天正17(1589)年に、北条方の上野沼田城将・猪股邦憲が真田方の名胡桃城を奪取したことに端を発する豊臣秀吉の小田原仕置は、その翌年の天正18(1890)年正月に三河の徳川家康が先鋒となって東海道を押し進み、それから間もなく加賀の前田利家、越後の上杉景勝ら北国口勢が上野へ侵攻することで始まった。秀吉は自ら3万2千の大軍を率いて、同年3月に京都を発って小田原へ向かった。これに対して小田原の北条方は総構を備えた小田原城に氏政・氏直父子の他、氏照、太田氏房、佐野氏忠、成田氏長、上田憲定、松田憲秀をはじめとする領国内の主だった者たちが籠城し、さらに領国内の要所にある支城には彼らの一族や重臣らが籠城し、豊臣軍の進撃に備えていた。秀吉が小田原に向った3月頃には上杉・前田ら北国口勢が上野の松井田城を攻撃し、その翌月の4月には真田昌幸・信繁父子と佐竹義宣らの軍勢も合流した。そして松井田城主・大道寺政繁を降伏・開城させた後は、箕輪城・厩橋城・佐野城などの支城が次々と開城していった。同年6月には忍城攻めを仰せつかった石田治部・大谷刑部・長束大蔵らが、現在の「さきたま古墳公園」にある丸墓山古墳に本陣を構え、城を押し包むも攻めあぐね、ついには備中高松城攻めに倣って水攻めを決断した。
日別: 2016年3月2日
カテゴリー
- 三河国 (3)
- 上総国 (3)
- 上野国 (8)
- 下総国 (8)
- 下野国 (6)
- 伊予国 (4)
- 伊豆国 (4)
- 伯耆国 (2)
- 信濃国 (10)
- 備中国 (2)
- 備後国 (2)
- 出雲国 (2)
- 北海道・東北地方 (17)
- 北陸・東海地方 (25)
- 周防国 (1)
- 和泉国 (1)
- 四国・九州地方 (19)
- 土佐国 (1)
- 城攻め管理 (1)
- 墓所・菩提寺 (49)
- 外観復元天守 (7)
- 天守あり (51)
- 天守不明 (18)
- 安芸国 (6)
- 山城国 (3)
- 常陸国 (3)
- 復興天守 (7)
- 戦国大名居城 (52)
- 戦国武将 (35)
- 摂津国 (5)
- 播磨国 (1)
- 書籍 (2)
- 木造復元天守 (5)
- 模擬天守 (7)
- 武蔵国 (34)
- 現存12天守 (8)
- 甲斐国 (6)
- 相模国 (8)
- 石見国 (1)
- 筑前国 (2)
- 筑後国 (1)
- 紀伊国 (1)
- 美作国 (1)
- 美濃国 (1)
- 肥前国 (3)
- 肥後国 (3)
- 蝦夷国 (1)
- 讃岐国 (2)
- 越後国 (9)
- 近畿・中国地方 (29)
- 遠江国 (9)
- 関東・甲信越地方 (95)
- 阿波国 (1)
- 陸奥国 (16)
- 非現存 (24)
- 駿河国 (9)
アーカイブ
COPYRIGHTS
このサイトにあるコンテンツは全てクリエイティブ・コモンズでライセンスされています。出典付きでリソースを公開する場合も著作権を行使します。直リンクを含む無断使用を目視またはログ等で確認した際は掲載料として一画像につき2万円(日本円)をアクセス数分請求させていただきます。
最近のコメント