2014 年の GW 二日目は午前中に松山城攻めし、午後は「今治城」を攻めてきた。
お昼すぎに松山駅に到着。今治行きの乗車券と自由席特急券を購入後、構内にある「うどん屋」で「じゃこ天」をつまんで、1時半過ぎにJR特急しおかぜ20号に乗車し今治駅に着いたのが午後2時だった。
特急「しおかぜ」の車窓から見た瀬戸内海:
JR今治駅前で鉄御門 (くろがねごもん) 再建の図と今治城の場所を確認しておく:
それから「せとうちバス」の新居浜行きに乗って今治城前で降車した。このバス、結局は自分一人しか乗っておらずバスの運ちゃんとおしゃべりしながら移動した。
バスを降りるとすぐ目の前が今治城だった。
今治城
築城は、関ヶ原の戦の戦功として伊予20万石を拝領した藤堂高虎。瀬戸内海の要衡である来島海峡を押さえる土地であり、古来から国府・府中が存在し、伊予国の中で政治的な中心地の一つであったことから海城として築いた。別名は吹揚城。本丸と二ノ丸の北東側に瀬戸内海を臨み、それ以外の三方は三重の水堀で囲まれ海水で満たされていた。そのため、干満に応じて海水の入れ替えができると共に舟入 (港) あり、外堀を経て瀬戸内海に通じていた:
平成15年の今治城築城・開町400年の記念事業として復元された鉄御門櫓門:
鉄御門を支える野面積みの石垣:
復元された五層六重の層塔型(模擬)天守と藤堂高虎像:
昭和55年に復元された天守の内部は完全な「鉄筋コンクリート製のビル」だった。階段登っていると若干虚しくなってきた 。一応は博物館になっており中世時代の貴重な資料の他に、この土地の動植物の剥製などが多数展示されていた。本物の天守は五層五階で、高虎が伊勢国伊賀へ転封となった時に解体され、最終的に丹波国亀山城へ移築されたという。
その天守の最上階から瀬戸内海を臨む。鉄御門 (左) と多聞櫓 (中央) がすばらしい:
二ノ丸の石垣からみた内堀:
高虎の家臣である槍の勘兵衛こと渡辺了が今治城の石築城奉行を務めていたことから、この鏡石を「勘兵衛石」と呼ぶそうだ:
ちなみに勘兵衛は大阪の陣の時に高虎と采配をめぐって衝突し高虎の怒りを買って浪人になった。
今治城には他にも隅櫓として御金櫓とか山里櫓があり、さらに鉄御門の内部(武器櫓)にも入ることができるそうだけれど帰りのスーパージェットの時間が迫っていたことから見ることができなかった。残念 。次回の城攻めの際はじっくり見てみたい。
で、このまま今治から松山までJRで戻り、松山駅前から高浜までは伊予鉄道、そして松山観光港から広島港までスーパージェットで夜8時過ぎに広島港に着いた。次の日の GW 三日目はお休み。GW 四日目は九州で今、最もホットな城を攻める予定。
今治城攻め (フォト集)
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