上泉城の本丸跡に建立された四代目城主上泉伊勢守信綱の像

国盗りの攻防が激しかった戦国時代の上州にあって赤城山南麓一帯の大部分は、大胡城《オオゴジョウ》を居城としていた大胡氏によって支配されていた。その支城として築かれ、大胡一族でもある上泉氏が在城していた上泉城は現在の群馬県前橋市上泉町にある。城域は推定で東西およそ600m、南北およそ400m、城の南に桃ノ木川《モモノキガワ》、西から北に藤沢川が還流することで三方を川という天然の外堀で囲まれていた。要害は本丸・二の丸・三の丸の他に、一の郭とニの郭、そして出丸を持っていた。中世の末期、剣道史に名を残した剣聖・上泉伊勢守秀綱(のちに武蔵守信綱)は永正5(1508)年に上泉城主・武蔵守義綱の次男として生誕し、のちに四代目城主となって領地と領民を守った。当時の上州は北から越後長尾氏、西から甲斐武田氏、南から小田原北條氏がそれぞれの思惑をもって侵攻していた時代で、上泉伊勢守は平井城の関東管領上杉氏の被官であったが、その最後の管領だった上杉憲政《ウエスギ・ノリマサ》が長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後入した後は、同じ上杉方の箕輪城主で勇将の誉高い長野業政の重臣となり、ともに武田信玄率いる甲州勢と壮絶な戦いを繰り広げ「上野国一本槍」と呼ばれた。

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