2014年 GW 初日は午前の丸亀城攻めに続いて、同じく香川県は高松市にある「高松城」を攻めてきた。
高松駅で見かけたうずしお N2000系。ちなみに帰りの高松から岡山へはこれに乗った:
JR高松駅を降り R30 に向かって歩いていくと高松城跡こと高松市立玉藻公園が見えてくる:
高松城
築城は1587年、羽柴秀吉から讃岐一国を預かった生駒親正。別名は、この辺りの海が玉藻の浦と呼ばれていたことから玉藻城。海城。城の北側が瀬戸内海に面し、東西二箇所からは海水を引き込んだ三重の堀で本丸を囲み、その姿はまさに浮き城のようだったとか。この城の縄張りを担当したのは黒田官兵衛とも細川忠興とも。
現在は玉藻公園として維持されていた:
公園への入場料200円を支払った場所には簾櫓 (れんやぐら) 跡があった:
園内に入るとすぐ二ノ丸跡があり、そこには水門跡がある:
この水門跡には水をしたためた内堀があり、その先には天守閣のあった本丸跡が見える:
月見櫓へ向かって歩いて行くと見えてくる見事な松 (その一):
見事な松 (その二) :
さらに進むと見えてくるのが北の丸の隅櫓である月見櫓と水手御門と渡櫓。重要文化財。この月見櫓は、出入りする船を監視するとともに藩主が江戸から船で戻ってくる際に確認したことでも使用したことから「着見(つきみ)櫓」とも。三層三階、入母屋造、本瓦葺き、一層目は千鳥破風、二層目は唐破風で仕上がっている:
そこから北の丸跡を通り、今は披雲閣という庭園となっている場所を抜けて桜御門跡へ移動:
それから天守閣のある内堀沿いを歩いて行き:
再び二ノ丸跡へ戻り、そこから本丸を目指す。まずは二ノ丸と本丸をつなぐ鞘橋という連結橋を渡る:
すると見えてくるのが天守閣跡。1670年の松平頼常時代に改築された天守は三重五階 (三重四階に地下一階) の南蛮造りで、四国最大の規模を誇っていたが、明治時代に老朽化を理由に取り壊された:
2011年から2年かけて天守台の修復工事が行われた際には地下一階から58個の礎石が当時のまま発掘された:
天守台から見た鞘橋:
天守台から見た二ノ丸の庭園:
というところで GW 初日の城攻めは終了。しかしながら、帰ってから気づいたのだけれど、桜御門の先には艮櫓 (うしとらやぐら) とか旭橋なんていうのもあったんだねぇ。残念ながら見落としていた 。次回からちゃんと予習して当日見ておく史跡などをピックアップしておかないとだめだなぁと思ったり。
それから、どうしても讃岐うどんを食べておかないとということで探したのだけれど、午後4時過ぎに空いているのは駅前のうどん屋しかなかった。とりあえず食べてみたけど、ん〜普通。期待しすぎたか、または当たり前か :
で、帰りは岡山まで「しおかぜ」で移動した後、今度は普通列車で3時間かけ、明日の城攻めのプランを考えつつ広島へ戻った。別宅へ戻ったのは午後10時前だった。
高松城攻め (フォト集)
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