2014年のGW最終日は、九州は福岡県にある福岡城を攻めてきた。別名は、鶴が羽ばたく姿に似ているということで「舞鶴城」。 ちょうどこの年のNHK大河ドラマが「軍師官兵衛」ということもあり、既に攻略済みの姫路城同様、町全体でいろいろと展示会やイベントが開催されているようで、その一つの福岡市博物館にも行ってきた。
広島を朝9:00くらいに出発し、JR西日本の新幹線さくら(新大阪発、鹿児島着)に乗って、博多には朝11:00ちょっと前に到着した。ちなみに九州新幹線には初めて乗った:
それから、JR博多駅から福岡市営地下鉄で福岡城の最寄り駅である大濠公園(おおほりこうえん)駅まで移動した。この駅から福岡城の大手門までは五号濠沿いを歩いて直ぐ:
濠を渡って福岡城の大手門に相当する下之橋御門へ移動した。下準備の際、ここは「舞鶴公園」として公園化されているので、あまり期待できるほど遺構は残っていないと思っていたのだけれど、大手門にはそれなりの状態でお目にかかれたので良かった :
それから(写真を撮り忘れた)旧母里太兵衛邸長門の前を通り、三の丸がある平和台競技場を越えて駐車場にさしかかったところで素晴らしい石垣に遭遇した。これは二の丸の石垣らしい:
これはまた見事な高石垣だったので、もしかしたら「期待できるかも!?」と思えてきた。
それから二の丸を飛ばして本丸へ移動し、本丸裏御門跡のこれまた見事な石畳にお目にかかることができた:
そして、そのまま本丸の天守台へ進むことにした。
なお、福岡城は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦後に黒田長政が筑前国50万余石を拝領し、福岡藩初代藩主となったあと、長政自らが縄張りして1601年から7年の歳月を費やして完成させた。この「福岡」という城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡(おく・ぐん)福岡に由来している。城の構えとしては、城内は天守台、本丸、二の丸、三の丸の四層に別れ、潮見櫓や花見櫓など47個の櫓が置かれていた。また、城を中心に東西に城下町が延びて博多商人により大いに賑わったようだ。
で、肝心の天守閣だけれども、歴史的経緯から幕府に遠慮して天守台は造られたが天守は造られなかったとする説が通説のようで、さらに最近の発見で、長政と仲の良い細川忠興が嫡男の忠利に宛てた書状には「長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」と書かれていたとあり、大坂の役または江戸期の大坂城築城寺までは存在していた可能性が高いらしい。豊臣恩顧の大名であるが故に幕府の監視の目が強かったのは想像にかたくない。実際に、福島正則はそれで広島城を改易させられたわけだし。
これが福岡城の天守台:
個人的にも、天守台の礎石跡も残っているし、やっぱり天守閣は存在していたが後に破却されたとみるのが妥当だろうと思う。
それから二の丸にある祈念櫓を見て:
現在の福岡城で一番の目玉であり重要文化財でもある現存の多聞櫓を見てきた:
それから二の丸を経由して三の丸におりてみると福岡城むかし探訪館という建物で、案の定 NHK とタイアップした「軍師官兵衛展」が開催されていた。大河ドラマで使用した小道具などが展示されていたっけ :
そして史跡鴻臚館跡を横見めに上之橋御門から出て、次の目的地のヤフオクドーム経由で福岡市博物館へ移動した:
で福岡市博物館へ行ってみると2014年7月(当時)から期間限定の、これまたNHK大河ドラマとのタイアップで「特別展 軍師官兵衛」が開催される予定だと知った。そのパンフレットを見てみるとかなり貴重な資料が展示される予定だそうで、(当時は2014年5月だったので)かなり残念に思った記憶がある。仕方がないので、黒田家関連の常設展示を見てきた。写真撮影は一切禁止の上、あまり興味の湧くものは展示されていなかったけど、唯一本物の「日本号」があったので来てよかったと思った (下の画像は福岡市博物館のHPから):
それから「サザエさん通り」を歩いて地下鉄に乗り、JR博多まで移動して新幹線で広島へ移動した。まぁ、2014年のGW最終日ともあって新幹線のホームは大混雑だった。自分は小一時間我慢すれば良かったけれども、それでも予定よりも何本かずらして乗るはめに。
遺構が少ない福岡城、それでも最初の想像よりはマシだったかな。実家にはお土産で「ふくやの辛子明太子」を送ってあげれたし。
福岡城攻め (フォト集)
この福岡城が築かれた後は、それまで筑前国の立花家の本城であった立花山城は廃城になった。
昨日のブラタモリ #17 博多でも、タモリが「福岡」の地名の由来について語っていました。「黒田のお殿様」って。