千葉県千葉市中央区亥鼻の猪鼻(いのはな)台地の上にあった亥鼻城は、平安時代の終り頃の大治元(1126)年に、桓武天皇を祖とする平家支流の千葉常重(ちば・つねしげ)が、当時の大椎(おおじ)城[a]現在の千葉県千葉氏緑区大椎町にあった城。から居城を移転して築城したものであり、現在はその跡地に四層五階の天守閣を形を模した千葉市立郷土博物館[b]昭和42(1967)年の開館で、昭和58(1983)年に現在の館名を改められた。が建っている。ここ亥鼻城を本拠としたあとは常重の嫡子・常胤(つねたね)が源頼朝を助けて源平合戦や奥州合戦に参戦し、鎌倉幕府樹立に大きく貢献することで下総国の他に奥州や九州[c]奥州の所領は現在の福島県、九州の所領は現在の佐賀県である。に所領を拡げて千葉氏の最盛期を創った[d]常胤は拝領した所領を胤正(たねまさ、千葉介)、師常(もろつね)、胤盛(たねもり)、胤信(たねのぶ)、胤通(たねみち)、胤頼(たねより)といった6人の息子に割譲してそれぞれ治めさせ、「千葉六党(ちばりくとう)」として一族が団結した。こののちに『上総千葉氏』、『下総千葉氏』、そして『九州千葉氏』となる。。しかし、鎌倉公方(足利成氏)による関東管領(山内上杉憲忠)の謀殺を発端として、享徳3(1454)年から28年間、関東一円の国衆・地侍らを巻き込んだ享徳の乱(きょうとくのらん)では千葉家中で内紛が勃発、公方派だった馬加(千葉)康胤や原胤房は関東管領派であった千葉介胤直が籠もる亥鼻城を攻め、城は落城、多古に逃れた胤直一族を滅ぼして下総千葉氏で千葉氏本宗家を継承した。それから康胤の孫である輔胤は関東管領上杉氏や太田道灌、さらには一族である武蔵千葉氏と抗争しつつ、印旛沼と利根川の水運を掌握でき古河公方勢と連携できる地に本佐倉城を築き、亥鼻城を廃城して居城を移した。
日別: 2018年2月9日
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