三原城の天主台石垣と本丸堀

三原城は、毛利元就の三男で古高山城(今の広島県本郷あたり)の沼田(ぬた)小早川家を継いだ小早川隆景が、永禄10(1567)年に沼田川河口である三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで築いた城である。満潮時に瀬戸内海の海上から見ると、海の上に浮かんで見えることから「浮城(うきしろ)」とも呼ばれた。隆景公は、一度は九州筑前へ居城を移したが、隠居した後に再び三原に戻って修築するも、残念ながら二年後に病死した。

広島の当時の別宅からも意外と近かった広島県三原市。そのJR三原駅ホームが本丸を貫いているという、ちょっと驚いてしまう城跡 :O

ちなみに隆景公が三原城に移る前の「古高山城」や「新高山城」は、これまた共に新幹線のトンネルによってぶち抜かれており、地元広島は何と言う無礼なことをしでかしたものかと思ったものだ :(。こちらは2015年の春に攻めてきたので、後日紹介する予定。

で、こんな三原城の本丸は、明治時代に山陽鉄道が本丸を壊して貫いて建築されてしまったため、今でも城の中を新幹線などが横切っており、実際のところJR三原駅の構内からしか天主台には入れないようになっていた:

三原城天主台入口

JR三原駅の二階にある三原城天主台入口

駅の二階にある入口から、そのまま外に出ると本丸天主台跡が広がっている。この入口は、駅が開いている時間帯であれば自由に出入りできるようだ。そして天主台跡の上は散策できる憩いの場になっていた:

天主台上

天主台の上は広場になっていた

そして天主台の上から駅ホームを振り返ってみると、JR山陽本線・新幹線が本丸を貫いているのがよくわかる。一応、石垣を保存すべく石垣の縁の上を跨いで三原駅は建設されたらしい:

本丸をぶち抜いているJR山陽本線

本丸に覆いかぶさっているJR山陽本線

天主台跡の上から見たJR山陽新幹線のホーム

天主台跡の上から見たJR山陽新幹線のホーム

しかしながら、この天主台には天守閣は建てられていない。規模的に広島城の天守なら五から六個は建てられそうだという。この天主台からは本丸堀を観ることができ、駅の外から見た天主台の石垣と水堀の構図は天守が築かれていないなんて見えないくらい立派である:

天守台石垣と本丸堀

天守台石垣と本丸堀

三原城天守台

駅の外から見た三原城天守台

天主台の上からみた本丸堀のパノラマ:

天主台からみた本丸堀(パノラマ)

天主台からみた本丸堀(パノラマ)

この三原城は海に向かって船入を開き、城郭兼軍港としての機能を備えた城でもあり、駅の南側は二の丸にあたり、今でも遺構がいくつか残っているようなので構内に戻って南口から外に出てみた。その時に「隆景広場」なる看板をみたのだけれど、ここには小早川隆景公の像があると後で知った :(。残念:

駅の西口には隆景広場と言われている

駅の西口には隆景広場と言われている

三原駅の南口

三原駅の南口

駅の南口から三原湾方面へ移動すると、ビルの合間に二の丸の中門跡と臨海一番櫓跡がある:

中門跡付近

中門跡付近

臨界一番櫓跡の碑

臨界一番櫓跡の碑

なぜか中門跡の堀には鴨やアヒルや亀がいたけれど、何か意味があるのだろうか:|:

中門跡の堀にいた動物たち

中門跡の堀にいた動物たち

さらに中門跡を二の丸方面に進むと船入櫓跡が残っており、船入跡に沿って駅に向かって回りこむと船入櫓跡の上に登ることができる:

船入櫓台の石垣

船入櫓台の石垣

船入櫓台の石垣

船入櫓台の石垣

船入櫓跡

船入櫓跡に登ったところ

ちょっと珍しい事情を持つ三原城だけれど、天主台の石垣はやっぱり凄い。ちなみにJR三原駅構内には縄張り具合がよくわかる三原城の模型が展示されていた。

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