郡山城
これもまた二ヶ月ほど前の城攻めで、郡山城跡。かなり昔に読んだ雑誌で紹介され、「毛利元就vs尼子晴久」の戦いの舞台となった城。その時のイラスト図がまさに「全山要塞化された究極の山城」といったキャッチフレーズで、複数の曲輪が独立して籠城戦を行うことが可能な備えになっていたとかで、後に陶隆房ら大内氏の援軍が来るまで、麓の農民らを加えた8000余りの軍勢で2万の尼子を翻弄したらしい。とういうことで、是非とも攻めてみたい魅力ある城跡だった。
ちなみに本丸の天守は元就ではなく、輝元時代にあったとかなかったとか。毛利家が豊臣家に臣従した後は広島城に本城を移すことになり、それ以降に廃城になったらしい。
で、城攻めの前日が大雨だったので、かなり泥濘んでいるであろうということで (昨年の教訓から) 持参しておいたトレッキングシューズを履いたりして、ほぼ山登りを想定した準備で万全を期した。しかしながら、行きは慣れないローカルな土地のためかなり戸惑った。行き先は安芸高田 (あきたかた) 市という所で、広島から鉄道だと芸備線になるけど最寄り駅から遠いので広電バスを利用することに。Google Map で検索すると、JR横川駅前から上根・吉田線で吉田出張所行きのバスに乗り安芸高田市役所前で降りればよいとのことで時間通り行ってみたのだけれど、駅前のバスターミナルには上根・吉田線乗り場が見当たらず、そうこうしている間に出発予定時刻を過ぎてしまった。ここからバスで片道1.5時間の小旅行なのだけれど、登山と博物館を見る観光なので時間は予定通りにこなしたかったのに。とにかく広電はよそ者にはわかりづらい案内板ばかりあって、かなりムカついたが、ここで時間を無駄にすることはできないので、バスの始発である広島BC (って略称にするのはかなり不親切なんだけど、バスセンターらしい) まで戻り、案内所で行き先を告げて往復乗車券を購入し、帰りのバス時間も確認しておく (運賃は片道1300円くらい)。ひとまず40分遅れで安芸高田市役所前に到着した。いや~、山越え谷越え川越えて、いったいどんな田舎まで行くことになるだろうと内心ちょっと不安だったけれど、いやはや着いてみると大型スーパーが数件あるわ家電店はあるわで結構開けていたので驚いた。さすがは毛利元就公のお膝元
。もちろん観光地なので親切な看板が多数あり、ここからはかなり予定通り進めることができた:
まずは麓にある安芸高田歴史民俗博物館 (入場料150円) で毛利家について展示物やDVDや貴重な歴史的資料を確認しておく。そして、観光マップに従って登山開始。墓所参道入口で、地元のご老人に声をかけてもらい、老人の少年時代の面白話や一曲詠わせてくれと頼山陽の詩吟を聞かせてもらったり:
ここから15分くらい登山すると、元就公をはじめ毛利家一族の墓所があり、ここだけひんやりと冷たい空気が漂う静寂の空間だった:
ここで元就公には失礼して、持参したおにぎりを4つ程ぱくついた後、本丸に向けて登山を開始する。途中、降りてくる人たちと挨拶をしてすれ違いながら30分くらい登る。ここで、いたるところに「まむし注意」の立て札が立っており、蛇穴も多く見かけたけどおそらく冬眠中だろうなぁと。で、登山道も最初は石畳だったけど次第に完全な山道となり、昨日の雨でドロドロだったり倒木がちらほらとあったり。そういえば、数人の若い連中が同じように登ってきていたけど、靴が泥だらけだったなぁ:
二の丸くらいから、かなり急になり足元が厳しくなったけれど、なんとか本丸跡に到着:
ほとんど何も残っていないけれど、登山の疲れを癒し水分補給したり、iPhone5 でパノラマ撮りしているうちにバス出発時刻1時間前になったので、本城があった方向に向かって山を降りることにした。途中、堀切りや曲輪などの名残を写真に収めたりしているうちに、なんとなく道に迷ってしまった。やや焦り気味になりつつ、冷たい風に誘われるがままに歩いて行くと、たくさんのお地蔵さんが整列した場所に足を踏み入れてしまった。あとで確認すると、そこは桜の名所として知られ、その昔は毛利家由緒の寺があった郡山公園とのこと。とはいえ、これが近道だったらしく、お陰で20分も早く下山できた 。下山すると、そこに立派な社が見えたので参拝した。そこは毛利家の祈願所として、そして広島のサッカーチームが毎年必勝祈願することでも有名な清神社でした:
本殿の前には三本の矢ならぬ三本の杉の木が力強く立っていた。そして、無事にバスにのり帰路につくことができた。
吉田郡山城攻め (フォト集)
今思うと、なんとなく登山後は不思議なパワーに守られていたような気がする。
【おまけ】
先日、お昼を食べようと広島市中区胡子あたりを彷徨っている時に通りかかった鎌倉時代の大江広元を祀る胡子(ヒルコ)神社。大江広元は毛利元就の先祖だそうで:
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