広島城は複合連結式望楼型五層五階の天守閣

広島県広島市にある広島城は、西国の雄である毛利氏が、それまでの拠点だった安芸の吉田郡山城から広島へ本拠地を移した際に築城した輪郭式平城である。これは豊臣政権となって太平の世を迎えたことで、それまでの「戦う山城」から「商を促進する平城」への大きな転換である。制限の多い山間部では本拠地としての繁栄は望めず、また海上交易路を持つ瀬戸内海の水運を活かし、商業を中心とした城下町にするのであれば平野がある海沿いの土地へ移動すべきという考えからで、当時の毛利家第十四代当主の輝元は、天正16(1588)年に豊臣秀吉に謁見した際に大坂城と聚楽第をみて、その豪壮さと繁栄を目の当りのし、郡山城のような山城はすでに時代遅れだと悟ったとされる。しかしながら、その築城は当初の予定から大きく遅れ、完成までに10年を要した。広島の太田川河口の三角州は地盤が弱かったことが大きな原因とされる。完成が慶長4(1599)年で、次の年に起こった関ヶ原の合戦で敗れた輝元は周坊・長門の国へ転封になった:O

広島城には、この前年の広島出張の時に初めて登城した。当時は「城攻め」気分ではなく、単なる観光だったけれど。そして再び広島へ出張に来て、今回(2014年6月)が二度目の登城となった。実は一回目も二回目も雨(または曇り)で、なぜか天候には恵まれなかったのが印象的 :|。この時の中国地方の天気は午後から悪くなるということで、遠出はせずに、近場の広島城を攻めてきたのだけれど、天守閣の中は一回目の登城時に見たので割愛し、雨が降る前に本丸の内堀を一周し、二の丸から三の丸を見て回ってきた。石垣マニアとしては十分に満足できた城だったのだけれど、事前に「しろうや!広島城」(PDF)の探検マップにある石垣情報を知っていれば二倍は楽しめたのになぁと今更ならが残念に思ったり:(

この広島城、完成に時間は要したものの、築城当時は望楼型の五層五階の大天守に小天守二基を連ねた連結式天守閣をはじめ、立ち並ぶ数多くの櫓が百二十万石の大名に相応しい風格があったという。
それが幕末を経て明治時代になり広島県が成立すると、県庁が広島城の本丸に設置されが、のちに陸軍の施設が設置され、日清戦争時は大本営が広島城に明治天皇が入った。その後、太平洋戦争に突入し昭和20(1945)年に米軍の原子爆弾による被曝で、天守閣は倒壊し、門や櫓は焼失した。

現在は本丸、二の丸、三の丸が(復元を含め)残っている。まずは、そんな広島城の二の丸から:

太鼓櫓と長い多聞櫓

太鼓櫓と多聞櫓

二の丸全景(二の丸堀、御門橋、表御門、平櫓、多門櫓、太鼓櫓)

二の丸全景

平櫓から中に入って多門櫓を通り、二の丸奥の太鼓櫓まで内部が展示されている。二の丸は馬出の機能を併せ持つ郭であった:

二の丸跡の説明板

二の丸跡

二の丸の内部には櫓の他にも、厩や番所、井戸などがあった:

二の丸内の全景で手前にあるのは番所跡

二の丸内の全景

二の丸の中から見た太鼓櫓

太鼓櫓

 

それから二の丸の内堀を見ながら三の丸を歩いていくと、原爆による被曝の影響だろうか黒くなった石垣があった。天守閣をはじめとする建物は原子爆弾の強烈な爆風で全て倒壊焼失したものの、一部の石垣や土塁、堀は残ったと云われる:

一部が黒く焦げているように見える

本丸の石垣

それから本丸との土橋を渡って裏御門跡から中御門跡を通って本丸に入った。
本丸から見た太鼓櫓:

毛利氏の時代の石垣と福島氏の時代の石垣が混ざっている

二の丸と太鼓櫓

関ヶ原の戦後、毛利輝元は名目でも西軍の大将であったため百二十万石と広島城を召し上げられて、周坊・長門二カ国三十七万石に大減封された。その後に広島城へ入城してきたのが秀吉の子飼いの武将の一人、福島正則。
二の丸や本丸の天守台近くにある石垣には、毛利氏が広島城を築城した際の石垣(野面積)と、この福島正則が拡張・整備した時の石垣(打込接)が混ざっているところがある。

これは本丸の入口にあたる中御門跡。この石垣は毛利氏の時代のもの。真中下あたりにある巨石は、広島城の中で一番大きな鏡石:

本丸に次ぐ大事な門には鏡石が埋め込まれている

中御門跡

とこどろころ赤くなっているのは、原爆の火災で門と一緒に石も赤く焼けてしまったからだとか:

とこどころ赤くなっているのは火災で石が焼けたため

本丸の石垣

本丸にあった広島大本営跡を横目に、天守閣をのぞみ見る。本来は天守の東と南に小天守があったが、現在のところ復元されていない:

往時の天守は黒光りが眩しい黒漆塗りだったという

大天守

往時の天守は黒光りが眩しい黒漆塗りだったという

大天守

 

次に、南小天守跡の南側から入って天守台を見ていく:

天守台の石垣

天守台の石垣

天守台の石垣

天守台の石垣

石落とし

石落とし

傾斜をつけるために石を斜めに切断した、ものすごい手間のかかった石

天守台の隅石

 

本丸の堀をぐるりとまわって眺めた天守閣いろいろ:

掘面に映る天守閣

天守閣と「逆さ天守閣(ぽい)」構図

大天守

大天守

城の北から見た天守閣

天守閣

城の西から見た天守閣

天守閣

 

そして本丸石垣と堀。堀面に反射する石垣:

本丸石垣と堀

本丸石垣と堀

本丸石垣と堀

本丸石垣と堀

 

内部は鉄筋コンクリートながらも、史料を元に外装復元された大天守の創建さは素晴らしい:

広島城の天守閣

広島城の天守閣

次回は天気の良い時を選んで攻めてみたいと思う。夜のライトアップで堀面に映る「逆さ天守」も見たいし :)。おまけで、広島城近くのリーガロイヤルホテルのあるビルから広島城二の丸あたりの眺め:

リーガロイヤルホテル広島のビル

リーガロイヤルホテル広島のビル

遠くに見える広島城の二の丸

遠くに見える広島城の二の丸、本丸と天守閣

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