮[a]関東地方を含む全国にある「香取神社」の総本社。茨城県の鹿島神宮と息栖(いきす)神社と共に東国三社の一つ。の目の前まで広がっていた香取海(かとりのうみ)[b]地学的には古鬼怒湾(ふるきど・わん)と呼ばれる。は奈良時代に入ると海退[c]読みは「かいたい」。土地の隆起により海岸線が後退し海面下のにあった地面が陸上に現れること。し、鬼怒川からの土砂が流れこむことで出口が堰き止められて沼が形成された。これが印旛沼(いんばぬま)の始まりとされる。この沼を天然の外堀として築かれた砦が師戸城であるが築城の経緯は不明であり、一説には下総国を拠点として千葉介(ちばのすけ)を名乗っていた千葉氏の一族とされる臼井(うすい)氏が居城とした下総臼井城の支城として、室町時代初期に築かれたと云われている。また江戸時代初期に編纂された『臼井家由来抜書(うすいけ・ゆらい・ぬけがき)』によると臼井氏四天王の一人、師戸四朗なる人物が城主を務めたとある。その後、戦国時代に至るまで何度か改修され、千葉県は印西(いんざい)市師戸の印旛沼公園に現存する規模になったと推定されている。永禄9(1566)年、関東管領・上杉輝虎[d]のちの上杉謙信。「輝」の字は足利幕府第13代将軍・足利義輝からの偏諱。が小田原北條氏の勢力を駆逐するため安房の里見義堯・義弘父子らと千葉氏の家臣・原胤貞(はら・たねさだ)らが籠もる臼井城を攻め、師戸城もまた越後の精兵らの猛攻にさらされた。
月別: 2019年8月
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