城攻めと古戦場巡り、そして勇将らに思いを馳せる。

長曽我部元親公初陣之像 − The first battle of Chōsokabe Motochika

足元にある四国一円を掴み取ろうとする長宗我部元親公の初陣像

永禄3(1560)年、土佐の戦国大名となる長曽我部元親が初陣として長浜城攻めの本陣を置いた高知県高知市の若宮八幡宮近くに、彼の初陣之像が建っている。この八幡宮で必勝を祈願し戦いに臨んだという。元親はこのとき二十二歳。遅い初陣であったが、父と弟と共に自ら槍を振って突撃するという勇猛さを発揮し、土佐の豪族の一つであり祖父の仇である本山梅慶を打ち破ったという。その年、父の国親が急病で亡くなり、家督を相続する。本山家を圧服して土佐五郡を手に入れ、後に土佐一国を手に入れる。最初は祖父の仇打ちであったが、領土が大きくなるにつれて、四国全体の主になりたいという野望が芽生えてきたのであろう。ちなみに、彼の母は美濃斎藤氏の娘であり、彼の正室は明智光秀の片腕である斎藤利三の妹である。その関係か、彼は大の「信長フリーク」であり、自分の嫡男である与三郎には信長から偏諱を受け信親と名乗らせ、信長の左文字である備前兼光を拝領した。しかし、信長が元親の四国統一を望まず、一転して対立状態になると、信長は三男の信孝と丹羽長秀を四国に派遣して平定しようとしたが、その矢先に本䏻寺の変が勃発し四国平定軍は解散・撤退した。これにより元親は危機を脱することができた。

昨年は2014年の7月に人生で初めて高知県に上陸した。そして先ずは長曽我部元親と嫡男の信親の墓所でもお参りしようとしたのだけれど路に迷ってしまい、折からの晴天で体力が消耗したため若宮八幡宮の初陣之像だけの訪問になってしまった :(。残念。次回は必ず訪問したい。

若宮八幡宮からだいぶ離れたところに像が建立されているのだけれど、これがまた格好良いポーズ:

足元にある四国を掴みとろうというポーズ

初陣之像

平成11(1999)年に建立された像

初陣之像

 

元親公の郷土への偉大なる業績を顕彰するために建立された

初陣之像

歴史に名を残しながらも悲運のうちに倒れた長曽我部一族の御霊を鎮めるために建立された

初陣之像

郷土の誇りとして語り伝えるために建立された

初陣之像

元親は、その後に四国を平定するも、羽柴秀吉とも対立することになった。最後通牒を無視された秀吉は四国征伐を決意し、総大将に弟の秀長をおき、副将を羽柴秀次とする一手は淡路を経由して、小早川隆景を副将とするもう一手は伊予を経由して、そして宇喜多秀家と黒田官兵衛率いる一手が讃岐を経由してそれぞれ四国に上陸し、総勢十二万の大軍で押し寄せた。大軍に攻め立てられた元親は、ついに土佐一国を安堵する条件で降伏した。

その年、元親がお礼言上のため京へ上り、秀吉に拝謁した。秀吉は英雄の心を掴むのが得意なところであり、元親一行を大いに接待し、たくさんの武具や宝物を与えた。この中には、後に元親の命を助ける内記黒の馬も含まれている。さらに、正月のお祝いでは大坂城の天守に連れて上がり見物させ、伊達染めの羽織を元親に与え、家臣らにも名刀を与えたり、人質として出していた次男を元親に返したという。これにより、元親は骨髄にしみてありがたいと思ったという。

そして秀吉の恩遇に報いるべき機会として九州攻めがあったが、ここでは最愛の嫡男・信親を失うことになった。
戸次川(へつぎがわ)の戦いでは軍目付である仙石秀久のはやりにはやった作戦が、島津家久の策にはまって大敗。その後、四国征伐軍は壊滅し敗走した。秀久には、軍議で戦上手の元親の他に、かつての敵であり鬼十河と謳われた十河存保(そごうながやす)らが元親に同調して異議を唱えたが聞き入られなかった。元親の嫡男・信親は身長六尺一寸(およそ185cm)、見事すぎるほど見事な勇士であり、ふだん差の脇差が信長の愛刀備前兼光三尺五寸の刀で、兵法・早業に並ぶもの無く、走り飛び二間する間に、この名刀を抜いたと云う。味方敗軍、混戦となったので長曽我部家の家老桑名太郎左衛門は防ぎながら、信親に「急ぎ退きたまえ」と手振りで知らせたが、信親は一歩も引かず、馬から降りて四尺三寸の大太刀をもって殺到する薩摩兵を一薙に八人も切り伏せた。さらには刀左文字の兼光を抜いて、六人を斬り伏せた。しかしながら次第に敵兵が付け入ってくるようになると、「今はもうせん方なし。腹切ろう」と心を決めたところに、あとからあとからかかってくる敵兵についに討ち取られてしまった。享年22。島津軍で鬼武蔵と呼ばれた新納忠元は、信親の奮戦ぶりを敵ながら激賞したという。
信親は元親が最も愛する子であったため、信親の戦死を聞くと「同じところで死のうぞ」と愛馬の内記黒をどこかに走らせ、太刀を抜き敵が来るのを待ち構えていたが、家臣に諌められ、一時どこかに行っていた元親の内記黒が走り戻ってきて、これに元親を載せて退却したと云う。
意気消沈した元親はその後、精彩を欠き、後継問題などで家中を混乱させることになってしまった。

See Also長曽我部元親公初陣之像 (フォト集)

1 個のコメント

  1. ミケフォ

    全て逆光になってしまった。せっかく時間をかけて辿り着いたのに。うーん、残念。
    でも、ホントわかりづらい場所に置かれていたなぁ。若宮八幡宮の境内には無いのでご注意。

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